終章 39話 暴走
戦場は静寂に支配されていた。
その場にいる誰もが動かない。
聞こえてくるのはただ赤い命が滴る音だけ。
「……なんて、顔してるんだよ」
最初に口を開いたのは痩躯の男――レイチェルだった。
彼は脂汗を流しながらも、小さく笑いながら景一郎を見つめ返している。
「驚かないほうが無理だろ」
景一郎の剣はレイチェルの肩を裂き、腹あたりまで進んでいる。
完全な致命傷。
高レベルゆえの生命力がなければ即死しているダメージだ。
「まさか、お前たちに身を挺して庇うような仲間意識があるなんて思わなかった」
それでもレイチェルは笑っている。
バベルを刃から守り、笑っていた。
その姿がどうにも釈然としない。
景一郎の中にある【先遣部隊】へのイメージと齟齬があるのだ。
「そりゃあ……否定できねぇなぁ」
そう思われている自覚はあったのだろう。
レイチェルは貧血で震えている手で頭をかいた。
「そもそも、そっちからしたら『好き勝手言いやがって』って気分なんだろうけどさ」
彼は苦笑する。
「めちゃくちゃで、世辞にも性格が良いとは言えない連中だけど――オレとしては、わりと思い入れがあったみたいなんだよな」
レイチェルは天を仰いだ。
彼の目に後悔は見えない。
とっさのことだったのか、反射的な行動だったのか。
それは分からないがどちらだったとしても、彼はこの結末に納得しているようだ。
「悪いな姫様」
レイチェルは振り返ることもなく背後で倒れているバベルへと声をかけた。
傷が肺に達しているのか、時折彼の口から泡立った血が漏れる。
「どうやらオレの冒険も、ここまでらしい」
彼は爪先で地面を叩く。
「トラップ【回復】」
彼が残る力で起動させたスキル。
それはレイチェルを淡い緑光で包み込み、彼女の手足を再生させた。
膝を折るレイチェル。
彼の目はすでに光を失っていた。
さっきのスキルを使った時点で、彼は絶命していたのだ。
文字通り死力を搾り出し、彼は自身のリーダーの傷を治したのだ。
「命を懸けて仲間を守れるような覚悟があるなら――」
刃を突き立てたまま景一郎はそう漏らす。
「――そんなことを言っても、今更か」
何を言ってもきっと無駄なのだろう。
彼らは敵だ。
彼らにも仲間を思う心があったとして、それが景一郎たちに向けられるわけもない。
ならば結局は戦うしかなかったのだ。
「ぁ……」
バベルがゆっくりと立ち上がる。
完全――なのかは分からないが、動くのに問題がない程度には治癒しているようだ。
「あ……れ……」
ぼんやりとした様子で何かを口走っているバベル。
彼女の目の焦点は合っていなかった。
「おか……しいなぁ……」
うわ言のような言動。
「分からない……分からないなぁ……」
両手はだらりと下がり、目に戦意らしきものは見えない。
「新しいものが見たくて……異世界って面白そうで……最初はがっかりしたけど……楽しみも見つかって……」
考えてしゃべっているわけではないのだろう。
だから支離滅裂で、言いたいことが伝わらない。
あえて彼女の目に宿る感情を予想するのなら――喪失感、だろうか。
「なんで……楽しくないのかな……」
感情が抜け落ちた表情。
その片目から、何かが一筋だけ流れた。
「さあな。案外お前も、あのパーティと一緒にいるのが楽しかったってことじゃないのか?」
景一郎はため息を吐く。
なんとも後味の悪い。
バベルは煮詰めた悪意の塊などではなかった。
子供ゆえの、無知ゆえの邪悪。
芯などない悪。
そんな茶番に巻き込まれたなど笑い話にもならない。
「よく……分からない感性だね」
彼女は力なくそう答えた。
自分が振りかざす悪意の意味も分かっていない子供。
自身で語っていたようにゲーム感覚で悪意を振りまく。
それがバベルという少女だった。
そんな彼女は――奪われる側になって初めて抱いた感情に戸惑いを覚えているように見えた。
「――――バベル・エンド」
「……なんだい?」
「帰れ。お前の世界に」
景一郎はそう告げた。
別に同情ではない。
感性が子供であることなど何の免罪符にもならない。
とはいえ感情的に斬り殺すような気分でもない。
必要ならそうするが、もっと危険性が低いと思った方法があったからそれを選んだだけだ。
「それから、こっちの世界とお前たちの世界を完全に分離する。自分から戻るっていうなら、わざわざ殺し合う必要もないだろ」
リリスが異世界をつなぐゲートを完全に封鎖。
そして、景一郎たちはすでにこちらの世界に侵攻してきた【先遣部隊】を撃破。
これが彼らの目的だ。
もしもバベルが自発的に帰還するのなら、殺す必要はない。
彼女が去った後にゲートを封印するだけだ。
再開した戦いの余波で誰かが命を落とすリスクを考えれば、このまま追い返せたほうが良いに決まっている。
「これまでは話し合いにもなりそうになかったからな。でも、今なら少しは耳を貸す気になっただろ」
これまでは【先遣部隊】は優勢で、降伏させるなど無理な状況だった。
だから戦うしかなかった。
そしてバベルくらいしか戦力が残っていなかったとしても、彼女の精神性を考えれば景一郎の言葉を受け入れるとは思えなかった。
だから、これまでは提案してこなかった。
しかし、今なら。
彼女が耳を貸す可能性はあるのではないかと思ったのだ。
「だから帰れ。俺だって、好き好んで殺し合いをしたいわけじゃないんだよ」
景一郎もバベルも強力な力を手に入れすぎている。
2人の衝突はかなりの規模となるだろう。
あくまで景一郎が守りたいのは世界ではなく、そこにいる友人や仲間だ。
彼女たちを巻き込んでは本末転倒なんてものではない。
だから、バベルと殺し合いたくないというのは本音だ。
「冒険者なのにかい?」
「ふざけんな。こっちは同級生とダンジョンに潜れてたら満足だったんだよ。それを世界の存亡なんかに巻き込みやがって」
――戦いが好きだなどと思われては心外だ。
景一郎はそう言い返す。
友人たちの未来に比べれば優先度もそれなりに落ちるが、別に彼女への恨み言がないわけではないのだ。
「そう、なんだね」
バベルは目を閉じる。
「仲間に生かされた命……有意義に使う、か」
ぼんやりとした口調で紡がれる言葉。
そして彼女は――
「――――ナンセンスだね」
――景一郎に襲いかかった。
「お前……! この状況でまだ戦う気なのかよ……!」
景一郎は顔面に迫ったバベルの右手首を掴む。
「当たり前さ……! これは僕をラスボスに据えたゲームなんだ! ラスボスが、自分の都合で逃げていいわけがないと思うだろう……!?」
バベルは景一郎の言葉を一蹴する。
「変な意地の張り方してんじゃねぇよ……!」
景一郎が剣を振るうも、彼女は飛び退いてそれを躱した。
「僕は――――悪だ」
バベルは両手を掲げて笑う。
高らかに。
「悪として、敵味方の区別なくすべての善意を踏みにじる」
――魔王のように。
「生き汚く、往生際悪く、世界に呪いを遺してみせる」
無自覚だったとしても、きっと彼女には仲間の死を悼む感情があったはずだ。
だが、彼女は最後まで止まらない。
プログラムされたゲームのキャラのように。
彼女は芽生えかけていた感情に蓋をして、悪というキャラを演じ抜く。
「君を殺して僕も死ぬ」
「――――この世界すべてを巻き添えにしながら」
もうそろそろ終わる予定。




