雪章 3話 雪月花
手に負えない難題。
しかも、それが取り返しのつかない重要案件だったのなら。
そこに景一郎が出したアンサーは――誰かに協力を仰ぐ、だった。
「世の中、変わるのって早いんだな」
景一郎は手元の資料を眺めてそう口にした。
現在、彼は詞と共に冷泉明乃のオフィスを訪れていた。
時間としてはそれなりに深い夜。
マナーとしては不適切な訪問時間だが、多忙な彼女と会える時間がこれくらいしかなかったのだ。
――もっとも、そんな明乃を恋愛相談に巻き込むのもなかなかに不適切なのだろうけれど。
「うわぁ。お兄ちゃん、それはちょっとお兄ちゃんというよりお爺ちゃんだよ?」
「そもそもお兄ちゃんじゃねぇ」
「うっそ、10年経っていまさらその話題に踏み込んじゃうの?」
詞の言葉を無視し、景一郎は資料を読み進めてゆく。
そこに書かれているのはダンジョンだ。
しかしダンジョン攻略に繰り出そうという話ではない。
「まさかボスを倒さず、ダンジョンを観光用に残しておくだなんてな」
そう。
このダンジョンは明乃に提案された『デートコース』だったのだ。
まさかダンジョンでデートをしようとするとは。
そんな変わり者は【聖剣】くらいだと思っていた。
どうやら人間とは景一郎が考えている以上にたくましいらしい。
「ダンジョンってすっごく景色が綺麗なところもあるからねぇ」
詞の言うことはもっともだ。
ダンジョンは危険だ。
しかしそれさえクリアしたのなら絶景・秘境の宝庫。
仮想現実の世界にしか存在しなかったような景色を現実のものとして目にすることができるのだ。
――初めてダンジョンに入った時の感動を思い出す。
今にして思えばありきたりな構造のダンジョンだったが、それでもあれほどの興奮を覚えたのだ。
美しい光景を内包したダンジョンだけを厳選したのなら、多くの人が集まるのも必然といえる。
「ダンジョンに湧くモンスターにも数の限りがあるからな。駆除さえ終われば一般人でも入れるのか」
一部の高ランクダンジョンを除けば、ダンジョン内で湧くモンスターの数には上限がある。
複数のパーティが数日間籠れば、ダンジョン内のモンスターを根絶やしにすることはできる。
そうやってモンスターを借りつくしたのなら、一般人でもダンジョンに踏み入ることは理論上可能だ。
それをビジネスに転用するという発想はなかったが。
「さすがに危険な地形もありますし、ガイド役としての冒険者は必要ですけれど」
明乃はそう付け加える。
絶壁。深海。極寒。嵐。
なにもダンジョンの脅威はモンスターだけではない。
特殊な景色だからこそ、そこには特殊な環境がある。
そして、特殊な環境というものは時として人間に牙を剥く。
こればかりは現実の秘境も同じなのだけれど。
安全面を考慮すれば、ガイド役は必須だろう。
「ダンジョンにおける報酬の大半はボス討伐によるものでしたから、残すという発想がこれまでなかったわけですわね」
自由に探索できるダンジョンはそれがより顕著だ。
ああいったダンジョンは、結局のところ誰が先にボスを仕留めるかの競争なのだから。
そして競売で手に入れたダンジョンも大差ない。
ダンジョンの攻略権は手に入れていても、ダンジョンが存在する土地まで手にしているわけではない。
だから多くの場合は攻略に期限が付く。
内部のモンスターは狩り尽くすが、それは余すことなくダンジョンの恩恵を得るため。
空になったダンジョンはさっさとクリアして消滅させ、次のダンジョンを探すのが普通だ。
「文字通りこの世界にはない絶景が拝める――か」
それをまさかダンジョンを土地ごと購入し、継続的な利益を得る場所にしてしまうとは。
わりと刹那的な発想をする者が多い冒険者において異端といえる。
中にはモンスター。手にした財宝は高価で手が届かない。
多くの一般人にとってダンジョンとは無縁の存在。
そんな常識を一蹴するアイデアだ。
「詞ちゃんの要望に沿うことのできそうなダンジョンをいくつか見繕いましたわ」
明乃からいくつかの写真が渡される。
彼女の情報網の広さゆえか。
そこに映る景色は、数多くのダンジョンを踏破してきた景一郎でさえめったにお目にかかることはできない――そう評せざるを得ない絶景だった。
「うわぁ……すっごいねぇ」
「大体がCランク以下のダンジョンなのか」
「もしものことがあったとき、高ランクのダンジョンではガイド役だけで対応できませんので」
ガイド役とはいえ戦闘の心得のある冒険者を雇うことだろう。
しかし、その仕事内容は攻略ではなく護衛。
さらに護衛対象が一般人となれば難易度は跳ね上がる。
安全マージンは多く取っておくべきだということだろう。
そもそもダンジョンビジネスはまだ始まったばかり。
この段階で事故を起こせば世間の印象は取り返しがつかないほどに悪化し、ビジネスの可能性そのものを潰しかねない。
どれほど気を付けても慎重すぎるということはない。
「高ランクダンジョンは観光として利用するには過酷な環境が多くて、ボスを倒すことで手に入る報酬を捨てるのが惜しい。低ランクダンジョンならそれなりに安全が確保できて、ボスの討伐報酬よりも観光として利用することによる利益のほうが大きい。――上手いこと考えたもんだな」
とはいえ高ランクダンジョンは冒険者でも命の危険があるような環境も多い。
そもそも、どう頑張っても一般人では入ることさえ難しいという問題もあるのだろう。
景色を楽しめるのも一定の安全があってこそ。
その舞台が低ランクのダンジョンとなるのは必然だった。
「うーん」
詞は写真を見比べて唸っている。
その表情は真剣そのものだ。
「海も良いし、桜並木も綺麗だねぇ」
異国情緒な紺碧の海。
無限に続いてゆくかのように錯覚してしまう桜並木の世界。
そのどれもが幻想的で非現実的。
悩むのも仕方がないだろう。
「でも――これっ」
そんな中、詞は一つのダンジョンを選び出した。
そこに広がるのは白雪のように地面を白く染め上げる花々。
空には風花が舞い、満月が世界を見守っている。
まさに雪月花。
絶景の名にふさわしいダンジョンだった。
「これは六花の秘境と呼ばれている観光ダンジョンですわね」
「ほぉほぉ」
「幸い、ここのダンジョンを管理している方とは面識がございますわ。お二人ならガイドなしで潜ることも可能かと」
そんな明乃の言葉に詞は首をかしげる。
「ガイド役って絶対じゃないの?」
「本来なら必須ですわよ。ですので、知り合いのよしみでダンジョン管理のボランティアをしていた――という形で通すことになりますわね」
そう語る明乃。
ダンジョンに潜るのは詞と透流。
Sランク冒険者2人を守ることのできるガイド役など探しても見つからないだろう。
とはいえ本来ならルールである以上、簡単には曲げられないはずだ。
このあたりは明乃の口利きがあるからこその特例措置というわけだ。
「それとも、ギャラリーがいらしたほうがよろしくて?」
「~~~~~~~~~~」
いたずらっぽく明乃がそう言うと、詞は首まで真っ赤になっていた。
――さすがに見ず知らずの人の前でプロポーズをする勇気はなかったらしい。




