終章 13話 ターニングポイント
「【魔界顕象】!」
ガロウの一声で世界が塗り替わってゆく。
そこは荒野。
柵で円形に囲まれただけの決闘場。
大衆に見守られ、景一郎たちはその中央で対峙していた。
「――――【決闘遊戯】」
「これは……」
(紅が言っていたやつか……)
紅は以前にガロウと交戦している。
その際にこの【魔界顕象】を見たという。
ゆえに大筋の能力は聞いていた。
「【位置交換】」
景一郎とガロウの手足をつないでいた鎖。
しかしガロウが柵外にいる観客と入れ替わったことで、景一郎とともに縛られる役目は観客の一人へとすり替わる。
――この観客はいわばNPCであり、物理的に干渉することはできない。
つまり現在の景一郎は、決して動かせない杭につなぎとめられているようなものだ。
(これも聞いていた通り)
ガロウがこういった戦法を使うことも聞いていた通りだ。
このまま景一郎の動きを止め、観客の中に【隠密】で紛れ込みながら攻撃のチャンスを狙う。
それが彼の基本戦術。
「なら――」
「それでは、しばらくそのままでいてもらうとしようッ!」
そんな景一郎の予想とは裏腹に、ガロウは背中を見せて走り出す。
「なッ」
――ガロウの目的は足止め。
ならば戦場の外から攻撃を撃ち込む必要さえないのだ。
彼はあくまで景一郎をこの空間に閉じ込め、逃げ続けるために動いている。
「逃がすかッ……!」
――このままでは間合いの外へと逃げられてしまう。
そう判断し、景一郎は影の斬撃を飛ばす。
三日月の形をした黒い斬撃はガロウの背中に迫り――躱された。
すでに間合いが開きすぎているのだ。
いくら景一郎の攻撃速度が速くとも、あれくらいの距離があれば回避する余裕くらいある。
「くッ……!」
遠距離攻撃で仕留めるのは難しい。
そう確信した景一郎の行動は早かった。
「【時流遡行】!」
黒い斬撃が閃く。
それらは一瞬にして――景一郎の四肢を切り落とした。
彼の身体は鎖につながれている。
そして鎖も、その先にいる観客も一切の干渉を受けない。
なら――自分の手足を切り落とすことで枷を外せばいい。
千切れた手足は、彼のスキルで戻せるのだから。
「ッ……!」
斬り捨てた手足が戻ると同時に、彼は地を蹴った。
目指すのはガロウの背中。
距離にしてすでに100メートルほど開いているが、景一郎の速力ならばすぐに追いつける。
「がッ……!?」
――はずだった。
しかし景一郎が柵を飛び越えようとした瞬間、彼の身体は見えない壁に弾かれた。
想定外の衝撃に景一郎は地面を転がる。
「ふははははッ! 決闘者は決闘場から出ることを許されぬのだッ! どれほど強かろうと、この世界のルールを破ることは叶わぬッ!」
ガロウは彼方からそう高笑いする。
――これだけの間合いがあれば景一郎の攻撃を回避するのは容易いと理解しているのだろう。
【魔界顕象】はダンジョンのボス部屋と同じく、外界とは違う摂理が働いている。
それがこの場合、決闘のルールとして存在しているのだろう。
ガロウの【位置交換】のような特殊な手法を用いない限り、決闘者はこの柵の外に飛び出すことはできない。
それがこの世界のルールであるのなら、いくら景一郎の戦闘力が高くとも無視することはできない。
強いか弱いかの話ではない。
木からリンゴが落ちるように変えようもない世界の仕組みの話なのだから。
「私はもうお前の間合いには踏み込まないッ! つまり【魔界顕象】で相殺しない限り、この世界から逃れる方法はないッ!」
もし穴があるとするのなら、【魔界顕象】同士がぶつかることによって発生する相殺現象。
それならば世界のルールに捕らわれず、この空間そのものをかき消すことができる。
だからレイチェルは確かめていたのだ。
――景一郎が【魔界顕象】を習得しているのかどうかを。
それだけがこの作戦の穴だったから。
「私の魔力が尽きるまで5時間ッ! ここに幽閉させてもらおうではないかッ!」
しかし景一郎は【魔界顕象】を未だに習得していない。
つまり彼は、これから5時間この空間を脱出できないということなのだ。
☆
「邪魔だ」
グリゼルダの両脇から氷壁が立ち上る。
直後に響く重い音。
それは彼女を左右から挟み込むようにして撃ち込まれたグレミドールのパンチが止められた音だ。
「数を恐れるな。膂力こそ奴と変わらぬが、操作に割く意識が分散しているだけ反応速度はかなり遅くなっておる」
「言いたいことは分かるけどっ……! 固くて強いってだけで脅威だよもう……!」
