終章 エピローグ2 貴方のいない世界で2
それは何の変哲もない島だった。
無人島となれば手入れがされているはずもなく、鬱蒼とした森が広がっていた。
視界が塞がって数メートル先も分からない。
これはこの島の特徴といっていいだろう。
「以前から疑問でしたの」
茂る草木を踏み分け、明乃はそう呟いた。
「以前?」
詞は首をかしげる。
このタイミングで口を開いたということは、ここに来た理由に関係することなのだろうか。
「あえて言うのなら――グリゼルダさんと出会ったときから」
「リゼちゃんかぁ。元気かなぁ」
詞は思い返す。
あまり長い付き合いとは言えなかったが、間違いなく【面影】の一員だった女性の名を。
そして、彼と共に消えてしまった彼女の名を。
「疑問って……なんですか?」
「――彼女はどうやってこちらの世界に来たのか、ですわ」
明乃は透流にそう答えた。
「あの頃はまだオリジンゲートは攻略してなかったわよね」
確認するように香子が言った。
間違いない。
グリゼルダがこの世界に来た時点では、オリジンゲートは攻略されていない。
つまり、まだこの世界は異世界とつながっていなかったはずなのだ。
「ええ。にもかかわらず彼女は異世界からこちらの世界に渡ってきた」
そこまで言われてしまえば、明乃が感じていた疑問の正体も分かる。
「つまり明乃ちゃんは、未発見のオリジンゲートがあると思っているわけだね」
「可能性はあるかと」
日本よりも早く、開通してしまったオリジンゲートがあったのではないか。
グリゼルダはそこを通じてこの世界を訪れたのではないか。
理屈としてはあり得る話だ。
「とはいえ、そこまで心配はしていませんわ。もしそんなものがあったのなら、7年も放置した時点で手遅れですから」
そう明乃は締めた。
8つ目のオリジンゲート。
その存在はグリゼルダの来訪からも想定できる。
一方、最低でも7年間放置されていたというのに異世界からの侵略者らしき存在が一切表れている気配がないというのも不思議だ。
とはいえ、バベルたちのいた世界の印象が強すぎるだけで、どの世界も異世界侵略を企てているとは限らない。
実際にこちらの世界も、オリジンゲートが開通するや否や侵略戦争を挑んだりはしないだろう。
すでに6つもの世界を植民地にしていたあの世界が異様なのだ。
「だからバカンスついでにってわけね」
香子は足元に絡む草を蹴飛ばした。
差し迫った脅威ではない。
だが、無視しておくのも気味が悪い。
明乃の考えはそんなところだろう。
「あ――」
景色を覆い隠す森林。
それは唐突に終わりを告げた。
樹木も、草も一線を引かれたようにそこから先には生えていない。
乾いた土がむき出しになった空間。
そこにあったのは――神殿だった。
「これは……すごい」
透流がそう漏らす。
古代ギリシア風とでもいえばいいのか。
石造りの階段。
その奥には柱が立ち並んでおり、何かを称えるかのような祭壇が鎮座していた。
荘厳で、歴史の厚みを感じさせる神殿。
経年でヒビが大量に入っているが、朽ちかけてなお威光に陰りはない。
むしろ高ランクダンジョンにいるときのような緊張感さえ漂っている。
こういった建物は歴史の教科書くらいでしか見たことがないが、実物はこうも圧倒的なのかと感心してしまう。
「なんか古代のすごい文明があったとか言われても信じちゃいそうだねぇ」
紀元前に滅びた文明の遺物――などと言われても信じてしまいそうだ。
この島の隠密性を考えれば、本当にこれまで誰にも見つからなかった巨大文明の一部だったとしてもおかしくないのだけど。
「まあ――」
とはいえ、彼らの視線が神殿へと向かっている時間はそれほど長くなかった。
なぜなら――
「――あれほど衝撃的じゃなかったけど」
神殿の向こう側には――巨大な黒いダンジョンゲートが存在していたから。
「――オリジンゲート」
半径数十メートルにわたって世界をゆがめる波紋。
その色は黒。
――黒。
それはオリジンゲートの特徴だった。
「まさか、最悪の予想が当たるとは思いたくなかったのですけど」
明乃が息を吐く。
「どんな機械でもスキルでも見つけられないから、半世紀前からあったのに誰も気づかなかったダンジョンってわけね」
香子はうんざりとした様子で眉をひそめている。
確かめる術はないが、おそらくこのオリジンゲートも他のダンジョンと同時期に出現したはずだ。
そして、偶然にもこのオリジンゲートは見つからなかったのだろう。
誰にも存在さえ悟らせることなく、50年もの間存在し続けていたのだ。
「ん……どうしますか?」
「そうだねぇ……。せっかくだし、ゲートの前にくらい行ってもいいんじゃないかな?」
