1章 1話 魔都
「――――」
影浦景一郎は肩にバッグを担いで階段を降りてゆく。
【勇者パーティ】とまで呼ばれている【聖剣】は収入も多い。
彼らが拠点としていたのは高級ホテルだった。
横に5人並んでも余るような大きな階段を降りてゆく。
ここを登る日は――もう来ない。
景一郎はただホテルの出口へと歩いてゆく。
「なんだ。誰かと思ったら【勇者パーティ】のお荷物係じゃねぇか」
出口を誰かにふさがれた。
景一郎は億劫な気分になりながら男を見上げる。
そこにいたのは見覚えもない半笑いの男。
多分、面識はない。
きっと、彼が一方的に景一郎を知っているのだろう。
――お荷物係。
それは景一郎の蔑称だ。
その名の通り、【勇者パーティ】の中で明らかなお荷物となっている景一郎を揶揄したものである。
「オイ、なんか言ったらどうだ? それとも、もう【聖剣】に守ってもらえないからビビってんのか?」
そう男は嗤う。
――妙に堂々と絡んでくると思ったら、彼は景一郎が【聖剣】を除籍されたことを知っていたらしい。
同じエリアを拠点にしていれば、そういった情報は自然と耳に入ってくる。
彼が知っていること自体はそこまで不自然なことではない。
景一郎は視線を走らせ、周囲を軽く確認する。
エントランスには複数人の冒険者がいる。
彼らにとっても景一郎は良い見世物なのか、嘲笑を浮かべて彼の行動を見守っていた。
もう除籍の件はそれなりに広がっているのだろう。
悪い意味で注目度が高かったが故といったところか。
「そういや、前から聞いてみたかったんだよなぁ」
そう言って、男は下卑いた笑みを見せ――
「【聖剣】の3人。どいつの具合が一番良かったんだ?」
「…………は?」
一瞬、意味が分からず固まった。
だが男のほうは舌なめずりをして、景一郎に顔を近づける。
「女3人のパーティにいたんだ。ダンジョンに潜ってたら溜まるだろうし――お前が処理してたんだろ?」
(こいつ――!)
脳が煮えたぎるような気分だった。
【聖剣】は国内最強のパーティ。そして同時に、敵も多い。
幼馴染である景一郎の目から見ても、【聖剣】の3人は見目麗しい女性である。
ゆえに世間からの注目度も高く、一方で同業者からの嫉妬も多い。
女性だけのパーティ――景一郎に至っては眼中に入ってもいない――ということもあり、最初から見下したような態度をとる冒険者も一定数存在していた。
彼もそんな一人なのだろう。
「処理係がいなくなったんなら、今度ダンジョンで見かけたら誘ってやってもいいかもな。誰のが一番かは、実際に試してみれば分かるだろうしさ」
男の下品な嗤い声が響く。
そんな彼を前にして、景一郎は――卑屈に笑った。
「はは……、俺もそんな狙いで近づいたんだけど……そういうのには興味なさげだったというか。むしろ、そんな俺でもしばらくはパーティに置いてくれたわけだし――な。とはいえ、さすがに俺も調子に乗りすぎて……今度ばかりは堪忍袋の緒が切れたというか……」
そう、笑った。
道化のように。
自分がピエロになれば、少しでも彼女たちへと向けられる悪意を減らせると信じて。
彼女たちは馬鹿に振り回されただけなのだと、そう思ってもらうために。
「まあ――だろうな。そんなこったろうと思ってたぜ」
男は平手で景一郎の背中を叩きながら大笑いする。
「それにしても【罠士】ってのはスゲェ職業だよな! なにせ【勇者パーティ】様の足をここまで引っ張れるんだからさッ!」
言いたいことを言って満足したのか男は景一郎とすれ違うようにしてホテルに入ってゆく。
「じゃあな元【聖剣】様ぁ! 力仕事なら、元冒険者は重宝されるらしいぜぇ!」
周囲に聞こえるように叫ぶ彼を、景一郎は何もせずに見送ることしかできなかった。
(……弱かったら、友達を馬鹿にした奴を殴る権利さえないってわけか)
冒険者は実力主義。
実力がないことは――罪に等しいのだ。
☆
「おっと……」
景一郎はよろめいた。
誰かと肩がぶつかったのだ。
彼がいるのは混雑した駅。
周囲の人間との接触は珍しくないことなのだが。
(あの子か……)
景一郎は振り返り、ぶつかった相手を見つけた。
それは女子高生くらいの少女だった。
