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Extra Episode2 飾らない気持ち

 終章エピローグより数か月後――

「はぁ?」


 思わず花咲里香子は聞き返していた。


 とある山地に存在する温泉街。

 そこにある旅館――花咲里苑。

 それは香子にとって故郷であり、母が経営している宿だ。


「なんでアタシがわざわざ客室に行かないといけないわけ?」


 以前から家業の手伝いをさせられてきた。

 しかし最近はSランク冒険者として香子が有名になりすぎたこともあり、厨房のような客の目につかない場所だけで働いていたのだが――


「お客様が呼んでるのよ」


 作業を止めることなく母――花咲里(かおる)はそう言った。


 香子の実家がここであることは隠せるようなものではない。

 彼女を一瞬だけでも見ようと声を上げる客も少なくない。

 だが、普段はそういった声は無視していたはず。

 なぜ、今回に限って香子が出向くことになったのだろうか。


「呼んでるからって、なにそれ。ここってそういうサービスでも始めたわけ?」

「そんなわけないでしょ。あと、今日はこれで上がって良いわよ」


 呆れた様子の馨。

 ボロ旅館だが、さすがに娘を売らなければならないほど困窮はしていないはずだ。

 それくらい分かってはいるのだが。


「そ、じゃあアタシ戻って寝るから」

「お客様に挨拶してから、よ」

「……はあ、めんどくさ」


 とはいえ面倒であることに変わりはない。

 適当に離脱しようとしたのだが、どうもそうはいかないらしい。



「ていうか、これでもアタシSランクなんだけど」


 そう漏らしながら香子は廊下を歩く。

 時間は午後11時。

 すでに消灯している部屋も多く、部屋の外を出歩いている客はいない。


「体触られたらぶん殴ってやるから」


 サイン――いや、握手くらいまではギリギリ我慢しよう。

 いや、やっぱり少しでも視線にいやらしさを感じたら握手だったとしても殴る。

 そう決意を固めながら、例の客がいるという部屋に向かった。


 ――楓の間。


 この旅館において最も豪華な部屋。

 完全なVIP用の部屋となっており、特定の人物しか予約さえできない。

 つまりここにいるのは大なり小なり、花咲里苑にとって特別な相手ということだ。


 とはいえ香子は普段からここで働いているわけではない。

 ここに泊まることのできる人間は、それこそ冷泉明乃くらいしか知らない。

 つまり、彼女にとってここにいる人間は十中八九赤の他人というわけだ。


 ――深呼吸。

 気乗りはしないが、さすがに最初から喧嘩腰で行くつもりはない。

 香子は息を整え、精神を鎮める。


「――失礼いたします」


 香子は丁寧な所作で襖を開く。

 その先にあるのは、趣のある和室。

 そして、そこに立つ黒マントの人物だった。

 フードを深くかぶっているせいで、頭から爪先まで一切のラインが分からない。

 男なのか女なのかさえ定かではない人物だった。

 正直、なんでチェックインできたのか疑問に思えてくる人物だ。


(うわ、超怪しい奴じゃん)


 冒険者、だろうか。

 あのマントは普通の布ではない。

 

 ある程度のランクに位置する冒険者ならここの宿泊費くらい眉一つ動かさずに払えるだろう。


 しかし、ここは金さえ払えば泊まれる部屋ではない。

 だとしたら社会的地位も――


「お客様――」

「悪かったな。仕事中に呼び出して」


 香子が恭しく話すと、それを遮るように黒マントがそう言った。

 

「え?」


 それは男の声。

 いや、そんなことなど問題ではない。

 

「うそ……この声」

「結局、あの日もゆっくり泊まれなかったからな」


 男がフードを外す。

 そこにいたのは――


「ひと段落したらもう一度来たいって、思っていたんだ」


 ――影浦景一郎だった。


「ぜんっぜん……聞いてなかったんだけど」


 香子は目を丸くしてそう漏らした。


 確かに景一郎はこちらの世界へと戻ってきていた。

 しかしオリジンゲートの主としての役割を果たすため、普段は孤島で生活している。


 電波は通じないため連絡の手段はなく、普段から会うことは難しい。

 それが香子たちの間での常識だったのだが――


「そうか? お母さんには伝えていたんだけどな」

「……そういえばお母さん、やけに今日は手伝いに来いってうるさかったわね」


 香子は最近のやり取りを思い出す。

 Sランク冒険者となってからは手伝いの催促も来なくなっていたというのに、今回は妙にしつこく電話がかかってきたのだ。

 嫌々ながら、最後は折れて手伝うことにしたのだが。

 どうやら馨は景一郎の来泊を知っていたからこそ香子を呼んでいたらしい。


「ったく、知ってて黙ってたってわけね」


 まさかこんなサプライズを仕掛けられていたとは。


「……ふふ」


 そんなことを考えていると、不意に景一郎は笑いだした。

 

「な、なによ。いきなり笑いだして」

「いや、もうババア呼びはやめたのかと思ってな」

「は、はぁぁぁ!?」


 深夜であることも忘れて香子は声を上げた。


 思えば、景一郎と出会ったのは高校生時代。

 その頃は馨のことをババア呼びしていた。

 彼女の中でそれはまさに黒歴史で――


「べ、別に良いでしょ!? 20にもなって大人げないかなって思っただけだから!」

「……そうか」


 あれはいわば反抗期。

 さすがに成人してからも跳ね返り続けるほど子供じゃない。


「な、なによ……!?」

「いや、知らない間に大人になってたんだなと」

 

 景一郎はそう感慨深げに頷いている。

 その理由はおそらく――


「ど、どこ見て言ってんのよッ……!?」


 香子は両手で体を隠すようにして後ずさった。


 景一郎と出会ったとき、香子はまだ高校生だった。

 それから7年。

 成人となり、成長過程にあった肢体は大人のものへと変わっている。

 とはいえ――


「いや、どこも見てなかっただろ」


 ――というわけでもなかったらしい。

 

「まあ、そういうわけで今晩はよろしくな」

「今晩!?」


 香子の声が裏返る。


 馨は彼の部屋を訪れたらそのまま仕事は終わりだと言っていた。

 つまり、ここから先に彼女の予定はない。

 自室に戻らなかったとしても、咎める権利など誰にもない。

 まさか馨はそれを見越して――


「?」

「は、はぁぁぁ!? アタシが妙に意識してるとか言いたいのその顔!?」

「何も言ってないだろ……」


 景一郎が溜息を吐きだした。


 ――顔が熱い。

 分かりやすいほどに空回りをしている。


 理由は明白だ。

 7年ぶりの再会。

 そして、再会してから初めての――2人きり。


 間違いない。

 間違いなく彼女は今、緊張している。


「っと、悪い。仕事中だったな」


 景一郎はマントを脱ぐと、近くのハンガーにかけた。

 

「別に。もう今日はこのまま上がって良いって言われてるし」

「そうか」


 景一郎が答える。

 それに続ける言葉が思い浮かばない。


「「…………」」


 居心地の悪い沈黙。


 好きな人となら沈黙さえ苦痛ではない。

 そんなものは嘘だったらしい。

 無関心ではいられないからこそ、落ち着かない。


「ねぇ」


 香子は言葉を紡ぎ出す。


 勇気がいらなかったわけがない。

 高難度のダンジョンなんか比ではないくらいのプレッシャーを感じる。

 上手く舌が回らない。

 それでも香子は口を開く。


「少しだけ、ここにいても良い?」


 2人きり。

 こんな状況でなければ、きっと本当の気持ちなんて言えないから。


 7年の離別があったからこそ言える本音――

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