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2章  3話 親睦

「ぁあん……」



 悩ましく、淫靡な色を含む声が響く。

 喘ぐような声を漏らすのは――


「ふぇぇ……気持ち良いよぉ……」


 詞はとろけた顔でそう言った。

 

 現在、景一郎は詞と一緒に露天風呂を訪れていた。

 ここはダンジョンの近くにある高級ホテル。


 今夜、レイドに参加する冒険者たちはここに泊まることとなる。

 なんでも、同じダンジョンに潜る冒険者同士で親睦を深めるとのことだ。


 ちなみに温泉には景一郎たち以外に誰もいない。

 詞の希望で、意図的に周りと時間をずらしたのだ。

 そしてそれは――おそらく正解だった。


 景一郎は詞を見る。

 詞は体にバスタオルを巻いて入浴していた。

 そのため胸元から膝上あたりまではタオルで隠れている。


 普段よりも肌を多く露出している詞。

 それでも彼の姿はまるで少女のようだった。


 白く細い手足。

 お湯の熱により上気した頬は色っぽささえ醸している。

 胸元の膨らみが皆無であることと本人の申告がなければ、男湯に少女が迷い込んでしまったようにしか見えない。


 彼が男性冒険者と混浴(?)していたら面倒なことになるのは間違いなかった。


「えへへ……それにしても太っ腹な依頼主だねぇ」


 ふにゃふにゃと詞が笑う。

 どうやら温泉がよほどお気に召したらしい。


「そのあたりは彼女なりの人心掌握術ですわね」


 男湯と女湯を隔てる柵の向こう側から明乃の声が聞こえた。

 柵により見えないが、彼女もまた同じ温泉に浸かっているのだ。


「このホテルは彼女の家とつながりがあるようでしたし、わたくしたちのイメージほどお金はかかっていませんわ」

「そーなの?」

「少なくとも、与えた好印象に比べれば安い出費で済んでいますわね」


 明乃から、ジェシカは経営を学んでいる最中だと聞いた。

 今回のレイド攻略におけるもてなし。

 それは彼女が、部下のモチベーションを管理する方法を学ぶためという側面もあるのかもしれない。


 初めて会う冒険者をどこまで上手く扱えるか。

 確かにそれは、リーダーの資質を問われることだろう。


 ガラガラ……。


 景一郎がそんなことを考えていると、温泉の入り口が開いた。

 どうやら他の客が来てしまったらしい。


「あちゃ……」


 詞は特に気にした様子もなくそう言った。

 念のために時間帯をずらしたものの、他の客が訪れることはあるだろう。

 そもそも詞は男だ。実際のところ何の問題もない。

 だから焦る必要はなかったのだが――


「ふぅ…………」


 ぺたぺたという足音。

 湯煙越しに、小さな体が映った。


 その()()はシャワーへと向かい、銀髪を洗う。


(……あれは)


 徐々に湯煙も薄くなり、少女の姿がよく見えるようになった。

 雪のように白く、華奢な体。

 それは間違いなく――碓氷透流だった。


(なんで男湯に……?)


 思わず景一郎は詞を見た。

 

 どう見ても美少女にしか見えない彼。

 しかし男である。



(さ、最近の中学生はこういうパターンが多いのか……?)



 景一郎は現在22歳。

 中学生を卒業したのは何年も前のことだ。


 だからこれはあくまでジェネレーションギャップで、今の中学生なら普通のことなのだろうか。


(これは……指摘してもいいのか?)


 そんなことを思っているうちに、体を洗い終えたらしい透流がこちらへと歩いてきていた。


「どもー」

「ん……どうも」


 詞と挨拶を交わす透流。

 自然だ。

 透流にも異常は見えない。


(詞と会っても動揺しないってことは……そういうことなのか)


 随分と時代は変わったものである。

 もっとも、半世紀前まではこの世界にダンジョンはなかったという。

 なら、これくらいの変化が数年で起こっていたとしてもおかしくは――


「「……………………」」


 湯へと体を沈める透流。

 そしてついに――二人の目が合った。

 永遠にも思える沈黙が流れる。

 しかし――


 

