雪章 4話 風花
「あのお二人がご結婚ですか」
棘ナツメは夜空を見上げる。
都会というべき町。
しかしこの時間帯となれば人通りはかなり少なくなる。
彼女はそのまま角を曲がり、さらに閑散とした路地裏へと入ってゆく。
「時が過ぎるのは早いものですね」
景一郎から明乃へ。
明乃からナツメへ。
そんな経緯で、数日前に彼女も詞の件については把握していた。
「ふふ……なんとも老人臭い発言を」
10年。
明乃が景一郎と出会ってから。
ナツメを含め、周囲の環境や人間模様はめまぐるしく変わってゆく。
そこに懐かしさや寂しさを覚えるのは、自分が年を取ってしまった証明なのか。
ともあれ――とりあえず、目の前の案件を処理すべきか。
「――なるほど」
ナツメはその場で立ち止まった。
音はない。
それも当然。
足音などを響かせる間抜けなら、さっさと撒いて終わりだ。
そうでないから、迎え撃つことにしたのだ。
「それは挑発をなさっているのですか?」
ナツメは問う。
自身の背後に広がっている闇へと向けて。
「それとも、隠れるのがお下手なだけでしょうか?」
そこに潜む、刺客へと向けて。
「――こうは考えられないかしら?」
隠れても無駄と思ったのか。
それとも無駄な問答に時間を費やすのを嫌ったのか。
あっさりと件の人物は姿を現した。
「あなた程度の相手なら……隠れるまでもなかった、と」
そこにいたのは女性だった。
紫色の髪を波打たせた、妖艶な雰囲気を醸す女性。
その姿はどことなく毒花を彷彿とさせる。
「だとしたら、隠れているのかと思うほど影が薄かったということになりますが」
「あら辛辣」
女性は微笑んだ。
「ならそうね――あえて気づかせてあげた、というのはどうかしら」
「小学生の言い訳ですか」
ナツメがそう返すも、女性が気にしている様子はない。
ただ妖しく、そこに存在しているだけだ。
「でもそうでしょう?」
わずかな間。
それは戦いへと向けた最後の安寧。
そして、開戦の合図だ。
「訳も分からないまま死ぬなんて可哀そうだもの」
直後、女性が地を蹴った。
ほんのわずかに砕けるアスファルトの地面。
しかしそのヒビは彼女の膂力を示してはいない。
脚力に任せて地面を派手に砕くのは簡単だ。
だが彼女は一歩に生じるロスを最小限に抑え、音も衝撃も削ぎ落した高速をもって距離を詰めてきたのだ。
振り上げられた女性の右腕。
そこに握られているのは剣だ。
一本筋に伸びた荊。
本来なら武器とも思えないただの植物にもかかわらず、見ただけであれは『剣』なのだと直感した。
それほどにあの手にある荊からは研ぎ澄まされた殺気を感じられる。
「っ」
とはいえ、そのまま斬られるほどナツメも甘くはない。
袖から取り出したナイフを掴み、振り下ろされる荊を受け止めた。
響く硬質な音。
やはりただの植物ではないらしい。
おそらくスキルによって生み出されたものなのだろう。
そんな分析の最中、女性の口元が笑みを浮かべるのが見えた。
「ほら駄目よ。初めて見る武器相手に鍔迫り合いなんて」
「っく」
激痛。
それは手首を貫かれた痛み。
受け止めた荊から生えていた棘が伸び、ナツメの右手首を撃ち抜いたのだ。
手首に穴が開いたことで握力がなくなる。
ナイフがこぼれ落ちてゆく。
崩れた拮抗。
そのまま振り下ろされる荊に両断されるより早く、ナツメは転がって距離を取った。
「もうそっちの手は駄目になっちゃったみたいね」
女性の目は、とめどなく血を流してゆくナツメの手首に向けられていた。
致命傷には程遠い一撃。
しかしこの状態の右手ではここからの戦闘に耐えられないのは明らかだった。
「貴女は何者ですか?」
左手で右手首を握り締め、軽く止血を行いながらナツメは問いかける。
時間稼ぎを兼ねた質問。
そこからあわよくば敵の正体を、そうでなくとも受け答えで彼女の人格に関するデータを集めるのだ。
「答えると思う?」
そう女性が答える。
安易に正体を話したりはしない。
しかし「答えるわけがない」という返答はするあたり、根っからの仕事人でもない。
むしろ浮かべた笑みは、自分の正体を考察されることを楽しんでいる節がある。
印象としては、暗殺者というより殺人鬼に近い。
「無差別か、冷泉家つながりか……」
ナツメは冷泉明乃のメイドだ。
真っ先に考えるべきなのは、明乃を狙うための準備としてナツメを狙ってきた可能性。
「刺客として雇われるような裏社会の冒険者もある程度は知っているつもりですが、特に覚えがありませんね」
もし偶然にも殺人鬼の標的になってしまっただけなら問題ない。
明乃に飛び火しないのなら、ここで殺して終わりで済む話。
ただ明乃が最終標的であった場合を想えば、目の前の女性についてある程度の情報は掴んでおきたいところだ。
「ですがその実力で名が売れていないのは奇妙」
裏の世界で生きる人間は身を隠す。
しかし実力者であれば、裏の世界において名前は広がるものだ。
組織お抱えの暗殺者なら、組織の脅威を誇示するために。
フリーの暗殺者なら、広告代わりに。
完全な無を貫く暗殺者は想像より少ない。
正体が露見しないようには気を払うが、商売を成り立たせるために多少の知名度は稼ぐ。
まったくの無名にもかかわらずこれほどの実力者というのは珍しいのだ。
「つまり、金以外の理由で動く辻斬りといったところでしょうか」
