終章 45話 復興の足音
「――――報告は以上です」
そう締めくくると、ナツメは一歩下がった。
彼女の視線の先では、明乃が手元の資料に視線を落としている。
2人がいるのは冷泉家のオフィスの社長室。
決して狭いわけではないが、支部とはいえ国内有数の一族の人間が座する部屋としては簡素に思える一室。
そこに置かれている調度品も来訪者に見くびられないよう最低限に置いてあるだけで、明乃自身が望んで設置したものはほとんどないだろう。
もっとも、彼女のことだから話題に上がってもいいようにと小物の詳細まで把握しているのだろうけれど。
「その様子ですと、復興まであと1か月は必要ですわね」
そう結論付ける明乃。
ナツメとしてもその見立てに異議はない。
最終決戦で崩れた都市。
それも上級モンスターが放逐されている有様だ。
決戦から一か月が経過した今でこそほとんどの討伐は終わっているはずだが、それでも討ち漏らしがないとは断言できない。
となれば復興に動員されるのはそれなり程度には自衛のできる冒険者が好ましいのだが――前回の戦いでそれなりの冒険者が死傷している。
崩壊の度合いも酷ければ、動かせる人材も不十分。
であればそれくらいの期間は考慮しておくべきだ。
「もし冒険者がいない時代でしたら、1年でも足りなかったかもしれません」
ナツメはそう半世紀以上昔のことを想う。
今では魔法によってある程度の作業を省略できるし、機械を使わなくとも冒険者なら重労働をこなせる。
もしも一般人しかいない社会であったなら。
そう思えば気が遠くなりそうだ。
「恵まれた時代、というわけですわね」
「それだけ被害も大きくなるのかもしれませんが」
スキルなどという超常的な力がなかったのなら、ここまで都市が破壊されつくすこともなかったはずだ。
スキルがあったら、なかったら。
そんなことを論じても意味がない。
だからこれはちょっとした雑談である。
「……あら」
その時、明乃のケータイが鳴った。
「詞さんからですわね」
他の社員の前ならともかく、今はナツメしかこの場にいない。
明乃は通話を始めた。
『やっほー』
マイクから詞の声が漏れ聞こえてくる。
「その様子ですと、攻略は問題なかったようですわね」
――現在、詞たちは魔都でダンジョン攻略を行っている。
魔都は異常なダンジョン発生件数を誇るエリアだ。
それはオリジンゲートが存在する7つの地域すべてに共通することで、その傾向はオリジンゲートを完全封鎖した今でも変わらなかった。
確か、異世界に近い場所であるからこそ空間が歪みやすい、だっただろうか。
復興作業をしているというのに、所かまわずAランク前後のダンジョンが頻発してしまっているわけだ。
それでは進む作業も進まない。
だからこそ詞たちにはダンジョンが発生するたびにその攻略を依頼しているのだ。
『まあAランクダンジョンだからねぇ。よゆーよゆーって感じかな?』
「皆さんがダンジョンをすぐに処理してくださるおかげで助かっていますわ」
ここに明乃がいることからも明らかなことだが【面影】の攻略はフルメンバーで行われていない。
普通なら異常なことだ。
Aランクダンジョンは限られた一流の存在が万全の準備をして挑む場所。
片手落ちのような状況で攻略するダンジョンではない。
『僕たちは、明乃ちゃんみたいに皆を動かして復興を手伝うことはできないからね。これくらいはしなくちゃ気が済まないって』
だが、明乃には別の役割がある。
彼女は昼夜問わず復興のため身を粉にしている。
――結局【先遣部隊】の侵略は国内でとどめることができた。
だが、それは言い換えれば日本しか直接の被害を受けていないということ。
日本が復興のため停滞している間も、世界は発展を続けている。
復興が数日遅れるだけでも世界の経済から取り残されることになる。
明乃はそれを理解しているからこそ、休む暇もないほどに動き続けているのだ。
『ところでさ明乃ちゃん』
ほんの少し、電話の向こう側から聞こえる声が低くなった。
先程までの軽快な声音が少し沈む。
つまり――そういう話題ということなのだろう。
『お兄ちゃん……まだ起きないの?』
その言葉を聞いたときに覗かせた明乃の表情は、ここ最近の多忙の中でさえ見せたことのないほどに雲ったものだった。
☆
詞たち【面影】がダンジョンを踏破してから数時間後。
比較的高難度だったものは処理し終えたということで、彼らは全員で場所を訪れていた。
消毒液の臭いがする静謐な部屋。
死を遠ざけるための場所であり、もっとも死の香りのする一室。
そこは、影浦景一郎が眠る病室だった。
「本当、普通に眠っているだけみたいだよね」
詞はそうつぶやく。
正直なところ、今は立ち止まる時間が惜しいほど忙殺されている。
だが、数日おきにでも彼らはここを訪れていた。
それくらいの我儘は許されてしかるべきだろう。
「リリスさん曰く、無理に神への覚醒を早めた振り返し――だそうですわ」
バベル・エンドを討伐してから間もなく、景一郎は深い眠りについた。
肉体は健康なまま、意識だけがない日々がかれこれ1か月。
――戦いの中で、景一郎は無理矢理に神への一歩を踏み出した。
それもバベルのようにスキルを使って肉体の調整を行ったわけではない。
それによって心身が乖離し、負荷に精神――あるいは魂が耐えられなくなった。
いわば『魂のアップデート中』とでもいうべき状態らしい。
「紅さんたちもあれからすぐに眠っちゃったままだもんね」
詞が病室の奥へと目を向けた。
病室に眠っているのは彼だけではない。
遅れて紅たちも意識を失ったのだ。
鋼紅。
糸見菊理。
忍足雪子。
グリゼルダ・ローザイア。
彼女たちもまた――目覚めない。
「ん……神と使徒のつながりは、強い……みたい」
透流がそう漏らす。
神と使徒は密接につながっている。
それこそスキルを共有できるほどに。
だからこそ景一郎の昏睡は余波として彼女たちにも影響を及ぼしたのだろう。
「でも――」
景一郎の目覚めを待ち望む思い。
そこに否定の意を口にしたのは香子だった。
だが、当然ながら彼女が景一郎を疎んでいるわけもない。
むしろその逆――
「次に起きたときは完全な神になってるってことは……そういうことでしょ」
彼の目覚めは、そのまま彼との別離を意味する。
それが分かっているからこそ、素直な気持ちで彼の目覚めを待てないのだ。
重苦しい雰囲気が病室に蔓延する。
「それならアタシは…………」
「香子ちゃん……」
詞には、反論の言葉など見つからない。
他ならぬ彼自身、別れが訪れるくらいなら――そう思ってしまうことを否定できないのだから。
目覚めた彼と会いたい、語らいたい。
でも、それが最期になるくらいなら。
その板挟みは、荒れ切った魔都の光景よりもはるかに彼らを苦しめる。
出会いが偶然の産物だったとしても、別れは必然で。
ならば別れは遅いか早いかの問題でしかなくて。
だからきっと、どんなに迷っても終わりの日は来る。
「ん…………」
――それが今日だったというだけの話だ。
聞こえたのは景一郎の声。
わずかな身じろぎの後、彼の目が動いた。
持ち上がった瞼の奥にある黒い瞳。
黒曜石のように、影のように黒いそれは詞たちの姿を映し出す。
「……病院、か?」
「お兄……ちゃん」
自然と漏れた声は、少しだけ掠れていた。
嬉しい。
嬉しいはずなのに。
――別れの時を告げる針の音が耳から離れない。
そろそろエピローグ。




