1章 アナザー 最強の一角・忍足雪子
「ん……引き続き護衛を続けてくれると助かる」
魔都。
ダンジョン攻略の最前線と呼ばれ、多くの優秀な冒険者が集まる都市。
ここにいるすべての冒険者が、以前の拠点では最強に近い立ち位置にいた者ばかり。
世間では一流と評されるBランク冒険者でさえ、ここでは木っ端に過ぎない。
そんな強者が集う都市を少女は歩く。
150センチに満たない小柄な体。
彼女が歩くたび、バレッタで束ねた銀色の髪が揺れる。
少女――忍足雪子は知人と通話を交わしていた。
話題は、彼女の幼馴染についてだ。
「ん……それじゃ、ありがと。……ナツメ先輩」
定期報告を終え、雪子は通話を切る。
端末を懐に入れ、彼女は色のない表情で歩き続けた。
「景一郎君がちゃんと帰ってなかったのは想定外」
影浦景一郎。
小学校に通っていた頃からの幼馴染の名だ。
そしてずっと想い続けている相手でもある。
「とはいえ、私の情報網から外れてなかったのは幸運だった」
景一郎が魔都を去ることになったのが先日のこと。
すぐに雪子は自身の情報網で彼の居場所を探した。
きっと故郷に戻っているとは思うが、道中で面倒事が起きる可能性を危惧したのだ。
結果として分かったのは、彼が実家に帰っていないという事実。
「おかげで……良い護衛もつけられたし」
少し焦った雪子だったが、すぐにその心配は杞憂に終わる。
偶然にも、景一郎が訪れていたのは彼女の情報網の一部だったから。
雪子は先程まで通話していた相手を思い出す。
――かつてSランクダンジョンを踏破した経験もある元冒険者を。
彼女には、常に景一郎を見守り、必要な時には手助けするよう頼んである。
彼女なら景一郎を必ず守ってくれることだろう。
「このことは……2人にはまだ秘密で」
景一郎が冒険者として活動を続けている。
そのことはまだ、パーティメンバーには秘密にしておくことに決める。
彼の進退を見極めてからでも遅くはないだろう。
「景一郎君」
雪子は呼ぶ。
友情と愛情。
どちらも雪子から奪い去ってゆく幼馴染の名を。
「景一郎君が私たちを追うなら……私たちは追いつく前にゴールする」
それは景一郎の夢の実現を阻むという意味の言葉。
正直、全力で目標に邁進する彼の姿は好ましい。
誤解を恐れずに言えば『好き。抱いて』である。
だが、追いつかれては困る。
彼を、こんな死地に呼びたくない。
ならどうすればいいのか。
簡単だ。
景一郎の歩みが雪子たちを捉えるよりも早くゴールしてしまえばいい。
オリジンゲートを攻略して、追いかける理由を奪う。
それが景一郎の安全のため。
だって――
(聞いた限りの実力じゃ、こっちでは通用しない)
景一郎の実力では、まだ魔都のダンジョンは早すぎる。
今でもBランク相当の実力を持っているらしい。
でも――そんな弱い冒険者がこんなところに来てはいけないのだ。
「ん……ダンジョン」
雪子が立ち止まる。
視界の端に映った路地裏。
そこに青い光が見えたのだ。
「……やっぱり」
雪子は軽い調子で路地に入る。
予想通り、そこにあったのはダンジョンゲートだ。
「ねぇ」
雪子はその場にいた男性に話しかける。
スーツ姿の男性。
冒険者の装備を纏わず、ダンジョンの近くに陣取っている。
おそらく監督官だろう。
「どうしましたか?」
「このダンジョン。いつできたの? ランクは?」
雪子が問うと、男性がわずかに戸惑う。
――現在の雪子は普段着である。
動きを阻害するほどではないが、防御性能は皆無。
ただのオシャレ着である。
彼女の容姿もあいまって、普通の少女にしか見えなかったのだろう。
「……15分ほど前です。ランクは計測によると……Bです」
「ふぅん」
おおかた予想通り。
まだ発生したばかりで、誰も探索に来ていないのだろう。
しかしそれもあと少しのこと。
