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終章 32話 Deus2

「ほうら」

「!?」


 すれ違うように攻撃をぶつけ合った2人。

 

 しかし生じた結果は違う。

 紅の剣はバベルの肌を滑っただけ。

 バベルの左手は、紅の肩に触れた。

 両者ともに傷を負っていない。

 だが、狙った上で失敗したのか、そもそも狙っていなかったかの間には致命的な隔たりがある。


「…………」


 再び向かい合う2人。

 

(――危なかった。もしも今のが右手だったら……)


 紅は相手に悟らせないように小さく息を吐いた。

 左手なら触れられても構わない――などという打算はなかった。

 触れさせるつもりがなかったのに触れられた。

 右か左か。

 その違いだけで、さっきの攻防が最期になっていた可能性もあったのだ。


「ふふ」


 ふとバベルが笑みをこぼした。


「?」

「いや。触れたのが左手で安心したみたいだなぁってね」


 疑問符を浮かべた紅に彼女はそう答える。


 考えを読まれたわけだが、紅は動揺しない。

 この程度の考えは、普通なら予想できる。

 ハッタリにとしては弱く、バベルもそんなつもりで言ったわけではないだろう。


「本来、ユニークスキルは1人に1つ」

「……?」


 いきなり語り始めるバベル。

 その意図は読めない。


「だとしたら左手に宿っているスキル――【既知の左】って微妙だと思わない?」


 彼女はそう問いかけた。


「触れたものを完全解析する左手。確かに【致死の右】と組み合わせれば凶悪な即死コンボだ。でも、普通なら2つのユニークスキルを持っているなんてありえない」


 バベルが持つ2つのユニークスキルは組み合わせることで真価を発揮する。

 紅はそう解釈していた。

 だが――


「そもそも解析だけなら精度はともかく【鑑定】スキルがあるし、触れないと効果を発揮しないだけむしろ【既知の左】は下位互換だと思わないかい?」


 【鑑定】スキルは、視界に収めてさえいれば離れている物体の解析も可能だ。

 少なくとも射程という面において【既知の左】は汎用スキルにさえ後れを取っている。


「じゃあさぁ……」


 本来、ユニークスキルを複数持つなどありえない。

 ならば、組み合わせる前提の性能などありえない。


 だから、あるはずなのだ。


「本来、この左手って……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 ――【既知の左】がユニークスキルであるだけの理由が。


「……そういえばさ」


 バベルが紅から視線を外す。

 彼女は自分の左手をしげしげと眺めていた。

 そして何度か拳を開いたり閉じたりして、次に発したのは――



「お姉さん、最近……した? お腹、子供ができてるっぽいけど」



 とんでもない爆弾発言だった。


「ッ、ッ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?」

 

 紅の口から声にならない悲鳴が上がった。


「まあ僕の【既知の左】じゃないと分からないくらいの状態だったから、昨日とかそのくらいだと思うんだよね。なんか――大胆だね?」

「ぁ、ぃゃ、その…………」


 致命的な不意打ちに舌がうまく回らない。

 思考が乱れ、体が沸き立つように熱くなる。


「僕ってそういう衝動が薄いからよく分からないんだけど、決戦前夜って……盛り上がっちゃうの?」

「っ、っ、っ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」


 もしここが戦場でなければ、きっと頭を抱えて座り込んでいたことだろう。


 目を閉じて現実逃避したいが、敵を前にしてそんな自殺じみたことはできない。

 紅にできるのは、羞恥に体を震わせることだけだった。


「まあいいか。母子ともども、どうせ今日で死んじゃうんだから」


 肩をすくめるバベル。

 そして直後、駆けだした。


「ッ……!」


 ――警戒が羞恥を上回る。

 紅は反射的に剣を構えていた。

 さっきまでの動揺は脳裏に押しやる。

 そして――


「…………?」


 ――違和感を覚えた。


 紅がバベルと戦ったのは10分足らず。

 だが、明らかにおかしい。

 どう見ても――


(……さっきまでより、数段遅い……?)


