終章 9話 開戦
「あちらも、戦争の準備を整えておるようじゃのう」
黒い城の玉座で老人――オズワルドが嗤う。
しかしそれは健闘を称えているわけでも感心しているわけでもない嘲りの類の笑みだった。
「数だけの雑魚でしょ?」
そして青髪の少女――ルーシーは隠すことさえなく鼻で笑う。
とはいえそれも仕方がないことなのだろう。
現在、かつて魔都と呼ばれていた地――魔天城の南部には大勢の冒険者たちが控えている。
おそらくこの城を攻め落とすために用意された戦力なのだろう。
「っていうかメンドいわね、いつまで待たせるってのよ。始める気がないなら、アタシから始めてやっても良いんだけど?」
ルーシーが苛立たしそうに爪先で床を叩く。
コツコツという音が広間に反響した。
彼女は気が短い。
敵が待機しているのに戦いが始まるわけでもないという宙吊りの状況にストレスを感じているのだろう。
「……あと30分だろ」
レイチェルがぼそりと口にすると、ルーシーが片眉を上げた。
「……なんで分かるわけ? 予知能力?」
「そりゃオレじゃなくてアッチだっての」
十中八九、あちらの陣営には未来予知ができる者がいる。
そうでなければ、これほどの戦力差からここまで善戦できるわけがない。
「逆算だよ逆算」
とはいえ、そうと分かれば打つ手はある。
「向こうは1秒でも長く準備がしたい。だから、オレたちが絶対に行動しないと自信を持てるタイミングを予知で割り出して――ギリギリまで準備をする」
向こうの陣営が握っている切り札――影使い。
彼は時間が経つほど肉体が神へと近づき、戦闘力を増してゆく。
ゆえに準備は長ければ長いほどいい。
完全に神化しない範囲で、という注釈はつくけれど。
「なんであと30分はアタシたちが動かないって分かるのよ」
「そりゃあ――」
レイチェルは視線を送る。
広間の奥にある玉座。
そこに座る少女に。
「――ウチの姫がお昼寝中だからな」
そこには頬杖をつくようにして眠りこけた白髪の少女――バベル・エンドの姿があった。
彼女は【先遣部隊】の最高戦力。
彼女を倒さなければ影使いの陣営に勝利はなく、彼女さえ生きていれば【先遣部隊】は必ず勝利する。
この戦いにおけるキーパーソンだ。
「いつも通りなら、姫が起きるまであと30分だ」
彼女はいつも決まった時間に昼寝をして、決まった時間に起きる。
そのことを向こうが知っているかは分からないが、予知能力者なら『バベルが行動しない時間帯がある』ことくらいは分かるはずだ。
「姫しか影使いは殺せない。なら、オレたちも姫が起きるまで動けない」
影使いには【先遣部隊】のメンバーで包囲しても勝てないだろう。
バベルという個の力が必要となる。
だからこそ【先遣部隊】はバベルが行動を再開するまで戦いを始めない。
「とはいえ襲撃されても眠り続けるほどじゃねぇからな。姫が寝てるタイミングで仕掛けるくらいなら、影使いの覚醒率を上げるためにちょっとでも長く準備したいってことだろ」
だがそれは向こうが仕掛けてこなければの話。
影使いがこちらに侵入したのなら、バベルはすぐに行動を始めるだろう。
しかし時間をかければ有利になるのは向こう側。
なら、無理に戦いの開始を早めるメリットはない。
合理的判断の下、この30分間は向こうの陣営としても仕掛けずに待機しておきたいだろう。
「だけど、待ちすぎて姫が起きちまえばいつオレたちが仕掛けるかの予想が不完全になり、オレたちに先手を譲っちまう可能性が出てくる」
もし30分を過ぎてバベルが起きたなら。
【先遣部隊】は1秒後に動くかもしれないし、1時間動かないかもしれない。
未来を視ていたとしても確実な予測は困難になり、結果として【先遣部隊】が先に攻撃を仕掛けてくる可能性もある。
だから30分を越えて待機するのも危険。
「開戦が早すぎれば姫を倒せるだけの性能が手に入らない。遅すぎればオレたちに主導権を奪われるかもしれない」
今すぐ仕掛ければ影使いの戦闘力が上がり切る前にバベルとぶつかる。
遅すぎれば戦いの主導権を奪われかねない。
なら――
「なら開戦のベストタイミングは――姫が起きる直前の一点狙いしかない」
バベルが起きる直前。
【先遣部隊】が絶対に動かないと保証できる時間の中で、もっとも遅いタイミング。