さらに15分が経過するころには、いくつかのパーティが探索に現れるはずだ。
「じゃあ……お小遣い稼ぎに」
雪子は一歩踏み出す。
「あの……! 装備もなしにダンジョンは――!」
「あれ……?」
監督官の警告を無視して、雪子はゲートに手を入れる。
だが異変はその時に起こった。
青いゲートが黄色に変色したのだ。
「ダンジョンが黄色に変色……!? これは――」
「……ミミックダンジョン」
監督官が青ざめる。
ミミックダンジョン。
それはもっとも死亡率の高いとされるダンジョンだ。
普段は青いゲートを装っており、侵入者が現れたときにだけ黄色になる。
変色に気付いても、触れた時点でダンジョンから抜け出すことはできない。
他のダンジョンと違い、クリアまで脱出も不可。
なにより――
ミミックダンジョンは、測定よりも1ランク上のモンスターが現れる。
これらの理由により、想定外の事故が頻発するダンジョンなのだ。
「Bランクのミミックダンジョンということは、実質的にAランクダンジョン……! も、もうすぐ他の冒険者が来るはずです……! だから無茶はしないで合流を――」
「だいじょび。もーまんたい」
慌てる監督官を雪子は手で制す。
彼女の無表情に揺らぎはない。
「普段着だけどセーフ。これくらいのダンジョンならナイフ1本で――」
雪子は腰元を手で叩く。
スカ…………。
驚くほど手ごたえがない。
雪子は目を瞬かせた。
「……ナイフも忘れてた」
防具なし、武具なし。
どうやら完全に一般人スタイルだったらしい。
「ぎりせーふ」
とりあえず親指を立ててみた。
(ん……【隠密】で隠れながらやれば問題ない)
――俗にそれをフラグと呼ぶ。
☆
「【隠密】メタがヤバすぎる件」
それがこのダンジョンへの評価だった。
雪子は機械仕掛けダンジョンを見回す。
壁も天井も床も金属製。
よく分からない回路が走るダンジョン。
そこかしこにいるモンスターはすべて機械系だった。
「これはアサシン目線では糞ダンジョンと言わざるを得ない」
【隠密】無効のレーダーによって位置を捕捉される。
スピードで逃げても、馬鹿のような広範囲に弾丸をばらまかれる。
雪子以外のアサシンなら開始10秒で死んでいるだろう。
「ん……」
雪子が壁に背をつけた瞬間、壁から機械のアームが飛び出した。
アームの先端が手錠のように彼女を縛る。
どうやらダンジョントラップにかかってしまったらしい。
耳元でモーター音が聞こえる。
首を回すと、そこにいたのはAランクモンスターであるロックメタル。
敵を拘束することに特化しており、他のモンスターと同時に現れた場合はかなりの鬱陶しさを誇るモンスターである。
「……捕まった」
気が付くと、両手両足首に拘束が施されていた。
そのままアームが伸び、雪子の体は宙吊りにされる。
「これは大ぴんち」
アームが伸ばされたせいで、暴れても本体に手が届かない。
そもそも雪子はアサシン系列の冒険者だ。
スピードは高いが、パワー不足。
その原則は彼女にも当てはまる。
端的に言えば、全力を出しても拘束を解けない。
「これは……股を開かされてサービスさせられる展開」
だが彼女に焦りはない。
むしろ呑気といっていい。
拘束されていても、そこに無数の攻撃が迫っていても。
それは彼女の命に届かない。
確かに、彼女はアサシンの系譜に属する冒険者。
パワーで抑えられるのは苦手だ。
だが、厳密にいえば彼女はアサシンではない。
彼女の職業はアサシン系最強職【凶手】なのだ。
「だから……【死んで】」
何気ない言葉。
だが、ロックメタルは一瞬にして機能停止した。
不可逆的な機能停止。
すなわち――絶命。
これは雪子が持つスキル【殺害予告】の効果だ。
喋りかけた相手を絶命させる。
凶悪無比なスキル。
本来なら格下にしか効かない雑魚狩りのスキル。
だが問題ない。
忍足雪子にとってAランクモンスターなど格下以外の何者でもない。