 ――バベルの動きが遅いのだ。


 【致死の右】で身体強化をした状態と比較するまでもなく。

 通常時でさえ、もっとキレのある動きをしていた。


 いや。感じたままに言ってしまえば――遅い。

 【先遣部隊】と比べてではない。

 Aランク冒険者でさえない。

 せいぜいBランク冒険者程度の速力しかない。


(こんな速度なら簡単に――)


 疑問はある。

 何か、隠れた意図があるはず。

 しかしその何かが分からない。


 動きに緩急をつけて空振りを狙う?

 まだ見せていないスキルを使っている?

 分からない。


「はぁッ!」


 紅が選んだのは――速攻。

 バベルに一切の手を打たせない。

 彼女が間合いに踏み込んだ瞬間、最速の斬撃を叩き込む。


「ッ!?」


 ――紅の斬撃が空を斬る。

 バベルは身を沈め、彼女の剣を潜り抜けたのだ。


「ぁっ……ぁぁっ……!?」


 次の瞬間には、バベルの拳が鳩尾にめり込んでいた。

 その衝撃は背中まで突き抜けてゆく。


 息が止まる。

 内臓が痙攣し、嫌な汗が噴き出す。

 気が付くと紅はその場で崩れ落ちていた。


「どうしたのかな? 結構手加減してあげたつもりだった――」

「ッ!」


 脳が事態を把握するよりも早く。

 紅の体は反射で動く。


 立ち上がる動きに合わせた斬り上げ。

 万全の姿勢で放つ斬撃に比べれば剣速は劣るが、奇襲性は高い。

 そのまま切っ先は閃光のようにバベルの顎下を――


「はい☆」


 ――突くことはできない。


 バベルは紅の腕を踏みつけることで彼女の攻撃を強制的にキャンセルする。


 紅のスイングが最高速に至る前、まだ充分な威力が乗っていないタイミング。

 そこを突かれたことで、彼女の斬撃は片足で封殺された。


 ――だが、おかしい。


 腕を振り切る前に踏みつける。

 言葉にすれば簡単だ。

 しかし――バベルのほうが先に動いていなければ実現しないはずの動作なのだ。


「!?」


 そんな異常事態への困惑。

 硬直してしまった紅はあまりに隙だらけだった。


 その代償は顔面への痛烈な一撃。

 バベルに顔を殴り抜かれ、後頭部から地面へと叩きつけられた。


「ぁぐぅッ……!?」


 地面でバウンドする紅の体。

 紅は地面に手を着き、跳ねるようにしてバベルから距離を取る。


 だが――


「がふッ……!」


 頬に痛みが走る。

 バベルに殴られたのだ。


 彼女は紅が逃げることを察知し――紅よりも先に動き始めていたのだ。


 第三者がいたら、きっと奇妙な光景だろう。

 客観的に見たとき、紅はわざわざバベルの眼前に逃げ、彼女の拳の前に顔を滑り込ませたようにしか見えなかったはずだから。


「ほらほらどうしたのさ! 殺さないように左手だけで攻めてあげてるのに、さ……! 自分から殴られに来るなんて生きるのが嫌になっちゃったのかな!?」

「なん……で……!」

(躱そうとしても反撃しようとしても、まったく歯が立たない)


 まるで未来予知だ。


 バベルの速度は依然として遅くなったまま。

 なのに先手を打たれ続ける。

 常に彼女は紅の数手先を読んで攻撃をしている。

 

 ――もはや攻撃を『置いている』と表現すべきかもしれない。


 最善手を選び続けているつもりが、自滅の一途をたどっている。

 攻撃を躱すつもりが、攻撃に飛び込んでしまっている。

 頭がおかしくなりそうな状況だ。


「ふふ……! タネが分からないなら教えてあげるよ」


 乱れ飛ぶ拳の合間。

 バベルが笑いながら声を上げる。


「【既知の左】は触れたものを完全解析する。骨も、筋肉も、内臓も、脳も」


 彼女は語る。

 己の左手に宿る能力の真骨頂を。


「人間には癖がある。そして、人の体は癖になった動作に合わせて最適化されてゆく」


 誰の動きにもある程度のパターンがある。

 武術に型があるように。

 技術を磨くというのは、おびただしいほどの反復と同義なのだから。

 

