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Extra Episode1 神の眼、人の手、鬼の業

 本編から約10年前――

「……何やってるんだ?」


 少年――影浦景一郎は思わずそう問いかけていた。


 ランドセルを背負って歩く帰り道。

 そこには同行者である少女たちが争う光景があった。


「ん、醜い女の社会勉強」


 銀髪の少女――忍足雪子がそうつぶやく。

 変わらない表情。

 その視線は足元へと向けられている。


 トン、トンと繰り返される音。

 それは足踏みの音だ。

 それ自体に問題はない。

 振り下ろされる足が、明らかに目の前の少女の足を狙ってさえいなければ。


「社会勉強っていうか……普通に喧嘩して――」

「いえ。なんでもありません」


 そう答えたのは雪子と対面していた金髪の少女――鋼紅だった。


 さっきからずっとこの調子だ。

 半刻もかからないはずの帰路。

 そこで倍以上の時間をかけて2人は小競り合いを繰り広げていた。


 景一郎の隣まで駆け寄ったかと思えば睨み合い。

 睨み合ったかと思えば足元で激しい攻防が行われる。

 残念ながら、それは初めての光景ではなかった。


「さっきから――」

「なんでもありません」

「どう見て――」

「なんでもありません」


 ――取り付く島もない。

 どうやら説明をする気も、矛を収める気もないらしい。


「……そうか」

「なんでもありません」

「いや、ちゃんと納得しただろ。本当は聞いてほしかったのか?」


 まさかの脳死リプライだった。

 紅は脳のリソースの大半を足元の戦いへと向けているようだ。

 足の踏み合いは激しさを増し、もはやタップダンスなのではという領域に至っている。


 これは一周回って相性が良いのではないか。

 景一郎としてはそう思わざるを得ない。


「ん。ちなみに勘違いしないで欲しい。醜いのは心意気であって、顔は可愛い」

「それは誇ることじゃないと思うけどな」


 顔が可愛いかの正否は置いておくとして。

 努力の範疇である心意気が醜いのは素直に恥じるべきだろう。


「あらあら。そんなに景一郎さんの隣が良いのなら、私が譲りましょうか?」


 そう口にしたのは黒髪の少女――糸見菊理だ。

 先程から、彼女は景一郎の左側をキープしていた。

 そんな彼女がその場を移動する。


 ――なぜか紅たちの雰囲気が軟化した。

 彼女たちの行動基準がよく分からない。


「私はここで」


 菊理は微笑みながら景一郎の背後へと回り込む。

 そして、彼のランドセルにしなだれかかった。

 彼女の重さが背中越しに伝わってくる。


 さらに――


「なっ……くすぐったいだろ……!」


 耳元を生温かい吐息が撫でる感覚。

 思わず景一郎は体を跳ねさせた。


「あらあら。すみません。なら息は止めておきますね――死ぬまで」

 

 景一郎が手で耳を隠しながら声を上げると、菊理は途端に寂しげな表情を浮かべた。

 目元を拭うような仕草をする菊理は、一瞬ながら本当に泣いているのではないかと思ってしまうほどに真に迫っていた。


「いや……死んでまで息を止めなくては良いけど……」

「そうなんですか? では……ふぅぅ」

「吹きかける必要はないよな!?」


 嬉々として吐息を吹きかけてくる菊理。

 景一郎は思わず動揺を見せるが――背中に冷たいものを感じた。


「――――――――」


 それはただの視線だった。

 いや、ただのという表現は間違っているのかもしれない。

 確かにそこには一切の暴力は伴わない。

 しかし、どんな暴力よりも恐ろしい何かがその視線にはこもっていた。


「一番油断ならない女狐はこっちだった」


 それは紅だけに限った話ではない。

 彼女の隣で争っていたはずの雪子もこちらを無表情のまま睨んでいる。

 その瞳に光はない。


「これくらい女々しい争いができるなら、将来女性ホルモンドバドバでナイスバディになるはず」

「――――そう、か」


 景一郎にはそう答えることしかできなかった。


 ――彼らは知らなかった。

 ――将来、言っていた本人だけが発育不足に陥る未来を。


「きゃっ」

「え?」


 そんなやり取りに気を取られていたからだろう。

 景一郎は体にわずかな衝撃が走って初めて、自分が誰かと接触したことに気が付いた。


 ぽすんという軽い音。

 彼が振り返れば、そこには少女がいた。


 腰あたりまで伸びた白髪。

 もしかすると足が不自由なのか、彼女の手元には杖が転がっていた。

 彼女は無防備に尻餅をついている。

 とっさのことに反応できなかったのか、彼女のスカートはわずかにめくれていて――

 

