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終章 29話 死に還り

「――このあたりで一度、確定させておこうかしら」


 カトレアはぽつりとそう言った。


「この世界は――現実ね」


 たった一言。

 なんの身振りさえない。

 ただ言葉を発するだけで、星空の世界はかき消された。


 星空のような【魔界顕象】が消える。

 これまでなら同時に消耗した体力や魔力も戻っていたのだが――


「ぅぅ……こんなの理不尽すぎでしょ……」


 肩で息をしながら詞はそう弱音を吐きだした。


 【魔界顕象】内で使用した魔力も戻らず、体は疲弊したまま。

 負った傷も消えていない。


 カトレアが【魔界顕象】内での出来事を『現実』と決めたため、内部で起きた事象のすべてが現実の世界にまで持ち込まれることとなったのだ。


(結構まずいなぁ)


 詞は周囲を視線だけで確認した。


 ダメージを受けているのは彼だけではない。

 明乃も、透流も、ナツメも。

 それぞれに傷を負っている。


(みんなダメージを受けてるし、何より――【勅命遵守】を使った上で失敗したところを確定させられちゃってる)


 そして最大の問題はナツメの消耗だろう。

 【勅命遵守】による強化は【先遣部隊】と戦う上で必須といえる要素だった。


 実際、【勅命遵守】があったからこそ【魔界顕象】の中でもカトレアを何度も退けることができていた。


 しかしカトレアは淡々と試行を繰り返していった。

 少しずつ対策を練り、ついに前回でナツメの猛攻を時間制限まで防ぎ切った。


 すでにナツメはかなり消耗しており同じだけのパフォーマンスは期待できない。

 つまり――今度の【魔界顕象】を攻略できるだけの手札がない。

 

「はい【魔界顕象】」


 まさしく窮地。

 こちらがどうにか打開策を考えているというのに、カトレアは軽い口調で世界を覆してゆく。


 世界が夢になるたびに回復するのは彼女も同じこと。

 だからまだ、カトレアは【魔界顕象】1回分の魔力しか使っていないのだ。

 ならば【魔界顕象】の連続行使を恐れるべき理由もない。


「休む暇も与えない、というわけですわね」


 明乃が表情を険しくしている。


 現時点において突破口は見えていない。

 それが分かっているからこそ、カトレアはすぐさま【魔界顕象】で畳みかけてきたのだ。

 消費を無駄に抑えようとして時間を与えれば『もしも』が起きるかもしれないから。


「それじゃあ、二度寝の時間よ」


 空が、地面が塗り替わってゆく。

 星々に囲まれた暗闇で、カトレアはシャボンの結界に佇んでいた。


「あなたたちが、きちんと起きられるのかは知らないけれど」


 直後、カトレアの頭上にあった金色の巨大な手が動く。

 同時に手の中に棒状の物体が出現した。


 きっとあれはタクトだったのだろう。

 両手が指揮者のように指示を出すと――【魔界顕象】に巻き込まれた冒険者たちが不気味に動き出す。

 明らかに不自然な姿勢で歩く冒険者たち。

 その姿はまるで操り人形だ。

 あるいはゾンビの行軍だろうか。


 詞たちは迎撃の構えを取る。


「来るよ……」


 ゾンビのようにゆっくりとこちらに向かっていた冒険者たち。

 ただ冒険者たちの動きが緩慢としていたのはそれまでのこと。

 次の瞬間には、何かに引かれるようにして冒険者が飛び出した。

 

 走るというより飛ぶ。

 飛ぶというより射出される。

 人間ミサイルという例えがしっくりくる様子で頭から詞たちへと迫ってくる冒険者たち。

 

「っと……!」


 向かってくる剣を詞は受ける。

 そのまま攻撃を受け流す力に乗って横回転。

 

「【操影】」


 詞の指先から細く影の刃が伸びる。

 黒刃は素早く、そして正確に冒険者のアキレス腱を断つ。

 これまでの戦いで分かったことだ。

 物理的に動けなくしてしまえば、カトレアでも彼らを操ることができない。

 ゆえに詞は彼らを最小限のダメージで無力化してゆく。

 

