終章 44話 涜神の果て
白と黒。
2つの斬撃が交差する。
クロスした斬撃は灰色の光を放ち――
「――――な」
バベルの首が横にずれた。
左右から光速の斬撃に挟み斬られ、彼女の頭部が滑り落ちる。
「これ、くらい……」
バベルの首がみるみるうちに縮小してゆく。
天を衝かんばかりだった巨体が縮み、元のサイズへと戻っている。
大きさだけではない。
頭部を中心として彼女の体が再生を始めている。
彼女の体が地面に叩きつけられるころには、すでに四肢は形を取り戻していた。
だが――
「ふふ……だめ、かぁ……」
自嘲するバベル。
うつぶせに倒れた彼女。
彼女の足先が――崩れていた。
肌が石膏のように白み、ひび割れている。
再生した矢先に崩れていく様子からすると、彼女の【致死の右】を以ってなお復元不能なダメージのようだ。
「これで終わりだ」
景一郎はそんな彼女へと歩み寄る。
「俺たちの世界は、滅んだりしない」
景一郎たちは世界を守り抜いた。
そう宣言した。
「……はは」
バベルは空笑いを漏らす。
馬鹿にするでもなく、悔しそうにするでもなく。
「うん……思っていたよりも清々しい気分だ」
「こっちは良い迷惑だ」
「ふふ……それもそうだ」
笑うバベル。
この場面だけを見れば、2人が談笑しているように錯覚してしまいそうだ。
だが間違いなく2人は敵同士で。
仲良くというには主義思想が平行線すぎた。
選択次第ではどちらが敗者になっていたのかは分からない。
だが、勝敗を決めることなく和解できる道はなかった。
そう思う。
「これで【先遣部隊】は全滅。君たちの支援をしている神の存在を考えると、僕たちの世界から増援が来ることはないんだろうね」
「ああ。俺たちの世界がつながることはない」
まず景一郎たちがこの世界に侵入した【先遣部隊】を殲滅する。
そして女神リリスの結界により異世界人がこれ以上流入することを防ぐ。
それこそが彼らの狙いだった。
だから、景一郎がバベルを討ち取った時点で彼らの世界が滅ぶルートは回避できたのだ。
「なるほど。完全敗北だ」
バベルは寝返りを打つようにして天を仰いだ。
「純然たる被害者である君たちに言っても仕方のないことなんだろうけど」
彼女はぼやく。
すでに肉体の崩壊は腰あたりにまで達している。
それでも彼女は死を恐れる様子もなく、満足げにさえ見えた。
「……椅子の上でふんぞり返っていたアイツらが歯ぎしりしてる姿を想像すると……ざまあみろって気分かな」
――景一郎は彼女のことをよく知らない。
彼にとって彼女はただの侵略者。
それだけでしかない。
彼女について知っていることなど表面的なことばかり。
だから彼には、彼女の言葉の意味を察することはできなかった。
「僕は、僕の娯楽のために命を使い切った……くだらない栄光のために使い潰されてなんか……やらなかった」
だが、彼女は自分の生涯に悔いなど残していない。
それだけは分かった。
――巻き込まれた側としてはどうにも釈然としない気持ちもあるけれど。
「わがままに付き合わせた君たちには……少し悪いと思っているよ」
「…………少しじゃねぇだろ」
文字通り人生を捨て去る羽目になったのだ。
これくらい言い返す権利はあるだろう。
もっとも、彼女が反省しているようには見えなかったけれど。
むしろ面白がっているようにも見える。
――ついに、肉体の崩壊が首に達した。
そのままヒビは首を伝い、彼女の頬を裂く。
「それじゃあ、エンドロールの時間だ」
☆
「景一郎様!」「お兄ちゃん!」
そう出迎えたのは明乃と詞だった。
お世辞にも無事とは言えない姿だが、彼女たちは景一郎のもとへと駆け寄ってくる。
「ん……!」
勢いあまるようにして飛び込んでくる透流。
彼女だけではない。
明乃も詞も、縋りつくようにして景一郎に身を寄せた。
――1人の少女を除いて。
「ほらほら香子ちゃんもおいでよ~」
「は、はぁぁぁ!?」
詞がからかうように声を上げると、香子が怒りをあらわにした。
一歩離れた位置に立ったままの香子。
そんな彼女に詞は肩をすくめる。
「お兄ちゃん。香子ちゃん【先遣部隊】を1人倒したんだよ?」
「ん」
詞の言葉を肯定したのは雪子だった。
どうやら彼の言葉に間違いはないようだ。
――【先遣部隊】は強かった。
神でも使徒でもない身で倒すにはかなりの危険があったことだろう。
それでも彼女はやり遂げたのだ。