「悪い。よそ見してた」


 景一郎はわずかに目を逸らす。

 相手は小学校低学年くらいの少女。

 意識するような年頃ではないのかもしれないが、まったく意識しないというのは無理な話だ。


「……いやいや、私もよく見ていなかったからお互い様だよ」

「いや、その足じゃ見えてても――悪い」


 そう言いかけ、景一郎は口をつぐむ。

 今のはどう考えても失言だった。

 少なくとも、初対面の人間が踏み込んで良い領域ではない。


「ふふ……そう気にしないで欲しいかな。過ぎた気遣いは、かえって毒になりかねないものさ」


 彼が感じていた居心地悪さを笑い飛ばすような言葉を少女は紡ぎ出す。


 不思議な少女だった。

 彼女は笑っている。

 だが、どうにも彼女は目の前の事象を楽しんでいるようには見えない。

 いや、そもそも彼女は目の前など見ているのだろうか。

 自分を見ているはずなのに、自分の遥か後ろにある何かを見透かしているような。

 そんな薄気味の悪さを景一郎は感じていた。


「あ、ああ……」

「なんて言った矢先に申し訳ないけれど、手を貸してもらえないかな?」

「ああ、もちろんだ」


 そういえば、まだ彼女は地面に座り込ませたままだった。

 急いで彼は手を差し伸べる。

 すると白髪の少女はその手を取り立ち上がった。

 ――彼女の体は軽かった。


「うん。今日は良い出会いに恵まれた日だったね」


 彼女はそう笑った。

 

「元凶が言うのもあれだけど、どっちかというと悪い出会いだった気がするけどな」

「まあ、君にとってはそうかもしれないね」

「?」

「独り言だよ」


 首をかしげる景一郎。

 だが少女はそれ以上語らなかった。


「それじゃ、さよならだね。――景一郎君」


 そして少女は彼に背を向けた。


「どうして俺の――」

 

 景一郎は言葉を途中で止めた。

 去り行く彼女は杖をついて歩いており、お世辞にも足早とは言えない。

 だが、どうにも追いかける気持ちになれなかった。

 

 追いかけても無意味だと思ったのか。

 追いかけても不都合な事実を知ることになると察したのか。

 それは自分でも分からない。


「ん。今のおっぴろげは絶対わざとだった」「ですね」「そうですねぇ」


 そんな呑気な話が聞こえてくる。

 彼女たちには白髪の少女の異質さが伝わらなかったのか。

 ――だとしたら、景一郎の考えすぎだったのかもしれない。


 ――きっとそうなのだろう。

 彼女に抱いた罪悪感が、必要以上に彼女の存在を大きく認識させた。

 そんな錯覚でしかないのだろう。


「考えすぎだろ……わざとぶつかってどうするんだよ」


 景一郎は頭を掻いて紅たちに向き直る。

 そんな彼に向けられた視線は明らかに白けたものだった。


「…………」

「この無防備は末恐ろしい」

「ですねぇ」


 どうやら景一郎の反応は、彼女たちにとって好ましくないものだったらしい。


「提案あり」


 一方、雪子は景一郎を無視して挙手していた。


「私たちで雌雄を決するためにも、外部からの妨害だけは絶対に防ぐべき」

「……奇遇ですね。私も同じことを考えていました」

「うふふ。案外、似た者同士なのかもしれませんね」


 景一郎を除け者にして、彼には分からない話が勝手にまとまってゆく。


「今日から私たちは、景一郎君を狙う淫魔を断ち切る聖剣となる」

「お姫様とのハッピーエンドは、外敵を排除しきってからというわけですね」

「……分かりました」

「……?」


 男に乙女心は分からない。

 そんなことを学んだ日だった。



「いやはや。済まないね」


 コツコツと音が鳴る。

 杖がアスファルトを着く音が鳴る。


「残念ながら、君は楽しみにしていた番組を見ることはできない」


 白髪の少女――天眼来見は笑う。

 瞳に曼荼羅を浮かべて。


 天眼来見による介入。

 それは彼らの関係にわずかなズレを生じさせた。


 彼女の言葉に大した意味はない。


 ほんのちょっとだけ。

 ほんのちょっとだけ、景一郎が来見の姿に戸惑いを見せた。

 それによる少しの動揺。


 それは彼女たちの心を動かす。

 【聖剣】の原型となる形を作り出す。

 強く結束し、排他的。

 そんな彼女たちの関係性のキッカケとなる。


 彼女たちに連れまわされた景一郎の帰宅は遅れ、本来の運命なら問題なく視聴していたはずの番組を見損ねてしまう。

 わずかな落胆を感じながら彼は偶然、冒険者に関する番組を目にするのだろう。


「その代わり、君は今日、将来の夢を見つけるんだ」


 そして雑談として話したそれは、紅たちへと波及する。


「この世界を守るための、夢を見つけるんだ」


 そうして運命は動き出す。

 100年後にある確実な破滅を避けるための戦い。

 10年後に勃発する世界の命運をかけた戦争へと向かって。


「許さないでくれと言っても、きっと君は許すんだろうね」


 それは数ある未来の中の1つ。

 影浦景一郎たちが勝利した未来。

 糸よりも細い光明の先にある、ハッピーエンドと言い切るには理不尽な結末。 


「この目に焼き付いた絶望の景色を斬り裂いてくれる――私の勇者」


 神の眼で運命を視て、

 人の手で勇者の手を引き、

 世界のために彼を地獄に引きずり込む様はまさに鬼の所業。



「ふふ……きっと私は、ろくな死に方をしないんだろうね」



 きっとそれくらいでは、償いにもならないのだろうけれど。

 まだ景一郎囲い込み同盟がない頃のギスギス【聖剣】時代。

 なお『聖剣』という名前の由来がここまで酷かったことは、初代リーダーを務めていたはずの景一郎さえ知らない。

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