終章 41話 堕神
「みんな、体は大丈夫なのか?」
景一郎は地面に降り立った。
紅はバベルとの戦いでかなりの傷を負っていた。
グリゼルダも戦える状態ではなかったはず。
菊理と雪子に関しては直接見たわけではないが、使徒としてのつながりのせいか深手を負っていたのは知っていた。
だが、今の彼女たちはどうか。
負傷を感じさせる様子もなく、姿勢も安定している。
「リリスさんに治療していただきました」
「別に、一応これがアタシの仕事だしネ」
来見がそう言うも、リリスは興味なさげにそっぽを向いている。
リリス。
彼女は景一郎が持つ神の因子の大本である存在。
だから彼女が背負う役割も、景一郎と同じ『救済』となる。
もっとも、本人が『現地人による救済』というスタンスで動いているせいで彼女自身が戦闘に参加することはないのだが。
とはいえ――
「…………見た目からして絶対殺す専門だと思って――痛っ!」
衝撃と共に景一郎は体をのけぞらせた。
どうやら魔弾を眉間に撃ち込まれたらしい。
さすがに手加減はしていたようだが。
「景一郎君」
景一郎とリリスのやり取りを気にした様子もない声。
来見はゆっくりと彼に歩み寄る。
「正直、期待以上なんてありきたりな言葉で表してしまうと失礼かと思えてしまうくらいの奇跡だよ」
彼女はそう微笑んだ。
そこに他意は見えない。
本当にそう思っているのだろう。
「もちろん、存在する未来を目指して世界を動かしてきた。でも、これはか細い未来だったはずだった」
未来視という埒外の力。
それを以てしてなお。この世界と異世界との間には埋まらない力の差があった。
それこそたった数人のパーティにさえここまでの苦戦をしているのだ。
世界の力を結集しての戦いになれば均衡さえ許されない。
最善に最善を重ねて、初めて戦いの舞台に立てる。
そんな不安定な戦いを続けてたどり着いたのが今の状況なのだ。
「ほんの些細なボタンの掛け違いも許されない中、ここまで世界を導いてくれたことに感謝を」
そして来見は頭を下げた。
少しだけ、それでも杖を着いた状態では最大限に頭を下げた。
「……本音を言うと、わりと成り行きでここまで来た感じが否めないけどな」
景一郎は頭をかく。
始まりも今も、彼に世界のため戦っているという認識は薄い。
世界の命運がかかっていることは当然ながら理解している。
だがその根本は自分や友人のためであり、それは昔から今まで変わっていない。
「ていうか――そういうのは、ちゃんとアレを倒せてから言ってくれないか?」
景一郎は来見に背を向ける。
彼の視線の先にいるのは天に届きそうな巨躯となったバベル。
彼女は依然として無傷。
まだ戦いは終わってなどいない。
「――ここに至って疑わないさ」
しかし来見は笑う。
「君たちは勝つよ。絶対に」
――なんとなく分かった。
きっと彼女は未来を見てこの言葉を口にしたのではない。
疑わなかったのは自分の目ではない。
彼女が信じたのは、未来ではなく今ここにいる景一郎たち。
今の彼らならば勝利する。未来を見ることなく彼女はそう信じたのだ。
だが――
「……一応『私たち』でいいんじゃないか?」
景一郎は来見の言葉を訂正した。
「え……?」
「まあ俺としては随分とえげつない巻き込まれ方をしたわけど、だからといってお前が戦ってきたという事実までなくなるわけじゃないだろ」
確かに、彼女の行動によって景一郎は人間でさえいられなくなった。
だが、彼女を責めることもできない。
個人としてはともあれ、世界という単位で見たときに彼女の選択はきっと正しかったのだろうと思うから。
少なくとも、彼女なりに世界の行く末を考えて行動していたことくらいは理解している。
「そう、なのかな?」
「多分な」
景一郎自身が言っているのだ。