「きゃぁぁぁぁぁっ!?」



 その静寂は、透流の悲鳴によって破られた。


 勢いよく立ち上がる透流。

 何がとは言わないが、揺れた。

 どうやら仕草はともかく、女性的な体つきという意味では雪子と大きく違ったらしい。


「な、なんでここに男の人がいるんですか!?」


 透流は泣きそうな表情で問い詰める。

 すでに無表情の仮面は木っ端みじんになっていた。


「いや、こっち男湯だぞ」


 とはいえ、彼女との接触に関して景一郎に非はない。

 彼は冷静に事実を告げた。


「え――?」


 透流は固まった。

 思考を整理しているのか、彼女は数秒間硬直する。

 しかし彼女は視線をわずかに横へと動かすと、再起動した。


「――いえッ! 騙されません! 実際に女の人が入っているじゃないですか! 犯罪者は貴方です!」


 透流が目にしたのは詞。

 彼女は詞を女性だと思っていたのだ。

 ――最初に詞を見つけた時点で彼女が間違いに気付かなかった謎が解けた。


「ボク男だよー?」

「え……? 嘘……ですよね……?」


 詞の言葉に、透流は愕然とする。

 彼女は体を隠すことも忘れて頭を抱えた。

 どうやらあまりに信じがたい事実だったようだ。




「じゃあ……見ちゃう……?」




 蠱惑的に微笑むと、詞は立ち上がる。

 滑らかな肌に水滴を浮かばせ、彼は透流の前に移動すると――



「女の子に見せちゃうの……ちょっと恥ずかしいなぁ」



 バスタオルの裾を持ち上げた。

 太腿が少しずつ露出してゆく。

 ゆっくり。だが確実にきわどいところまでタオルが捲れ上がり――


「だだだだ大丈夫ですッ! 入り口を確認してきますからぁッ!」


 錯乱したように透流は温泉から飛び出した。

 そのまま彼女は転びそうになりながら更衣室へと戻ってゆく。


 ちなみに、数秒後「ごめんなさい間違えました~~!」という声が聞こえてきた。

 遠ざかる慌ただしい足音。

 きっと彼女は、本来の女湯へと向かったのだろう。


「誤解が解けてよかったねぇ」

「で……何見せようとしてたんだ?」


 景一郎は詞へと半眼を向ける。

 あのままバスタオルを持ち上げたとして。

 透流が逃げ出さなかったとして。

 そこからどう収拾をつけるつもりだったのか。


「嫌だなぁ。ちゃんと胸を見せるつもりだったよ? さすがに下を見せちゃったら犯罪になっちゃうってばぁ」

「お前……案外悪い奴だな」


 へらりと笑う詞。

 一方で景一郎はため息を吐き出すと、湯へと体を預けた。


「でもぉ、JCおっぱいをガン見してた人に言われたくないかなぁ」

「してない」

「知ってる? 女の子って視線に敏感なんだよ?」

「ならお前は違うだろ」


 景一郎がそう言うと、詞は「つれないなぁ」と腰をよじる。

 ――タオルが持ち上がり、脚が付け根あたりまで見えたのはおそらく意図的だ。


「で、どうだったの?」

「いや……雪子より大きかったなと」

「他の女と比べるなんて……うちのお兄ちゃんはとんだゲスだったよぅ」


 そんな会話を交わしながら、景一郎たちは温泉を堪能するのであった。



「さっきは……疑ってすみませんでした……」


 そう謝罪を述べたのは透流だった。

 彼女が景一郎の隣で正座をしていた。

 もちろん、反省の印として強要したわけではない。


 現在、景一郎たちは広い座敷で食事をしている。

 この部屋には主催者であるジェシカ、そしてレイド参加者である冒険者たちが全員集合していた。

 そしてそれぞれが料理に舌鼓を打ち、酒をあおり。各々に楽しんでいる。


「それに……こっちに呼んでくれてありがとうございます」


 消え入りそうな声で透流がそう言った。

 ――彼女は最初からここにいたわけではない。


 どうやら彼女はソロで活動しているらしく、今回のレイドに知り合いはいないようだった。

 そんな彼女が所在なさげに広間の端にいたため、景一郎が彼女を誘ったのだ。


「冒険者は酒癖の悪い奴も多いからな。自分が飲まないなら、飲まない奴らと固まって行動しておいたほうがいいぞ」

「……はい」


 景一郎が誘った理由は、透流の近くにいた冒険者たちがすでにかなり酔いが回っていたためだ。

 あのまま彼女が近くの席を選んでしまえば、彼女は酔っ払いに囲まれることになる。

 そんなことになったら不安だろうと、彼女を保護することにしたのだ。

 

 幸い、景一郎以外の【面影】は未成年ということもあり、彼も今日は飲酒を避けるつもりだった。

 それにここには明乃と談笑するジェシカもいる。

 泥酔していても、さすがに主催者に絡む者はいないだろう。

 そういう意味で、ここは透流にとって安全圏となるはずだ。


「ぇっと……ん…………影浦さんは、こういうのに詳しいんですね」


 透流は敬一郎を横目で見ると、そう口にした。

 緊張のせいか、無表情の装いがかなり剝がれかけているが。


「まぁ……暇があればダンジョンに行っていたっていう時期もあったからな」

(それに魔都では、トラブル回避の勉強を随分とさせてもらったしな)


