終章 20話 命なき者たち
「ん」
雪子は垂れた髪が地面に触れるほど大きく身を反らす。
そんな彼女の鼻先を鎖が掠めていった。
「――【死んで】」
「ッ……!?」
たった一声。
雪子がそう告げるだけでシオンの動きが止まる。
シオンはわずかに血を吐き、顎まで赤い命を垂らす。
だがそれも一時のこと。
数秒と経たずに彼女は再起動して鎖を振るい始める。
「……これは割に合わない」
雪子は宙返りで距離を取る。
彼女は口内に指を突っ込んだ。
そして中から取り出したのはピンク色の肉片。
――さっきまで彼女の舌として機能していた物体だ。
【殺害予告】による即死は本来であれば格下にしか通じない。
無理に同格以上の相手を狙えば、その振り返しを受けることとなる。
「ん」
雪子は懐から取り出した瓶の中身を煽る。
入ってくるのは高品質の回復薬だ。
千切れた舌もすぐに戻る。
「それじゃあ――」
雪子は腰を落とす。
そして、駆けだした。
襲い来る2本の鎖。
その動きは苛烈で、巧み。
龍のように激しく、蛇のように狡猾だ。
「問題なし」
しかしどんな攻撃にも隙はある。
ほんのわずかな隙間。
数センチと余裕のない安全圏に迷わず飛び込んでゆく。
――2人の間合いが5メートルに縮まった。
「――【死神の手】」
雪子は右手を振るう。
彼女の指先からはそれに合わせて影が伸び――シオンの胸に触れた。
「っぶッ……」
ほんの少し掠めただけ。
薄皮さえめくれないような愛撫。
にもかかわらず――シオンの心臓が胸から飛び出して影の手中に収まった。
「――これも駄目」
影の指が心臓を握り潰す。
それでもシオンは死なない。
殺した瞬間に少し固まるだけ、すぐに戦闘を再開する。
「即死スキルは一通り試してみたけど駄目っぽい」
通常の手段で致命傷を与えても死なない。
だから今度は『即死』という結果を押し付けた。
それでも彼女の命は絶えない。
「ん……もう少し、いろいろ試す必要がありそう」
☆
「――うぬ」
グリゼルダは走る速度を緩めることなく背後を確認した。
「5体か」
見えたのは彼女を追跡する5つの影。
デフォルメされたクマの頭部に、筋の浮かんだ隆々とした肉体。
あんな不気味でアンバランスな物体はグレミドールしかないだろう。
「さすがに、あれをすべて止めるのは無理だったのであろうな」
グリゼルダは今、景一郎を開放するために動いている。
そうなれば【先遣部隊】が追跡者を仕向けるのは必定。
詞たちが手を尽くしても、そのすべてを引き留めることは不可能だろう。
「仕方がない。我が相手をしてやろう」
振り切る、という選択もある。
だがグレミドールの膂力は侮れない。
逃げ切るというのも面倒だ。
もしも逃げようとした結果、【先遣部隊】の誰かと挟み撃ちにされては目も当てられない。
この場で処理しておくのが安全だろう。
「とはいえ時間をかけるつもりもない。一斉に向かって――」
氷剣を手に振り替えるグリゼルダ。
直後、彼女は違和感に気が付いた。
本能が警鐘を鳴らす。
そして――地面が光った。
「!? トラップか……!」
グリゼルダが跳ぶと、ほぼ同時に地面から炎が噴き出した。
まるで噴火のような大熱量の噴出。
あの場にとどまっていたら、両足は使い物にならなくなっていたことだろう。
「――――」
空中で体勢を整えるグリゼルダ。
そんな彼女にグレミドールの1体が迫り――拳を叩き込んできた。
「その程度で勝てると思うたのか」
だが、その拳は氷の盾に阻まれる。
あんな正面からの攻撃を食らってやる義理もない。
グリゼルダは氷剣を一閃し、グレミドールを腰から両断した。
「……造作もない」
グリゼルダは危なげなく着地した。
これでグレミドールは残り4体。
しかし、ここにトラップがあったということは――
「おーおー。相変わらず強いなぁ」
物陰から痩身の男が現れる。
男――レイチェルは称えるように手を叩き、グリゼルダの進路をふさいだ。
「やはり、お前であったか」
【先遣部隊】でトラップを使うのは彼だけだ。
どうやら、面倒なタイミングで遭遇してしまったらしい。
「まあ覚悟はしてたけどよ。やっぱ、アンタがここに向かってきたか」
レイチェルは頭を掻いた。
景一郎を【魔界顕象】で幽閉した以上、同じく【魔界顕象】を使えるグリゼルダが動く。
そんなことは予想済みだったのだろう。
この道にトラップを仕掛けて待ち構えていたことからも明らかだ。
「これは、完全なサシじゃなかっただけ感謝するべきなのか?」
レイチェルはグレミドールに視線を向ける。
グレミドール単体に苦戦することなどはないが、レイチェルがこの場にいるとなると話が変わる。
少し意識を散らされるだけでもトラップを踏む確率は上がるのだから。
鬱陶しく思わせるくらいの戦力ではある。
「これから死ぬ以上、感謝を伝える術などないのだ。気にするだけ無駄であろう」
とはいえ、負けるつもりはないが。
鬱陶しくはあれども、弱腰になるほどのことはない。
「そーいうセリフ、やっぱ強い奴が言わないと締まらねぇよなぁ。オレごときじゃ、一生言えそうな気がしないぜ」
レイチェルは大きく息を吐く。
悠長に構えているようだが、きっと周囲にはすでにトラップを仕掛け終えているのであろう。
負けるつもりはないが、油断するつもりもない。
グリゼルダはレイチェルへと氷剣を向けた。
「あと半刻もない命なのだ。今世では無理だろうな」
「――手厳しいねこりゃ」
ここからは雪子、グリゼルダ、詞たちの3つの戦場を平行することになるかと。
理由として、敵側のほとんどがシオン(とそのアンデッド)であり、グレミィ(カトレア)もグレミドールもシオンが死亡したら連動して死亡する関係だからです。




