終章 16話 虫喰い
「【秘剣】」
時間を止めて光の速度の抜刀術を放つ秘剣――【白雷】。
その一閃が鞘から射出される刹那、
「――【白ら――】……!?」
――彼女の体が動きを止めた。
(体が……動かない)
まだ時は止めていない。
いや、時を止めたとしても彼女が動けなくなるわけがない。
これは――
「っ……」
見えない何かに手を引かれ、紅は空中で姿勢を崩す。
不規則に振り回されて乱れる視界。
気が付くと、彼女は空中で磔にされたように固定されていた。
「しま――」
振り回された状態からの急制動。
気が動転していたこともあり、彼女の手から剣がこぼれ落ちてしまった。
握っていた剣は地面へ。
もう一方は腰の鞘に納めたまま。
手足の自由がない以上、どちらの得物も意味をなさない。
「これは……」
両腕は背中へと回されて離れない。
両足は膝のあたりから吊り上げられている。
不自然というほかない体勢。
どう考えても何らかの力が介入している。
そこで紅は自身の体に目を凝らし――気付いた。
「透明な糸……ですか?」
糸自体は見えない。
だが、彼女の近くで不自然に軌道を変える木の葉が見えた。
まるでそこに糸のような何かが通っているかのように奇妙な曲がり方で落ちてゆく落葉が。
見えない糸。
確かに、その存在には不意を突かれた。
しかし、見えないだけならばもっと早く気付けるはずなのだが――
「先程、相当な数の蜘蛛を斬ったからのう。そこら中に糸が舞っておったのじゃよ」
オズワルドはそう笑う。
「あれは倒されることを前提にしたギミックだった……というわけですね」
糸を吐くだけで戦闘力は低い子蜘蛛。
てっきりあれは数を優先したからこその弱さだと思っていた。
しかし違ったのだ。
あれはトラップ。
体を破壊されることで周囲に透明な糸をばらまき、気付かないうちに敵の体に糸をくっつけるための存在だったのだ。
数を増やすために個々が弱くなってしまったわけではない。
倒してもらいやすくしたほうが便利だっただけなのだ。
紅は自分自身が糸まみれになっていることにも気付かず、大量の子蜘蛛を薙ぎ払ってしまった。
その結果がこれというわけだ。
「それでは、そろそろ――喰らうかの」
ギチギチと音を立てて蠢くオズワルドの肉体。
これまでは背中に蜘蛛の脚という不気味な姿だった。
しかしそんな一線など容易く越え、彼の肉体は変形する。
「な……」
より恐ろしく、醜悪に。
彼の体が、より蜘蛛へと近づいてゆく。
彼の身体が膨らみ、毛の生えた大蜘蛛の肉体が飛び出す。
人間の上半身に、蜘蛛の下半身。
見開かれた瞳は大量の六角形に仕切られた複眼となっている。
それは、どこまで人体をおぞましく変えられるかを追求したかのようなキメラ。
これまで幾度となく化物と対峙してきた紅さえ吐き気を覚えそうなほど、その全貌は醜い。
もはや生命への冒涜さえ感じさせる。
「儂ら第一世代の【混成世代】は未完成じゃ」
枯れた上半身をさらし、オズワルドは語る。
「完全な人体を保つことはできず、その力の平均は第2世代に劣る」
そんな話を以前に聞いた覚えがある。
とはいえ、あの時の紅はあまり意識がはっきりしていなかったためそこまで真剣に聞いていたわけではないけれど。
「じゃが――それは安定性という意味での話」
そう彼は一人語る。
「人の身を捨てれば、瞬間的な力で第2世代を超えることも可能じゃ」
人の身を捨てた。
確かに、今の姿はまさにその通りだ。
背中から蜘蛛の脚が生えるなど、これに比べれば誤差でしかない。
今や彼の身体は半分以上がモンスターだった。
「っ」
オズワルドが上半身を持ち上げ、蜘蛛の脚を振るった。
脚は紅の胸を弾き、胸当てを剥ぎ飛ばした。
「安定した結果を出せぬがゆえに、第1世代は第2世代に劣るとされる」
結局のところ、技術というものは安定供給できなければ意味がない。
多少性能を落としてでも、総合的なクオリティが優先されるもの。
重要なのは最大値ではなく平均値――あるいは最頻値なのだ。