 魔都において、景一郎は嘲笑の対象であり、都合の良い標的だった。

 嘲る話題に事欠かず、反抗的なら殴って黙らせられる。

 そんな相手だったのだ。


 だから景一郎は自然と、冒険者たちのトラブルに巻き込まれないための立ち回りを学ぶこととなったのだ。


「冒険者同士のつながりが広いと、そういうのを教えてくれる大人がいるんだけどな」

「……ずっと一人でやってきたから」


 透流は刺身を口にする。

 美味しかったようで、彼女の口元がわずかに緩んだ。

 ――ハッとした様子で表情を消していたが。

 元来、演技に向いていない性格らしい。


「ぁ……」

「どうしたんだ?」

「いえ……」


 どこか落ち着かない様子の透流。

 彼女の箸がわずかに迷っている。

 これは――


「あら。苦手なものがございましたの?」


 景一郎たちのやり取りに気付いたのか、明乃がそう尋ねてきた。

 すると透流は控えめに首を縦に振った。


「ん……アワビがちょっと……見た目が」

「ぁぁ……ボクもちょっとグロくて苦手かもぉ」


 詞は舌を出す。


「グロいって……モンスターのほうがグロいだろ?」

「モンスターは斬るだけでしょ? 景一郎お兄ちゃんは、オークをお口に咥えちゃうの?」

「なぜオークをチョイスした……? 悪意しか感じないぞ」


 景一郎は口元を引きつらせる。

 オーク。

 食事中に思い出したい顔ではなかった。


「まあいいや。そういうことなら、俺のと交換するか?」

「ぇ……」


 景一郎が提案すると、透流は意外そうな声を漏らした。


「無理に苦手なものを食べる必要はないだろ。なんか好きなのがあるなら代えるぞ?」


 普段ならともかく、これは親睦会だ。

 好きなものだけを食べたとして、責められる必要はないだろう。


「あ……ありがとうございます……えっと――」


 透流は景一郎の前に並ぶ料理を見つめる。

 動く視線。

 その様子を景一郎は読み取り――


「じゃあこれな」

「ぁ……」


 景一郎は有無を言わさず、透流へと茶碗蒸しを渡した。

 彼女は少し驚いたように彼を見上げた。


 ――透流が料理を見回したとき、わずかに視線を止めた瞬間があった。

 その時に見ていたのは茶碗蒸しだった。


 おそらく彼女の好物なのだろう。

 とはいえ苦手なものと交換なのだ。

 彼女はきっと遠慮する。

 そう思い、景一郎は彼女に先んじて茶碗蒸しを押し付けたのだ。


「あの一瞬の読み合い……お兄ちゃん、なんたるテクニシャン」

「手慣れていらっしゃいましたわね」


 詞と明乃はさきほどのやり取りの本質を見抜いていたようで、意味ありげに笑っていた。


「え……ど、どういうことなのよっ」

「うふふ。ジェシカにはまだ、この機微は分からないようですわね」

「な、なによーっ!」


 ちなみにジェシカはその意図するところが分からないようで、明乃にからかわれていた。

 これまでビジネスとして部下に接する明乃ばかりを見てきたせいで、友人と談笑する彼女には少し違和感があった。

 しかしこれは、歓迎すべき違和感なのだろう。


「それでは……」


 かしこまった様子で透流はアワビを手に取った。

 そして景一郎へと捧げるように――




「影浦さん……私のアワビ食べてください」




 そう言った。


「「「………………」」」


 景一郎、詞、明乃がわずかに沈黙する。

 聞きようによっては、かなり危うい発言であったからだ。


「影浦お兄ちゃんにはボクのアワビもあげちゃうよぉ。ふふ……酒池肉林だねぇ」

「意味深に笑うな。あとしれっと押し付けてるだろ」


 耳元でささやく詞を軽く押しのける。

 とはいえ彼も苦手だと言っていたので、詞のアワビは食べることにした。

 代わりに適当に選んだ刺身を彼の皿に渡してやると、詞が「紳士だねぇ」などと口走っていたので数切れの刺身は持ち帰っておく。

 

「え、えっと……どういうことよっ」

「この件は……何年後かに、女性だけのときにお話いたしますわ」


 ちなみに女性陣は、そんなことを話していた。


 もうすぐレイド攻略が始まります。



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