外野がどう言おうとも関係がない。
「とりあえず、勝ってくる」
景一郎の犠牲に意味があったのか。
来見の選択した未来は正しかったのか。
これまでのすべてを無駄にしないためには、勝つしかない。
☆
「結構、律儀に待ってくれるんだな」
景一郎は歩み出す。
その間も、バベルは動かない。
警戒はしていたのだが、拍子抜けするほど彼女は攻撃の意思を見せなかったのだ。
「会話イベントに乱入するほど野暮じゃないさ」
「そうか」
このあたりは美学や思想の問題なのだろう。
世界諸共すべてを破壊する。
だが、あくまでそれは景一郎との戦いの中で行われるものでなければならない。
そんな一線が存在しているのかもしれない。
「じゃあ、野暮なことせずにさっさと負けてくれよ」
だが、ラスボスなんてものは倒されなければ意味がない。
彼女がラスボスを名乗るのなら、その役割通りに負けてもらう。
剣を振るう景一郎。
――先程、紅たちがスキルを使用していたことで分かった。
現在、【枠を閉ざす者】によるスキル封印は機能していない。
その理解に間違いはなく、斬撃に合わせて影の刃が射出された。
神として完全覚醒した彼の全力。
それは威力と速力の両面においてこれまでとは次元を異にしている。
影の斬撃はバベルの右手によるガードも許さず、彼女の顔面へと着弾した。
「ここに至って火力不足を感じることになるなんてな」
――だが、届かない。
バベルの額から血が流れる。
だが、それだけ。
全力の一撃を叩き込んだ結果としてはあまりにも微々たるダメージだ。
どうにか威力の底上げが必要だろう。
そう彼が考えていると、近くに紅が跳んできた。
「【矢印】で威力を上げればどうでしょうか」
「紅……?」
「ん。私は火力がないからこっちの手伝い」
紅の後ろから雪子が近づいてくる。
どうやらバベルの右手による地球破壊を防ぐ役割は菊理とグリゼルダに割り振ったらしい。
ともかく、だ。
矢印を使った斬撃の加速。
それは景一郎も考えていた。
しかし、
「確かに【矢印】なら威力は上がると思うけど……多分10でも全然足りないぞ」
「【矢印】は一度に10までしか重ねられない、ですか」
紅が考え込む。
これまでの経験から矢印を一度に重ねられる限界は10。
このあたりは直感でしかないが、なんとなくスキルとしての限界もそこにあると考えている。
「ついでに言えば、スキルのタネが割れている以上、時間をかければ確実に邪魔されるだろ」
すでにバベルは矢印トラップの存在を知っている。
触れてしまえば、簡単に暴発させられることも。
ならば簡単だ。
適当に足踏みでもして瓦礫を巻き上げれば。
それだけで矢印は手近な石片を飛ばし、消えるだろう。
「なら提案」
手を挙げたのは雪子だった。
「幸い、ここには【矢印】使いが3人いる。それだけで30。上手く回しながら加算していければ、それ以上も見込める」
それは複数人で矢印を重ねるという方法。
――矢印トラップはユニークスキルだ。
その認識が可能性を狭めていたのかもしれない。
複数人でスキルを行使し、より高い効果を発揮させることはある。
そして紅と雪子は使徒であるからこそ、ユニークスキルであるはずの矢印を使用できる。
「アレのガードを抜けるところまで矢印を重ねるってことか」
「ワンチャンいける」
「世界の命運をワンチャンに賭けるな」
雪子の頭を小突いておいた。
「でも、悪くないかもな」
しかし、試す価値があるのも事実。
もちろんバベルが妨害するために動くだろう。
だが、それを切り抜けられたのなら――
「それじゃあそろそろ、決着といくか」
景一郎たちは、最後の攻防に身を投じた。
当初は存在していなかった使徒という設定が生えたのはこの戦術のためだったり。