肩甲骨あたりまで伸びた赤髪を揺らして彼女は歩いている。
どうやらスマホを見ながら歩いているようで、景一郎との接触に気付いた様子はない。
――ぶつかった景一郎は大きくよろめいたのに、だ。
おそらく彼女は冒険者――それも最前線であるこのエリアでも充分に通用するレベルの。
そんな彼女にとって景一郎など、ぶつかっても気付かないくらいのパワーしかないのだ。
(才能のない人間は淘汰され、有望な冒険者は引き寄せられる――か)
ここは日本の最前線――魔都。
かつて――『東京』と呼ばれていたエリアだ。
ここには有力な冒険者が集まる。
景一郎は、そんな魔都に排除される側の人間だった。
☆
この町にとどまっていても惨めな思いをするだけだ。
景一郎は逃げるように電車へと乗り込んでいた。
「紅たちも、いつかはあれに挑戦するんだろうな」
電車の車窓から景一郎は景色を眺める。
立ち並ぶ高層ビル。
その中に、ビルをも寄せ付けない巨大なタワーがそびえていた。
タワーの頂上には黒い渦が鎮座している。
渦巻くように歪んだ空間。
それがゲートと呼ばれる、ダンジョンの入り口だ。
その中でもあれはオリジンゲートと名付けられた、世界に7つしかない『最初のダンジョン』なのだ。
半世紀前、世界各地で現れた最初のダンジョン。
そして、いまだにクリアされたことのない最高難度のダンジョンだ。
だからこそオリジンゲート攻略は人々からこう呼ばれた。
――人類の最終目標、と。
もし日本のオリジンゲートをクリアするとしたら、それはきっと紅たちのパーティだ。
そうやって彼女たちはいつか、名実ともに勇者となるのだろう。
「俺が考えても仕方がないことか……」
景一郎は息を吐きだし、窓から目を離そうとした。
した――のだが、
「なんだ……?」
景一郎は目を細めた。
オリジンゲートが揺らいで見える。
渦のようなゲートに波紋のような揺れが見えるのだ。
「あれは……?」
次に見えたのは――腕だ。
タワーの頂上から地面にまで届きそうなほどの大きな腕がゲートから伸びてきた。
(誰も見えていないのか……!?)
景一郎は周囲に目を向けるが、パニックが起こっている様子もない。
これだけの人数が乗っていて、誰も窓の外を見ていないとは考えにくい。
つまりあの腕は、景一郎にしか見えていないということ。
「おい……待てよ」
(何を――)
巨大な腕が振り上げられてゆく。
景一郎の頬を冷や汗が流れた。
彼の脳裏に描かれた最悪の未来。
それは――実現した。
叩き下ろされる巨腕。
巨大さに反したスピードによる攻撃。
レールの上を走るだけの電車にそれを躱せるはずもなく――
景一郎が座っていた車両は一瞬で叩き潰された。
☆
「くそ……なんだよ」
景一郎は血を吐いた。
彼は、壊れた車両の中にいた。
あのまま何もできず、巨大な腕に潰されたのだ。
腕には誰も気付けなかったのか、周囲の人間はただの電車事故だと思っているようだった。
「何だったんだ……あの巨人は――」
腕に潰される直前、景一郎は見ていた。
ゲートの奥から――目が覗き込んでいたのを。
見えたのは腕だけ。
しかしあの奥には……体があった。
シルエットからすると、おそらく人間型の。
あのゲートの向こうには、あんな化物が潜んでいたのだ。
よりによって、そんな化物に狙われたのは不幸というほかない。
(こんなことになるくらいなら――)
すでに内臓がいくつか破裂している。
おそらく景一郎は――このまま死ぬ。
そうなると分かっていたのなら。
景一郎が思い浮かべるのは共に戦った仲間の姿だ。
たとえ一緒に戦えないと分かっていても。
それでも、せめて一緒に――
「へぇ……あの巨人が見えたんだネ」
ふと声が聞こえた。
死に瀕しているがゆえの幻聴か。
そう思いながらも景一郎は前方に目を向けた。
そこに立っていたのは黒髪の少女。
彼女の服には汚れ一つなく、巨人の攻撃に巻き込まれたようには思えない。
なのに彼女は潰れた車両の中に立っていた。
「誰だ……アンタ」
「そうだネ」
「言うなれば、アナタの神様になる悪魔――カナ?」
――力が欲しいか、だなんてネ。
少女の口元は三日月のように歪んでいた。