終章 12話 罠
(この2人が俺の足止め役っていうことは、最悪の場合――)
景一郎は考える。
この流れの裏にある意図を。
気になるのは大前提として景一郎の足止めが必要なのか、という点だ。
景一郎を倒せるのはバベルくらいのはず。
なら、勝ち目のない戦力をぶつける必要があるのか。
あるとするのなら――
「ああ、姫様はアッチに向かっちゃいないから安心していいぜ?」
彼の考えを読んだようにレイチェルがそう言った。
景一郎が考えていた足止めの理由。
それは、彼がこの場に止められている間にバベルが魔都南部にいる他の仲間を殺して回るためというものだった
先に景一郎の仲間をすべて殺してしまえば、【先遣部隊】は残る戦力を彼へと注ぎ込むことができる。
なにより、そんな事態になってなお戦う気力が保てるかというと――怪しいだろう。
景一郎の心を折るという意味では効果的な作戦だ。
「――なんの話だ」
「俺がアンタの足止めをしている間に姫様がアンタらの仲間を皆殺し――なんて作戦じゃねぇって話だよ」
それを理解したうえで、レイチェルは否定した。
「まあ、それが手っ取り早いんだろうけどさ。姫様は、今の段階では動かないつもりみたいだぜ」
「今の段階では、か」
含みのある言い方だ。
「それはつまり――そっちの作戦が上手く進んだらってことか?」
景一郎の印象として、バベルは勝ちよりも楽しみを優先する人物だ。
それもまるでゲームのような、段階を踏んだ楽しみ方をするタイプの。
そんな彼女なら、何がなんても勝ちに行くような戦い方ではなく、将棋のように順々に手を打っていくような対局を望むではなかろうか。
もっとも、同じくらい気まぐれでの行動も目立つため断定は難しいけれど。
「解釈は個人の自由だとオレは思うぜ」
肩をすくめるレイチェル。
「そうか」
元々、答えなど期待していない。
景一郎は刀を構えた。
「で、良いのか? 呑気に話し合ってて。足止め役としては楽で良いんだけどさ」
レイチェルの言葉は景一郎を急かすためのものだろう。
少しでも景一郎の行動を読みやすくするためのカードだったはず。
しかしそれに乗ったのは――
「では戦いを始めようではないかッ!」
「ってお前から仕掛けちまうのかよっ!?」
――ガロウだった。
ガロウは剣を天高く掲げて跳ぶ。
そのまま彼の巨躯は景一郎を目指して降下し――
「【影魔法】」
「【位置交換】ッ!」
――ガロウの位置がレイチェルと入れ替わった。
景一郎が振るった斬撃の間合いに踏み込むギリギリの場所で。
「ってオレかよぉぉ!?」
声を上げるレイチェル。
しかし彼の身体は慣性の法則に従い、景一郎の間合いに踏み入った。
横薙ぎの斬撃はそのまま彼の胴体に食い込み――
「【反転トラップ】」
「ッ……!」
――反射された。
影の魔力で作られた斬撃が反転し、景一郎の体を呑み込む。
「っと……これでかすり傷でも負ってくれれば御の字――」
レイチェルの言葉がそこで止まる。
――影の中から無傷の景一郎が飛び出したからだ。
「――だよなァ」
とはいえさほど期待はしていなかったのだろう。
レイチェルはため息をついただけで動揺した様子はない。
「どうせ小手調べだっただろうからなぁ……跳ね返したくらいでダメージにはならねぇか」
「悪いけど、もう悠長にお喋りするつもりはないからな」
ここから問答を続けても有用な話は聞けないだろう。
そう判断し、景一郎はレイチェルに詰め寄った。
振り下ろす斬撃。
バックステップで回避しようとするレイチェルだが、景一郎の斬撃速度は彼の動きを凌駕していた。
「うっそだろッ……!」
レイチェルが驚愕の声を上げる。
彼の肩には傷が刻み込まれ、血が吹いていた。
(少し浅いか――)
景一郎は心の中でつぶやく。
それなりに出血してはいるが、致命傷には程遠い。
深手とも言い難い。
左肩口から刃を押し込んだものの、その傷は鎖骨にさえ到達していないだろう。
「これならばどうだ!」
景一郎が追撃に移ろうとするも、そんな彼の背後にガロウが現れた。
「【秘剣・希望の剣】」
光の斬撃が落ちてくる。
速く、強い一撃。
紅の【秘剣・白雷】ほどではないが、確かに【秘剣】と呼ぶに恥じない一撃だ。
「なに――!」
だが、今の景一郎なら素手で止められる。
景一郎は掌に魔力を集め、迫った剣を掴んで止めた。
「ぬぅぅ【絶望の盾】!」
追撃を察知したのだろう。
ガロウが盾を構える。
円盤状の盾に黒い魔力が集まってゆく。