「めんどくなってきた……」
雪子は嘆息する。
今日はオシャレ着。スカートである。
宙吊りにされた彼女のテンションはかなり下がっていた。
「なるはやで終わらせる……」
「【隠密・無縫】」
その瞬間、雪子は世界から消えた。
姿だけではない。
この世界に住む人間の記憶から消え去った。
見えない。覚えていない。認識できない。
【隠密】スキルの最高到達点。
これは雪子にしか許されないユニークスキル。
今の彼女の存在を看破できるのはSランクの高みだけ。
☆
ダンジョン探索開始から5分。
雪子はボス部屋に立っていた。
「アサシン系のスキルを持ったキルマイスターがボス」
雪子と対峙しているのは細身の男性だった。
とはいえ人間ではない。
【隠密】を始めとした複数のアサシン系スキルを有するAランクモンスター――キルマイスターだ。
「妙にアサシンメタなダンジョンだったのは、ボス部屋にアサシンが入れないように」
ボス部屋はボスモンスターに有利なように。
その原則は必ずしもボス部屋だけとは限らない。
キルマイスターはアサシン系のモンスター。
同じアサシン系の冒険者がいるのといないのとでは攻略難度が大きく変わってしまう。
だから道中でアサシンが死ぬようにダンジョンが設計されていたのだ。
「ん――」
構えもせずに立つ雪子。
そして――キルマイスターが駆けた。
彼は一直線に雪子を目指す。
そのスピードは一級品。
Aランクモンスターの中ではトップクラスのスピードといえる。
とはいえ――
「正面から襲いかかるとは片腹痛し」
――アサシンの戦い方としては不合格だけれど。
雪子は徒手で構え、キルマイスターを待つ。
――そのとき、彼女の脳に電流が走った。
別に雷撃の魔法を食らったのではない。
雪子の頭脳が悪魔的な事実に至ってしまった――その衝撃だ。
「………………もしかしてこっちが背中だと思った可能性……?」
雪子は血を吐きそうになった。
よりにもよって目の前のモンスターは、雪子の一番触れられたくない部分へと皮肉を叩きつけたのだ。
「これは絶対に殺すしかない」
雪子の目に殺意が宿る。
「これはもう……赦されない」
彼女の手が黒く染まった。
悪意。
怨嗟。
殺意。
どす黒い炎がオーラのように彼女の右腕から湧き出す。
「【死神の手】」
雪子が右腕を突き出す。
キルマイスターとの距離は約10メートル。
無手で届くような間合いではない。
しかし、雪子が間合いを測り違うなどありえない。
「死ね」
黒いオーラが右手から伸びる。
呪いは腕の形を成し――キルマイスターの胸に触れた。
指先が擦るような、ほんの些細な接触。
だが――それが致命傷。
「【凶手】のスキルはほとんどが即死攻撃。覚えておいて欲しい」
雪子は――手中にある心臓を握り潰した。
「……!?」
キルマイスターが急激に失速する。
風を切るような疾走は緩慢な歩みへと変わる。
ゆらゆらと揺れる体。
そして数歩の後、キルマイスターは地面に倒れる。
彼の胸にはぽっかりと穴が開いていた。
【死神の手】
雪子の手から放たれた呪いのオーラ。
それに触れた敵の心臓を奪い取る。
触れたら即死の中距離攻撃。
「私の急所を的確に攻撃する姿……暗殺者として敬意を示す」
雪子はキルマイスターに歩み寄る。
目に宿るのは、同じ暗殺者としての敬意。
「でも勘違いしないで欲しい」
一転して、彼女の瞳に軽蔑の色が宿る。
「いくら貧乳と蔑まれても……私はまだ負けてない。発展途上なだけ」
それはそれとして、乙女としての怒りはおさまらない。
雪子は躊躇いなくキルマイスターの後頭部を踏み潰した。
ゲートには
青→ノーマルゲート
黄→ミミックゲート
赤→スタンピードゲート
黒→オリジンゲート
の4種類が存在します。
これらの特殊なダンジョンは、景一郎サイドの物語でも登場する予定です。