オズワルドという大きく上振れした第1世代が第2世代を上回る力を持っていたとして。
その他が第2世代に劣るのならば、『第1世代』という分類そのものは前時代の未熟な技術でしかない。
そういうものなのだ。
「じゃが……!」
「んっ……!」
紅は思わず身を反らす。
蜘蛛の脚が彼女の胸に突き立てられたのだ。
「第1世代が劣っておるなどという世迷い事はどうでも良いのじゃ」
世代間の確執。
それはきっと、彼女が思うよりもオズワルドにとって根深いのだろう。
彼は唾を飛ばしながら語る。
「だが儂は違う! 儂は、儂らの献身によって生まれた技術に頼っておるだけの若造より優れておるのじゃ!」
バチリ。
空気が裂ける音がした。
「ぁ、ぁああああああああああああああっ!?」
直後、蜘蛛の脚から紅へと雷撃がぶち込まれる。
筋肉が痙攣し、意思とは関係なく全身が跳ねる。
これまで何度か雷撃を食らったことはあるが、ここまでの威力は経験がない。
全身の皮膚を剥がされているのではないかと錯覚するほどの激痛が紅を襲う。
「いや……ぁぁああああ!?」
痛みから逃れるために紅は身をよじった。
しかし蜘蛛の脚は執拗に彼女の体を追い立て、逃がさない。
体を糸で固定されている以上、彼女が動ける範囲は広くない。
そしてそこはすべてオズワルドの掌の上。
逃げ場などなかった。
「ぁ……ぁ…………」
永遠にも思える責めを経て、ついに電流がおさまる。
脱力する紅。
ぐったりと手足を投げ出した彼女は浅い呼吸を繰り返す。
「さて、どのようにしてやろうかのう」
枯れ枝のような手が彼女の胸へと置かれる。
「そうじゃのう……繭の中で身動きを取れぬまま、大量の蟲に食われるのはどうじゃ?」
そう言うと、オズワルドは口から白い糸を垂らす。
かけられた糸は少しずつ紅の体へと絡みつき、薄く包んでゆく。
さらに、さらに。
糸は途切れることなく紅へと纏わりつく。
いうなれば、それは繭だ。
彼女の身体は、少しずつ繭の中へと沈められてゆく。
「良い体をしておるからのう。極上の巣穴となってくれるじゃろうて」
その繭は中へと取り込まれた彼女を守るためのものではない。
むしろ、彼女は――餌だ。
繭へと飛び込んでゆく子蜘蛛たち。
糸の隙間をかき分け、蜘蛛たちは繭の深部を目指す。
そうして蜘蛛は紅の肌へと到達し、彼女の肉を自らの血肉へと変えてゆくのだ。
「どうじゃ? 若く才に恵まれただけの小娘。無様に乞うのであれば――」
そう煽るオズワルド。
彼の表情は、勝ちを確信したものだった。
いや、彼は最初から自身の敗北など微塵も考えていないだろう。
だから――
「――ですね。慣れないスキルは」
――だから見落とす。
「少しだけ……手間取りました」
「!?」
直後、オズワルドは声を上げた。
それも当然だろう。
突如として飛来した剣が、彼の胸を貫いたのだから。
「――【操影】」
その理由は――影の手。
彼女のパーティメンバーである忍足雪子がよく使うスキル。
そして、景一郎の使徒となったことで紅も使用できるようになったスキルだ。
彼女は【操影】で作った手を繭の内側から少しずつ伸ばし――地面に落としてしまっていた剣を拾ったのだ。
ちょうど繭の陰になってオズワルドはそれを見落とした。
とはいえ使い慣れない【操影】――それも視界の外での操作だ。
その動きは拙く、無音とは言えなかった。
もしもオズワルドが彼女を見くびることなく、徹底的に反撃の芽を潰すように立ち回っていれば苦もなく対応できていたはず。
だからこれはあくまで――彼の油断が招いた危機だ。
「言ったはずです」
「これは――」
オズワルドに突き立てられた剣。
それが影の手を伝い――魔力を纏う。
白く、光る。
「今の私たちに、簡単に勝てると思わないでください」
剣を起点として周囲に放たれた光の刃。
それはオズワルドの肉体を深々と抉り飛ばした。
【操影】万能説。
センスさえあれば脆さしか欠点のないスキルです。
下手なチートスキルより頼りになる気が。
次回あたりから第2戦、菊理VSルーシーになるかと。