終章 エピローグ3 貴方のいない世界で3
オリジンゲートの内部。
そこに広がっていたのは黒だった。
明かりは少なく内部は暗い。
それにもかかわらず、黒い床はわずかな光で艶やかに輝いていた。
入り口を潜った瞬間に彼らを出迎えたのは広間で、眼前には有効活用される日が来るとは思えないほどに幅の広い階段。
西洋風の屋敷。あるいは宮殿といった雰囲気の建物だ。
影の中にいるような黒い建物。
詞たちはそんな世界に入り込んでしまっていた。
「ちょっと男子ぃ。押さないでって言ったでしょぉ」
地面に突っ伏したまま詞は間延びした声でそう言う。
「言ってませんし、押してませんし、男子は貴方だけですわ」
そう返したのは明乃だ。
すでに彼女は立ち上がり、スカートについていた汚れを手で払っている。
「あ、床がひんやりしてて気持ちいいかも」
滑らかな床は自然な冷涼感を宿しており、夏の日差しにさらされていた肌には心地が良かった。
さすがに床に頬擦りなんて品のないことはしないけれど。
「神殿の中に神殿? デザインした奴バカじゃないの?」
「ん、これはマトリョーシカ」
「わお。超スルーされちゃったよぉ」
寝転んだままの詞を無視し、香子と透流もすでに散策を始めていた。
このままでは置いていかれかねない。
詞は身軽な動きで立ち上がる。
「うーん。これは戻れそうにないね」
詞は背後を振り返った。
背中から押された以上、普通ならば後方に出口があるはずだ。
だがダンジョン――それもオリジンゲートに常識が通じるはずもなく。
そこにはゲートどころか普通の扉さえなかった。
あるのは黒い壁だけだ。
「……これやばいんじゃないの?」
「クリアしないと出れない問題。クリアできるか問題。クリアしたらしたで世界が滅ぶかも問題。これは……ほぼ詰んでる」
詞の言葉に透流が同意を示した。
オリジンゲートを攻略するメリットはない。
だからあのまま帰るつもりだったのだが――どうにも上手くいかないものだ。
「とはいえ、ここに永住するのはあまり喜ばしくありませんわね」
明乃が溜息を吐く。
オリジンゲートの攻略は今の彼らでも死の危険を伴う。
そして成功したとしても異世界とつながるというリスク。
世界の平穏だけを考えるのなら、このままここに永住するのが一番だろう。
――さすがにそこまで世界に献身することは難しいけれど。
「じゃあ……異世界人が友好的であることにワンチャン賭けちゃう感じで行く?」
「確か、グリゼルダさんのいた世界のオリジンゲートは7つすべてが違う世界につながっていたそうですわね」
それにより、あの世界は6つの異世界にまで勢力を伸ばしていた。
逆に言えば、このオリジンゲートはバベル・エンドたちがいた世界とは別の世界につながっている可能性が高い。
「ついでに言えば、オリジンゲートは両側の世界から攻略されない限り開通しない。場合によっては、わたくしたちの側でボスを倒したからといって異世界とつながらない可能性もありますわ」
あの時もそうだった。
前回、詞たちがオリジンゲートを攻略すると同時に異世界とつながってしまったのは、すでに向こう側の世界もオリジンゲートをクリアしていたからだ。
もしも向こう側がオリジンゲートを突破できていないのであれば、こちらの世界だけで攻略したところで異世界とつながってしまうことはない。
最大の問題は、向こう側の世界がこのオリジンゲートを攻略できているのか否かを確かめる術がないことなのだが。
「私も……ここに永住はちょっと困ります」
「絶対に嫌」
当然と言えば当然だが、ここに永住してもいいと考えているメンバーはいなかったらしい。
もちろん詞もこんな日の差さない世界で余生を過ごしたくはない。
「んー、じゃあ満場一致で攻略ってことで」
詞は手を叩いてそう宣言した。