「くっ……!」


 だが、いつまでも上手くいくわけではない。

 小さなほころびは、すぐに訪れた。


 ――力を使い果たしてナツメが膝をつくという形で。


 【勅命遵守】は肉体にかなりの無理を強いるスキルだという。

 それを、体力が回復するとはいえ【魔界顕象】のたびに何度も。

 しかもかなりの強化倍率で使用していたのだ。

 なんとか取り繕っていたとしても、すでに戦える状態ではなかったのだろう。


「ナツメ!」


 ナツメの援護のために動く明乃。

 ――戦いは小さな破綻が連鎖することで致命傷となる。


 今回の場合は焦りだろう。

 ナツメが戦闘不能になったことで明乃の中にわずかな動揺があった。

 だから――まだ身の回りの敵を処理しきれていないことを見落としていた。

 

「なっ……!」


 倒れていた冒険者の手が明乃の足首を掴んだ。

 不意の出来事に対応できず、彼女はその場で転ぶ。

 

 操られている冒険所の数は詞たちよりはるかに多い。

 だから足を止めてしまえば、そのまま数に押し潰されてしまう。


 冒険者は次々に明乃へと掴みかかり、彼女を抑え込んでゆく。

 炎剣で彼らを焼き殺すことさえ厭わないのならば脱出の術はあっただろう。

 だが明乃がとっさにそんな判断を下すことはなかった。

 そして数秒と経たず彼女の手から炎剣は奪い去られ、遠くへと放り捨てられた。

 

「明乃ちゃん!」


 詞は声を張り上げる。


 冒険者の下敷きになり、呑み込まれてゆく明乃。

 だが彼女をすぐさま助けに行くことはできない。


 依然としてナツメは危機的状況のまま。

 そもそもとして詞も手が空いていない。

 こんな状況で動けば、かえって戦況を悪化させる可能性さえある。

 

 だが手を打たねばあと数秒とかからず――


「ん」


 透流の声。

 直後、ナツメに迫っていた冒険者の足が凍る。

 どうやら彼女が狙撃で支援してくれたようだ。


「これで少しは――」


 詞の口元にわずかに笑みが戻った。


 透流は魔導スナイパーであり援護できる範囲が広い。

 そして【隠密】のおかげで比較的だが冒険者に囲まれづらい。


 彼女を起点に立て直していけば――


「…………ぁ」


 ――だが、そんな希望さえ許されない。


 指で銃を作り、照準を合わせるために構えていた透流。

 彼女の腹を金色のタクトが貫いた。


 これまで冒険者を指揮していた両手が動き、直接的に透流を排除したのだ。


「ぅ……これ……は」


 茫然とした様子の透流。

 彼女の体は串刺しにされたまま宙へと掲げられる。


 そして、指揮が再開された。


「ん……ぅぅ……!?」


 音楽を煽るように揺れるタクト。

 そのたびに傷口を広げられ、透流は悲痛な声を上げる。


「ぁ……ぁぁっ……!?」

「透流ちゃん!」


 指揮が高揚すればタクトの動きは激しくなり、より透流の体は凌辱されてゆく。

 失神。痛みによる再覚醒。

 それらを短時間で繰り返すもやがて彼女の反応は途絶え、手足は投げ出すようにして完全に意識を失った。


「ちょっと……早く捨てなさいよ。かかったらどうするのよ」


 透流の足を伝う液体を一瞥し、カトレアは眉をひそめる。

 彼女が手を払うような仕草をすると、金色の手は透流をタクトごと放り投げた。


「それじゃあ、そろそろ終わらせようかしら」


 この場で戦えるのはすでに詞だけ。

 だから自然とカトレアの目も彼へと向けられることとなる。


「行きなさい」


 カトレアの号令で金色の剛腕が詞に向かう。

 どうやら冒険者を指揮するような回りくどい方法ではなく、もっと明快な手段で殺すことに決めたらしい。


「速ッ……!」


 飛び退いて躱す詞。

 だがそこに余裕はない。


 間合いは充分にあった。

 しかし、金色の手が通過したのは詞の足先から数十センチしか離れていない場所だ。

 跳ぶのがコンマ1秒遅れていたら、今頃彼の足は金色の手の中にあったことだろう。

 余裕などあるわけがない。


「あら、駄目よ」


 独り言のようにカトレアが言う。


「そこ、壁があるから」


 直後、詞の体が何かに阻まれた。

 