考えられるのは2つ。
ある目的のためだけに育てられた、完全秘匿の暗殺者。
誰との契約関係もないからこそ正体の露見が皆無な殺人鬼。
そんなところか。
「どうかしらね」
しかし女性ははぐらかす。
期待もしていないけれど。
「事情があるのなら言ってくださいね」
ナツメは左手でナイフを構える。
「できれば、死ぬ前に」
そのままナツメは女性に接近する。
――あの荊の剣は受け止めてはいけない。
武器そのものが変形する以上、現在の形状を前提に戦いを組み立ててはならない。
最善の注意を払い、ナツメは女性へと斬撃を叩き込む。
「それなりに速いけど、本当にそれなり止まりね」
しかし女性に動揺はない。
振り抜かれたナイフ。
女性はそれを左腕で受け止めていた。
いつのまにか女性の左腕には荊が巻き付いている。
いわば荊の籠手といったところか。
「っ」
ナツメが首を傾けると同時に頬を血の筋が走った。
荊の籠手から棘が伸びてきたのだ。
丁寧なことに、あの籠手にはカウンター機能があるらしい。
とはいえ、その変形は先程見たばかり。
ナツメは表情を変えることなく、冷静にさばいてゆく。
「まだです」
カラン。
そんな軽い音が鳴る。
それはナツメのスカートから零れ落ちた金属製の筒が地面を跳ねる音。
その数は1つではない。
2つ、3つ。
次々に転がり落ちてゆく。
「これは――」
戦う者としての直感か。
何かを察した女性がわずかに身を引く。
その予想は正しい。
だが、間に合わせない。
――炸裂。
ナツメが接近と同時にばらまいた爆弾が一気に破裂した。
金属の筒は内部から爆発し、外殻となっていた金属を刃に変えて飛散させる。
あれはスプレー缶に偽装した爆弾だ。
魔力のこもっていないオモチャのような代物だが、音と風圧によって巻き上がる砂煙は実戦でも有効だ。
「これで――」
爆風に乗って宙を舞うナツメ。
彼女は左手に何本ものナイフを束ねるようにして構える。
彼女の【屠殺】スキルは小さな切り傷をも押し広げることができる。
だから大雑把でも広範囲に攻撃をばらまいたほうが効率がいい。
砂煙に乗じて追撃を――
「ぅぐっ……!」
ナツメがナイフを投擲するよりも早く、砂煙が縦に裂けた。
空気を引き裂いて現れたのは荊。
鞭のようにしなる荊はナツメの居場所を正確に捉え――肩から一気に左腕を斬り飛ばした。
「あら、適当でも当たるものね」
地面に落ちるナツメの左腕。
彼女はそれを追うようにして着地した。
砂煙が完全に晴れると、そこには当然のように無傷の女性がいる。
(分が悪いですね)
足元に落ちている腕から視線を外すことなくナツメは女性を見据える。
正直なところ、治療のために腕は持ち帰りたいのだが、この場ではそのための一手さえもリスク。
さすがに腕のために命は懸けられない。
(体感ですが、彼女のレベルは私よりもかなり高い)
つまり、低く見積もってもSランク相当の実力。
戦いのペースを向こうが握っている以上、ここで戦い続けるのは得策ではない。
――仕切り直すべきだ。
(撒きましょうか)
ナツメは右手にナイフを握る。
握力はほとんど残っていないが、今日最後の仕事だ。
少し無理をしてもらう。
逆手にナイフを握り、そのまま振り下ろす。
そこにあるのは、先程斬り落とされたばかりの左腕。
彼女はそれを地面へと強く縫い留めた。
地面を刺すために取ったしゃがむ姿勢。
そこから体勢を戻す勢いで彼女は一気に跳び退く。
稼いだ距離は約10メートル。
「逃がすと思う?」
しかし、それを潰されるのに一瞬とかからなかった。
追撃に走った女性はすでにナツメへと肉薄し、彼女を射程へと呑み込んでいる。
「逃げ切れないつもりで逃げる馬鹿がいると思いますか?」
しかしそれも想定済み。
さっきまでの戦いで、彼女ならそれくらいの速力は出せるだろうと分かっていた。
だから、手はもう打った。
「!」
「気付くのですね」
女性の視線が下へと向く。
――気づいたのだ。
ナツメのスカートの裾から伸びる細いワイヤーに。
そのワイヤーが地面に縫い留めた左腕につながっていることに。
そして――左腕の陰に手榴弾を隠してあったことに。
炸裂音。
同時に金属片が女性の背中を襲う。
爆発圏にナツメも入っているが、彼女と手榴弾の間には女性がいる。
その存在が盾となり、爆弾の余波にナツメが巻き込まれることはないのだ。
「ブービートラップ……!」
しかも今回の手榴弾には魔力を込めている。
彼女を殺すには足りないだろうが、無視できない程度の威力はある。
回避か防御。
どちらかの選択は必須だ。
女性が選んだのは――防御。
彼女の背中で荊が束ねられ、円盤状に固まってゆく。
それは盾。
植物で構築された盾はその見た目に反して強固で、危なげなく爆発の衝撃を防いだ。
だが、それも予想通り。
今の爆発は、わずかに女性の意識を後方へと逸らすためのもの。
「今回はお暇させていただきます」
そのタイミングを狙い、ナツメは小さな玉を放った。
野球ボールほどのサイズの球体。
それは煙玉だ。
毒も刃もないシンプルな煙幕。
ただの目くらまし。
それでもこの場では有効だった。
「彼女の目的が何であれ、このレベルの冒険者の存在は無視できませんね」
ナツメは近くの建物の影へと潜り込み、その場を離脱した。