彼らの実力はあの決戦以降も磨き続けてきた。
オリジンゲートの攻略であろうとも、リスクはあるが不可能ではないほどに。
「世界が滅ばないことを祈って攻略開始、っと」
そうなれば、全員で帰還するために進むのみだ。
☆
「オリジンゲートってこんな感じだったっけ?」
歩き始めて数分。
早くも詞の頭上には疑問符が浮かんでいた。
彼がこんな呑気に話せているのには理由がある。
――1体たりともモンスターが現れないのだ。
「前は気持ち悪いくらいモンスターがいたわよね」
眉間にシワを作りながら香子は周囲を警戒する。
ボス戦を前にして消耗したいわけではないが、ここまで静かなのも不気味。
そんなところか。
「これまでのデータが2回分しかないので確実性は薄くなってしまいますが、今回のオリジンゲートは特殊だと考えておくべきかもしれませんわね」
明乃は周辺に視線を投げかけながらそう言った。
悪質なトラップ。凶悪なモンスター。
いくら気を張っていても、異常は現れない。
しかしここはオリジンゲート。
気を抜いた瞬間に――と思えば気を緩めることもできない。
精神的な疲労だけが募ってゆく。
「ん。雑魚敵がいない分、ボスが強い可能性も……」
透流が漏らした言葉。
一番確率が高そうで、的中されると面倒な予感だ。
雑魚モンスターで溢れていた魔都のオリジンゲートでさえエニグマという規格外の化物がいたのだ。
1体だけでそれと同程度の防衛力を有するボス。
嫌な予感しかしない。
「あ、一番奥に着いちゃったっぽいね」
そんなことを考えていると、詞たちの前方に巨大な扉が現れた。
重厚な黒鉄の扉は高さ10メートル以上。
別に扉の大きさが参考になるわけではないが、目の前の扉は奥にいる存在の強大さを誇示しているようで嫌になる。
何かが軋む音がする。
続くガリガリという不快音。
それは鉄の扉が開き始め、石造りの床を削る音だった。
どうやらここのボスは積極的にお出迎えする方針らしい。
「そういえば思ったことがあるんだけど」
「多分……私も同じことを思ってた」
開いてゆく扉。
雑談のようにつぶやいた詞の言葉に反応したのは香子だった。
「ここ、見覚えがあるよねぇ」
何もかもが同じというわけではない。
だが、なんとなく雰囲気が似ているのだ。
これはかつて『彼』のスキルで作り出されたダンジョンに似ていて――
「――なるほど、な」
ボスがいるであろう大部屋。
相も変わらず黒く、わずかな松明が光と影を生み出す世界。
詞たちを出迎えた部屋。
その突き当りには階段があった。
そこから声が聞こえてくる。
カツカツと靴音が響いた。
どうやらこの部屋の主は、階段を下りてきているらしい。
「どうやら神様になっても、俺には未来を見通すような才能はなかったみたいだ」
ゆっくりと降りてくる男性。
彼は影を纏っていた。
炎のように揺らぐ影を。
「…………うそ」
気が付けば、詞の口からはそんな声が漏れていた。
思い描かなかったわけではない。
そうあって欲しいという期待をしたことは幾度もある。
「今生の別れのつもりが、まさかこんなことになるなんてな」
「ん……これは」
だが、ありえないはずなのだ。
約束したのだから。
会えないと。
再び会えてしまうような世界にはしないと。
そう約束を交わしたはずなのだ。
「不必要かもしれないけど、名乗っておいたほうが良いか?」
「もしかして――」
香子が息を呑む。
本当は声だけで分かっていた。
だけど明かりが彼の顔を照らした時、言い訳の余地は消えた。
「俺は――――この世界で、神様をやっている者だ」
「……景一郎様」
明乃の言葉がすべてだった。
「また会えたな」
8つ目のオリジンゲート。
その支配者は――影浦景一郎だった。
次回は、景一郎が消失した直後の話です。