「人体を完全解析できる【既知の左】があれば――相手が得意とする動きが、骨格的に絶対対応できない構造的な死角が――()()()()()()()()()()()()!」


 筋肉は使えば発達する。

 だからこそ、筋肉の発達から頻繁に行う動作を逆算できる。


 動作の積み重ねが癖というのなら。

 癖という結果から、得意な動作という過程を解析できる。


「君の攻撃は絶対に躱せるし、君は絶対に僕の攻撃を防げない。だからスピードなんかなくても僕が一方的に殴り続けられる」


 先の先。

 速いのではなく早い。


 紅が動くよりも先に放たれたカウンターは、彼女より数段遅い速力でも完璧なタイミングで炸裂する。


「最初から君の勝利になんて期待していないさ」


 バベルのアッパーが紅の胸に食い込む。


 サンドバッグのように容赦ない打撃にさらされた紅。

 ついに彼女の膝が砕け、その場に倒れ込む。


 しかしバベルはそれを許さない。

 紅が地面に頬をこすりつけるよりも早く、バベルの手は紅の髪を掴む。


 紅は乱暴に髪を引かれ、無理やりに立たされる。

 しかしその目は半開きで、光が薄れかけていた。


「安心しなよ。君が無様に、それでいて泥臭く勝利を目指す限り――僕は君を殺さない」


 破裂音と共に、バベルの平手打ちが紅の頬に叩き込まれた。

 それにより紅は意識を回復させる。


 しかしそこに希望があるわけではない。

 逆転の算段が付くわけではない。


「君は命がけで救世主君にヒントを残すキャラなんだ」


 バベルはそう告げる。

 

 勝ちの目など許さない。

 だが、諦めることも許さない。

 無意味に抗うことを彼女は強いる。


「君が君の役割を演じ続ける限り、僕は君が役割を果たせるように手札を開示し続けるし――味方に何も伝えられないまま死ぬような無駄死になんてさせないと約束するよ」


 バベルが顔を紅へと近づける。

 そして、耳元でささやいた。


「だから、希望を捨てちゃダメだよ」


 慈しむように。

 無慈悲な毒を流し込む。


「体が折れても、心が折れても、ちゃんと健気なキャラを演じ続けてほしいんだ」


 その在り方は傲慢。

 自身の望むドラマ。

 その役者であれと他人に押し付ける。


「希望を捨てていない演技さえ続けてくれたら、どんなに絶望していても殺さないであげるから」


 バベルは満面の笑みを浮かべた。

 無邪気に笑った。


「あ、でも救世主君が来た時だけは絶望の表情を見せてあげてほしいかな? そっちのほうがドラマティックだからね」


 彼女の振る舞いを見ていると分かる。


 きっと、すでにバベルには景一郎しか見えていないのだろう。

 だから彼女は彩る。

 唯一の楽しみとの邂逅を。

 たった一度しかない死合いを最高のものとするために。


「だから、生きてよ」


 魔王は演出する。

 自分という魔王に景一郎という勇者が挑む物語を。


「僕と彼の、最高のラストバトルを盛り上げるために」


 彼女は戦いを楽しむ。

 しかしそれは勝てるという絶対的な自信の裏返しなんかじゃない。


 究極的に言えば、彼女はどうでもいいのだろう。

 勝ちも負けも、生も死も。


 魔王は全力で、勇者も全力。

 ならばどちらが勝ってもこの戦争ゲームは楽しめる。



「死ぬべき時が来るまで、必死に生きていてほしいんだ」


 

 バベル・エンドはそんな狂人だった。


 これまでセットで扱われてきたバベルの両手に宿るユニークスキル。

 バベルの左手は行動予測を可能とするものでした。



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