詞はグレミドールの1体と交戦しながらそう愚痴を漏らす。
グリゼルダの言い分は正しい。
確かにグレミドールの反応速度はそれほど高くない。
それに加え、動きはところどころ雑だ。
とはいえあの人形がかつて『グレミィ』を名乗っていたものと同一であるのは事実。
操作精度が落ちていても、そのカタログスペックに陰りはない。
「では――【魔界顕象】で滅ぼすとするか」
100ものグレミドール。
これを放置するわけにはいかない。
そう判断したのか、グリゼルダが提案する。
「あはは……冗談冗談。これくらいこっちでちゃんとするって」
しかし詞はそれを断る。
「大駒に雑魚狩りなんてさせられないからね」
グリゼルダは【先遣部隊】と戦うための大切な戦力だ。
向こうが用意した雑兵の処理などに【魔界顕象】を使わせるわけにはいかない。
あくまでこれは、詞たちが対処すべき敵なのだ。
「……ですわね」
「ん」
「分かってるっての」
それは皆も分かっている。
だから明乃たちはグレミドールたちと交戦しながらもそう返す。
「……一応、私は切れる手札として考慮しておいてください」
ナツメは大斧でグレミドールの頭頂部を陥没させながらそう言った。
「あはは……ナツメさんは大駒の代わりにもなるから、あんまり無駄打ちしたくないんだけどなぁ」
詞は苦笑いを漏らす。
【勅命遵守】。
主の命令に従い行動することで、世界がその実現を味方するスキル。
それを駆使したナツメなら、限定的にとはいえ【先遣部隊】のメンバーとも戦える。
いざというときの大切なカードなので、あまり無理な運用はしたくない。
「ッ…………!?」
そんなことを考えていた時――異変が起こった。
「お兄ちゃんの魔力が……消えた?」
遠くに感じていた強い魔力が。
詞たちを勝利に導くはずだった力が――消失したのだ。
「うそ……やられたっての?」
「ん……違うと思う。そうなら、こんなに一瞬で消えない」
香子の言葉を透流は否定する。
もし死亡したとしても、魔力があそこまで唐突に消えることはあり得ない。
もっと徐々に、衰弱するように消えていかねばならないはずなのだ。
「わたくしも同意見ですわ。となれば――」
「なんらかの方法で別空間に飛ばされたのであろうな。閉じ込めたのか、遠い場所に飛ばしたのかまでは分からぬが」
グリゼルダはそう口にした。
「いや……直前にガロウの魔力が膨れ上がったか……? ということは、奴の【魔界顕象】で一時的に戦場から隔離したということなのかもしれぬな……」
グリゼルダが語る可能性。
異空間への隔離。
それならば脈絡もなく一瞬で魔力が消えるのも頷ける。
消えたのではなく、別の場所に移ったということなのだから。
「……それって結構まずいよね」
とはいえ、状況が好転したわけではない。
「お兄ちゃんがいないと向こうのリーダーを倒せないっていうのもあるけど――」
景一郎がいなければバベルは討てない。
しかし問題はそんなことではない。
景一郎はすでに【先遣部隊】にとっても驚異的な実力を持っている。
つまり、彼の存在は牽制として効力を持っていたということ。
それが消えたとなれば――
「お兄ちゃんがいないってことは、残る戦力を全部こっちに持ってこれるってことだから」
これから、【先遣部隊】はもっと派手に動けるということだ。
「やっと待機も終わりってわけね」
「老い先短い老人を待たせるなど、感心せぬのう……」
それを示すように声が聞こえてきた。
声の主は青髪の少女と、杖を携えた老人だ。
「――援軍ですか」
シオンと交戦していた紅がつぶやいた。
シオン、カトレア。
すでに2人の【先遣部隊】がいた戦場。
そこに新たな戦力が合流してきた。
今でもなかなか押し切れていないというのに、この状況はかなり不穏だ。
しかしそんな状況を敵が汲み取ってくれるわけもない。
むしろ【先遣部隊】の4人は魔力を跳ね上げてゆく。
そして、告げた。
世界を染め上げる言霊を。
「それじゃあ後は――好きに潰しちゃってオッケーなんでしょ?」
「まったく、若者は譲るということを知らぬのう」
「それでは、最上級の死地をここに」
「こんなにいるなら1人くらい帰っても良いでしょうに……。まあ、気が乗らないけどやれば良いんでしょ?」
「「「「【魔界顕象】」」」」
「【虹色の水槽】」
「【巣食いの森】」
「【反魂生死】」
「【叫喚胡蝶】」
4人同時の【魔界顕象】
ただ、戦いは1つずつ進めていくことになると思います。