 カトレアの言ったことが現実になったのだろう。

 唐突に詞の背後でコンクリートの壁が出現し、彼の逃げ場を潰した。

 

「やば――」


 血の気が引く。


 さっき詞は金色の手を躱した。

 だが、手は……2本あるのだ。


 時間差で迫ってくるもう一方の剛腕。

 だが詞の背後には壁があり――


「ぅぐぅぅ!?」


 視界が黒く染まる。

 あまりにも衝撃が強烈だったせいなのか。

 衝撃と同時に全身の感覚がシャットアウトされた。


「ぁ……ぅっそ……」


 詞が現実を把握したのは、自分の体が地面に落ちてからだった。


 手足が動かない。

 内臓が痙攣して息ができない。

 遅れて痛みがやってくるが、思ったほどの激痛ではない。

 傷が想像より浅かった――のではなく、痛みを認識できるほど意識がはっきりしていないのだろう。


「――終わりね」


 夢の世界にカトレアの声が響く。


「この世界は、現実よ」


 そして、この世界は夢ではなくなった。

 

 星空が消え、灰色の空が戻ってきた。

 【魔界顕象】が発動する前と変わらない景色。

 違うのは、詞たちが戦場に倒れ伏しているという点だけだ。


「これは……ちょっとキツイなぁ」


 詞の口から空笑いが漏れる。

 窮地というよりも限りなく敗北に近い状況。

 ここまで手も足も出なければいっそ笑えてくる。


 カトレア自身の手で彼らにトドメを刺すか、詞たちが衰弱して死ぬまで放っておくか。

 未来は2つに1つ。


 ここから逆転するなど、夢の中でさえ起き得ない。


「さっさと終わらせて――」


 どうやらトドメを刺すことに決めたらしいカトレア。

 彼女が歩み出した時――異変が起きた。


「な……!?」


 ――カトレアの左腕が灰になったのだ。


 砂のように崩れ落ちてゆく左手。

 残った白骨が灰の山に積み上がってゆく。


「なによ……これ」


 突然の出来事にカトレアが凍り付いた。

 そして、この異常事態の原因に思い至ったのだろう。

 彼女の顔色が蒼白に染まる。



「――まさか、シオンが死んだ……?」



 彼女はシオンによって蘇生されたアンデッド。

 分類としては召喚モンスターに近い。


 そして召喚された生物は、術者が死亡すれば消滅する。

 ――今の彼女のように。


「ふざ……ふざけんなぁぁ!」


 これまでの気だるそうな様子とは打って変わり、カトレアは怒りの声を上げた。


「アタシは勝ってたのに、勝ってたのに……!」


 彼女は髪を振り乱して地団太を踏む。

 苛立ちのまま頭をかきむしるカトレア。


「ぁ、ぁぁぁぁぁぁ!?」


 ――頭髪が束になって地面に落ちた。

 もう、彼女の全身が崩落するのは時間の問題だった。


「こんなの夢、夢でしょ……夢じゃないとおかしいでしょ」


 すがるように繰り返すカトレア。

 しかし彼女の肌は変色し、ヒビが広がってゆく。


「まだ死にたくな―ー」


 亀裂は全身を包み――彼女の体が塵となった。


「……ギリギリ助かったよ」


 負傷者と死人だけの戦場。

 もはや墓地に近い死屍累々の惨状。

 

 その中で詞は安堵の息を漏らす。


 もし香子がシオンを倒すのが数秒遅ければ。

 きっと詞たちは全員殺されていただろう。

 まさに紙一重の勝利だった。


 いや、これを勝利と呼んでいいのは香子だけだろう。

 彼女はそれだけのことをやり遂げたのだから。


「やっぱり……恋する乙女は強いねぇ」


 反発の声が聞こえないことに寂しさを覚えながら、詞は目を閉じた。


 もうそろそろ最終章も後半に突入。



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