詞はそう言って、神殿へと足を踏み入れた。
オリジンゲートといえ、触れなければ他のダンジョンと大差ない。
少なくとも内部のモンスターが溢れてくるスタンピードダンジョンや、ダンジョン自体が増殖してゆくアビスダンジョンのほうが緊急性が高いといっていい。
「確か、世界中にあるオリジンゲートって全部完全封鎖されてるんだよね?」
「ええ。少なくとも、わたくしたちの技術でどうにかできるような次元にはない封印が施されていましたわ」
7年前の決戦。
それは詞たちがバベルを討ち取り、オリジンゲートを2度と通れないほど強固に封印することで終結した。
その際、他国にあるオリジンゲートも閉鎖されたと聞いているが――
「ということは、っと」
詞は軽く腕を振るう。
すると、彼の手中で作られていた【操影】の手裏剣がオリジンゲートへと投擲された。
そして――
「――吸われたわね」
――オリジンゲートの中へと消えた。
その様子を見ていた香子が嫌そうな表情を浮かべる。
そこまであからさまな反応こそしなかったものの、おそらく他の皆も似たような気分だろう。
少なくとも詞は天を仰ぎたくなっていた。
――そこに神がいるかは知らないけれど。
「……封印されてない?」
透流の言葉。
それが彼らの下した結論だった。
今のやり取りにおいて、明らかに詞の攻撃はオリジンゲート内部へと干渉していた。
日本にあるオリジンゲートと同じ封印がなされているのならあり得ないことだ。
「もしかして、女神もこれがあるの知らなかったってわけ?」
直接聞いた記憶はないが、女神リリスが8つ目のオリジンゲートに言及したことはなかった。
言っていないだけ、なら構わない。
しかし本当に把握しておらず、封印から漏れてしまっていたのなら大問題だ。
「全能はともかく……わたくしたちが想像する神々のような全知の存在というわけではないようでしたし……。ありえないとは言えませんわね」
普通だったとは言わない。
だが、共感するかはともかく、リリスの思考は『そういう考えもあるかも』といった範疇のものだった。
少なくとも未来視を持つ天眼来見と行動を共にしていたあたり、完全な全知ということはないだろう。
「とりあえず、一回帰ったほうが良いよね」
詞はそう言った。
「ここが他のオリジンゲートと同じなら、攻略を始めた時点でやり直しがきかない」
オリジンゲートは存在そのものがリスク。
そして、他のオリジンゲートと同じほどのレベルで封印することは不可能。
障らぬ神に――という話だ
「ん……しかも、攻略できたとしても異世界とつながるリスクがある」
そして透流の言っている事実が一番大きい。
攻略さえしなければ異世界とつながりはしないのだ。
存在はリスクだが、攻略するのはさらに危険だ。
「場合によっては、存在を公表せずに秘密裏に封印することも考慮するべきですわ」
「うん。このオリジンゲートが封印されていない以上、存在そのものを隠しておいたほうが無難かも」
今は良い。
異世界からの侵略者という脅威を人々は覚えている。
だが将来はどうか。
7年前の戦いがただの歴史となり、教科書の文字列に代わった時代。
人々は、オリジンゲートに手を伸ばしてしまうのではないか。
完全に封じられているオリジンゲートは良い。
だが、不完全にしか閉じていないオリジンゲートがあると知れ渡ったら。
――このダンジョンは、将来的にすさまじい爆弾となりかねない。
「とはいえ、このまま放置ってわけにもいかな――」
「――そういうのいいカラ」
――封印術に長けた冒険者を用意しよう。
そう詞が言いかけたとき、声が聞こえた。
直後、彼の背中が誰かに押される。
彼だけではない。
背後からの圧力が、この場にいる全員をゲートの中へと押し込んだ。
☆
「――――侵入者が来た」
黒い宮殿で少女が言った。
「こちらの世界の人間は阿呆なのか? あの戦いから10年と経っていないはずなのだが」
その声に1人の女性が答える。
そこに焦りはない。
むしろ呆れを感じさせた。
「人数は?」
「4人ですね。もしかすると、偶然迷い込んだのでしょうか」
その場にいる女性たちがそんな言葉を交わした。
だが、特に動き出すことはない。
侵入者が来たからといって、ことさらに特別な行動を始めることはなかった。
「ん……さすがに小学生でもここに入るのはマズイと気づけるはず」
「それじゃあ……行くか」
その声に応えたのは1人の男性だった。
黒い人影が立ち上がる。
彼の靴音が閑散とした宮殿に響いてゆく。
「さすがに――2回もあんな戦争をするつもりはないからな」
彼の歩いた後には、黒炎のような影だけが残されていた。
影の正体は――