「……そうか」
景一郎は香子に手を伸ばす。
しかしわずかに届かない。
彼の指が空を切った。
「…………」
わずかな沈黙。
そして香子は一度だけ目を逸らし、お辞儀をするように頭を差し出した。
景一郎の指が赤髪を滑る。
彼が頭を撫でている間、香子が反応を示すことはなかった。
「頑張ったんだな」
「……これくらい出来ないと、安心しなさいって言っても信じられないでしょ」
顔を伏せたままそう言う香子。
彼女の表情は見えない。
少し気になるところだが、本人が見せたがっていない表情を暴くのも野暮なのだろう。
「ん。ひゅーひゅー」
「香子ちゃん。ここは頭じゃなくて胸を出すべき場面だったかもだよ?」
「はぁぁ!? そんなタイミングどこにあるわけ!?」
もっとも、そんな野暮をやらかす身内もいるわけだが。
とはいえこれも間違った対応というわけでもないのだろう。
事実、香子は怒っているものの本当の意味で仲が悪そうには見えなかった。
繰り広げられているのは、いつも通りのじゃれ合いだ。
「タイミングかぁ……思い出作り?」
「や、やらないから……!」
詞の言葉に後ずさる香子。
彼女は両手で胸を隠している。
知らぬ間に妙な方向へと話題が移ってしまっている気がした。
「ん。景一郎君が望むなら、この世界に遺伝子を残しておきたいという想いを否定まではしない」
「……我の世界では、絶対的な冒険者が多数の異性を囲うのは珍しくなかったな」
変なところで意見を合致させている雪子とグリゼルダ。
特殊な感性を持つ雪子と、そもそもこちらの世界の住人ではないグリゼルダ。
案外、2人の相性は悪くないのかもしれない。
「正直なところ、相手が女子高生というのはどうかと思いますが……」
「………………」
苦笑する菊理。
一方で紅は喋らない。
その表情から察するに――
「ん、紅が無言で拗ねてる。女子高生に嫉妬してる」
「好き勝手言いすぎだろお前ら……」
――否定はしないけれど。
あえて指摘する理由もないだろうに。
そんなことを雪子に説いても無駄なのは10年以上前から分かり切っていることだ。
「神の遺伝子、ですか。場合によっては戦争の種になりそうな代物ですわね」
意外にもその話題を広げたのは明乃だった。
「ん。種だけに」
「ちょっと静かにしてくれゆっこ」
景一郎は左手で雪子の頭を軽く押さえた。
これで雪子ロボが止まってくれたなら良いのだが。
「冷泉家としての務めがなければ……立候補しても良かったのかもしれませんわね」
「?」
雪子を黙らせることに意識を向けていたせいか。
明乃が漏らした言葉は彼の耳に届かなかった。
声量から考えても聞かせるつもりの言葉ではなかったのだろう。
そう判断し、彼はあえて言及しなかった。
「まあいいか。とりあえず帰ろう。…………さすがに疲れた」
なにより、体が重くなってきた。
さっきまでは戦いの興奮に誤魔化されていたようだが、ついにアドレナリンだけでは隠し切れないところまで疲労感が膨れ上がっている。
正直なところ、目を閉じれば立ったままでも眠れそうだ。
「そういえば触手凌辱女神は?」
「本人に言ったらマジで殺されるぞ」
――その言葉は、雪子への貧乳煽り並みに自殺行為だ。
景一郎は雪子の頭を小突く。
これで彼女の舌が止まることはないだろうけれど。
「確か、オリジンゲートに結界を張る……――とか………………い、言って」
――おかしい。
ここにきて景一郎は自身の異変を察知した。
上手く舌が回らない。
さっきまでは普通に話せていたはずなのに、だ。
「景一郎様?」
明乃の声が少し聞き取りづらい。
視界が歪み始めた。
景色がねじ曲がり、不自然に世界が明滅する。
気が付くと、景一郎は顔から地面に倒れ込んでいた。
「景一郎!」「景一郎……君……?」「景一郎さん……!?」「主殿!」
彼の急変。
それに気付いた紅たちが声を上げている。
(ったく……)
意識はある。
声は聞こえている。
だが、体が動かないのだ。
まるでゲームのコントローラーを手放したように。
操り人形の糸を切ってしまったように。
体だけが動かない。
(世界を救った途端に死ぬとか……聞いてないぞ)
体の異変に精神が追いついたのだろうか。
少しずつ意識が遠のいてゆく。
何とか抗おうとするも叶わない。
仲間たちの声に囲まれ、景一郎は意識を閉ざした。
景一郎「死ぬとか聞いてない(死んでない)」