影使いの覚醒率の向上と、戦いの主導権の奪取を確実に実現できる最後のタイミング。
それが30分後なのだ。
29分でも31分でもない。
そのタイミングでなければならないのだ。
このあたりはバベルの機械的ともいえる睡眠周期があってこその読み合いだろう。
「未来予知なんてのは、一本道しかない戦いじゃ役に立たないもんなんだ」
未来予知の真髄は『選択』だ。
無限の道筋から、一番利益を得られる選択をすることに意義がある。
逆説的に言えば、取れる手段が一つしかないのなら未来など見えていても意味がない。
「有利に戦うにはオレたちの予想通りに動くしかなくて、強引に裏をかこうとすれば損をする。そんな状況に持ち込めば予知なんてないのと一緒だ」
もし裏をかくために早すぎる開戦を選べば、どうせ影使いはバベルに殺される。
もし裏をかくために開戦を遅らせれば、痺れを切らしたルーシーあたりが敵陣をいきなり襲いかねない。
それらを避けるには最善の一手を打つしかなく、最善ゆえにこちらもおおよその予測ができるというわけだ。
大前提として、総戦力では【先遣部隊】が上だ。
だからこそ向こう側は、裏をかくための損を取ることができない。
「今回は、予知のアドバンテージがないガチンコ勝負ってわけね」
「ま、そうなるな」
両陣営の力が拮抗しているのなら、そういった駆け引きにも意味がある。
しかし今の陣営の力関係ではそれは許されない。
向こうが損を承知で奇策に走るのなら、こっちは正面から叩き潰せばいいだけなのだから。
向こうには裏をかくために割く余力などない。
最大限のパフォーマンスでぶつかることだけが勝機なのだ。
「であれば、儂らに負ける道理などあるまい」
オズワルドは杖で床を突く。
実際のところ、正面対決ではこちらが8割以上の確率で勝利できるだろう。
だがそれは賞賛すべきことだ。
異世界の門で対面したときは、ここまでの対決になるとは思ってもみなかったのだから。
あそこから勝率を2割にまで引き上げたことそのものが戦慄に値する。
「それで、こちらの準備はできておるのかのう?」
「――ええ」
オズワルドが暗い廊下へと向かって声をかけた。
そこから現れたのは黒一色のメイド服を纏った女性――シオンだ。
「お、……おぉ?」
彼女だけではない。
シオンの隣には小柄な少女がいた。
腰まで伸びている金色のウェービーヘア。
幼さが濃く残る顔立ち。
戦場に立つとは思えないパジャマのような衣装。
あえて表現するのなら『ゆるふわ』とでも言うべき少女がそこにいた。
「グレミィさんは、私のスキルで蘇生しておきました」
シオンが少女に目を向ける。
少女の名はカトレア。
本来は【先遣部隊】の一員になるはずだった少女。
そしてグレミィが自身の能力で依り代にしてしまった少女だ。
シオンはこの戦いに向け【ネクロマンサー】のスキルでグレミィをゾンビとして蘇生させていた。
そうして復活したグレミィはカトレアの死体を使って再び戦線に復帰したというわけだ。
「そしてグレミィさんには、アンデッド100体分の指揮権を譲渡しています」
つまりグレミィは現在、シオンが操るゾンビの一員でしかない。
だがゾンビの中に上下がないわけではない。
シオンの調整次第で、生前の意思を残し――ゾンビの指揮官として運用することもできる。
「そうしたらぁ……ボクちゃんが100体のアンデッドを使って、間接的に人形100体を操作できちゃうんだおぉ」
グレミィがへらりと笑う。
彼は今、シオンにより100のゾンビという手足を与えられた。
彼はこれまで、自身が搭乗者となり戦闘人形を操作していた。
だが、今の彼が操ることのできる手足は100人分。
言い換えるのなら、彼はあの人形を100体同時に操作できるようになったということ。
「名付けて――グレミドール部隊だお」
グレミィの背後には大量の戦闘人形がひしめいていた。
ここからは呼び分けが面倒になるので、本体(宿主の肉体)=グレミィ(あるいはカトレア)、人形=グレミドールと呼ぶことになると思います。グレミィとグレミィ人形じゃ地の文が分かりにくいので……。
ちなみに景一郎陣営の勝率2割というのは、そのままレイチェルが考える『景一郎がバベルに勝つ確率』です。【先遣部隊】の中ではかなり高評価なほう。