先程の光の斬撃とは対照的な防御だ。
――そこに景一郎の斬撃が打ち込まれた。
響く金属音。
斬撃が駆け抜けた後に残された盾は――わずかにヒビが入っていた。
とはいえ、あの薄い傷では全体の強度に影響を与えるほどの損傷ではない。
それを見て、ガロウは高らかに笑う。
「ふはははははッ! 【絶望の盾】に一撃で傷を入れるか! さすが――」
「傷を入れた相手にダメージ反射、なんて効果があるかと思ったんだけどな」
「――壊さないように手加減して損した」
――その盾が砕けなかったのは、景一郎の手心の結果だとも気付かずに。
「ぐお!?」
切り返しの刃に手加減はない。
追撃の刃はガロウの盾を容易く両断した。
そして、その奥にあった彼の胸板をも深くえぐる。
「がはッ……!」
ガロウが血を吐く。
今の一撃は内臓に届いたはずだ。
ゆえにもう一度。
景一郎はとどめの斬撃を振るう。
「【影魔法】」
「【魔界顕象】!」
直後、ガロウの姿が消えた。
彼だけではなく、視界の隅にいたレイチェルもいない。
ただ、景一郎の眼前に黒い球体が残された。
「こういうタイプの【魔界顕象】もあるんだな」
球体は直径4メートルほど。
おそらくガロウたちはこの内部に隠れているのだろう。
グリゼルダの【魔界顕象】などとは性質が大きく異なっているように見える。
「ガロウのは結構特殊だけどな」
数秒も経たず、レイチェルはその場に姿を現した。
ガロウも彼の隣に立っている。
「普通の【魔界顕象】は、自身の中にあるモンスターの因子に対応した世界を外部に作り出す」
レイチェルの言葉は、グリゼルダの【魔界顕象】と照らし合わせても相違ない。
ダンジョンの奥にあったあの氷の宮殿を、現実にそのまま具現化するような【魔界顕象】がまさにそうだった。
「でもガロウの【魔界顕象】は、選んだ1人だけを別空間に隔離する」
基本的に【魔界顕象】は術者を中心として一定エリアに適応されるという。
しかしガロウは違う。
彼はあの球体の中に【魔界顕象】を顕現させているのだ。
「だから疑似的な絶対防御も可能ってわけだ」
ガロウの【魔界顕象】は決闘の強制。
1対1を強要し、外部からの干渉を拒絶する性質を持つ。
本来は敵の誰かと決闘するための能力。
しかし一方で、自分と味方一人を干渉不可の空間へと退避させることができるという性質を有している。
疑似的な絶対防御とはそういうことだろう。
「にしても、そうか」
「どうしたんだ?」
何やら思案しているレイチェルに景一郎は問う。
「今のがガロウの【魔界顕象】だと分かっていても、【魔界顕象】で相殺しなかった――ってことはそういうことだろ?」
確信があったのだろう。
レイチェルは景一郎へと指を突きつける。
「アンタはまだ【魔界顕象】を習得できていない」
そう、告げた。
そう読み切った。
「魔力を節約してただけかもしれないだろ」
「まあな。だから今のは俺の勝手な推測だ。間違っててもそっちに損はないだろ?」
100%ではないからこそレイチェルはそう答えたのだろう。
しかし彼はそれなりの確度で景一郎が【魔界顕象】を使えないと考えているはずだ。
そしてそれは間違いではない。
「――てわけで」
「うぬ」
レイチェルの言葉に応えるようにガロウが剣を投げた。
剣は回転しながら景一郎へと飛来する。
これを防ぐのに苦労はない。
しかし、おそらくこれは――
「【位置交換】!」
剣と座標を入れ替え、ガロウが現れた。
だが――
「……正気か?」
「ぐふッ……!」
黒刀がガロウの胴体を両断した。
目の前の、しかも1つしかない転移先。
そんなものを見過ごすわけがない。
「――【治療トラップ】」
その時、ガロウの腹に紋様が浮かんだ。
それはトラップの陣。
おそらくトラップの効果だろう。
千切れていたガロウの身体が再びつながった。
「な……!」
想定外の復活に景一郎の反応が遅れた。
ガロウの手が彼の肩を掴む。
とはいえ戦力差は明白。
斬り捨てるまで数秒さえ――
「【魔界……顕象】ッ!」
ガロウの背後から闇が噴き上がった。
闇は景一郎たちを包囲するようにして広がる。
そのまま闇は徐々に球体状へとまとまってゆく。
「言ったろ。ガロウの【魔界顕象】は自分と標的を異空間に隔離するって」
闇の隙間から見えるレイチェルがそう口にした。
「それはつまり――1番厄介な敵を異空間に幽閉できるって意味なんだぜ?」
そのまま景一郎たちは影の繭に呑み込まれた。
ガロウの【魔界顕象】発動――