終章 2話 不要な憂い
「え、ちょっと冗談キツイよお兄ちゃん」
詞は芝生の上でパタパタと足を揺らす。
「それくらい強くないといけないって言いたいのは分かるけどぉ」
拗ねたようにそう言う詞。
世界を守る戦い。
この戦いに勝ったとしても――いや、勝つからこそ世界は続いてゆく。
そうなれば【面影】は大きな役割を担うことになるだろう。
紅、菊理、雪子。そして景一郎。
4人のSランク冒険者を失った日本には新たな英雄が必要になる。
残されたSランク冒険者だけでは、これまでのパワーバランスを保てなくなるからだ。
そうなれば必然的に、【面影】は直接的に世界を救ったパーティとして担ぎ上げられる。
そんなパーティの頂点に立つということ。
相応の実力を求められるというのは事実だろう。
だが、
「いや。お前は分かってない」
違うのだ。
景一郎が、彼と刃を交えようとする理由はそうじゃない。
「俺は別に、お前に強さなんて求めてない」
力を示せというつもりはない。
「俺は、お前の強さを認めてるだけだ」
――力を示したいのだ。
月ヶ瀬詞という冒険者が【面影】の次期リーダーにふさわしい実力者なのだと。
彼自身に示したいのだ。
「え……?」
「ごめんな。すぐに気付けなくて」
景一郎は謝罪の言葉を口にする。
正直なところ、彼もここ最近はあまり余裕がなかった。
平気な風を装っていても、周りに気が回っていなかった。
だから気にかけなければならないことを見逃してしまっていたのだ。
「――不安なんだろ?」
最善だと信じて、詞を2代目リーダーに指名した。
その選択を間違っているとは思わない。
だが、抜け落ちていた。
そんな大役を否応なく受けることとなった彼の不安を慮れなかった。
「勝っても負けても、この世界は大きく変わる」
それは事実だ。避けられないことなのだ。
景一郎たちは戦いと共にこの世界を消え、残された詞たちはこの世界を生きていかねばならない。
「それをいきなり背負わされて、不安なんだよな」
詞にとって一番の重荷となっているのは、弱音を吐ける場所がないという点だろう。
リーダーとなれば必然的にメンバーに不安を吐露するのが難しくなる。
不安そうな顔で先頭を歩いたとして、皆はついてきてくれるだろうか。
そう思うものだ。
となれば本来、そういった弱音の受け皿となるべきなのは先代リーダーである景一郎だ。
しかし彼の事情もあり、詞は相談できないだろう。
――自分よりも大変な状況なのだから負担を増やすわけにはいかない、と。
そんな重荷を抱えたままでいる彼を今まで放置してしまっていた。
「俺の後始末なんか押し付けられて、頭が痛いよな」
少なくとも、景一郎が同じ立場だったらそう思う。
そうならない者がいるとしたら、よほどの自信家なのだろう。
「どんな言葉をかけようかとか、結構考えたけど――やめた」
ここで心を震わせる名言を口にできたらどれほど良かったか。
しかしそういったセンスは持ち合わせていない。
「俺が【面影】の初代リーダーとして残せるものは、これくらいしかない」
景一郎は黒刀を構える。
これで伝わるのかは分からない。
だが、彼はこの伝え方を選んだ。
「詞。俺に一発入れてみろ」
自分にやれるのかが不安だというのなら、それが不要な憂いであると示すしかない。
「お前は、自分で思っているより強い」
その刃は、いずれ神となる男にも届きうると教えたい。
「手合わせとか訓練とかじゃなくて、殺す気で俺を斬れ」
☆
「これさ……全然ダメじゃない?」
突っ伏すように詞は芝生に崩れ落ちる。
彼のドレスは汚れ、かなり傷んでいた。
裂傷こそないものの打ち身の跡が肌には残っており、満身創痍といった様子だ。
――気が付けば、あれから軽く1時間はすぎていた。
「そうか? 一発は一発だろ」
景一郎は顎をさすりながら腰を下ろす。
顎に触れていた手に視線を下ろすと、そこにはわずかな血がついていた。
かすり傷から滲んだような少量の血。
それでも間違いなく、詞の攻撃が当たっていた証明だった。
「やっぱり無理ぃ~。お兄ちゃんに一発とか無理だってぇ」
「いや。だから入ってるだろ?」
少し体力が戻ったのか寝転がったまま手足をばたつかせる詞。
あの一撃は彼の中でカウントされていなかったらしい。
「――良いアイデアだと思ったんだけどな」
景一郎は空を仰ぐ。
彼は冒険者となった瞬間から【聖剣】に所属していた。
【聖剣】では初代リーダーを務め、後に紅へとリーダーを任せた。
とはいえそのころには紅のほうが圧倒的に強かった。
ゆえに引継ぎなどといったものが必要なかったのだ。
むしろ力不足だったからこそ、ふさわしい相手に譲ったというべきか。
そのため教えるべきことも、手伝えることもなかった。
そんな経験不足が今になって痛い。
もっと色々なパーティとの経験があれば、上手く詞の不安を拭えたのではないだろうか。
「まあ……あれだ」
景一郎は頭を掻く。
「どうしても駄目そうだったら俺を呼べ。神様になるっていうなら、多分聞こえるだろ」
そしてそう告げた。
「そうしたら、多少強引にでも理由をつけてこっちの世界に戻ってきてやる」
気休めかもしれない。
実際そんなことが可能かなんて分からない。
それでも心からそう告げた。
今はこんなことしか言えないが、この戦いが終わるまでには――
「……ふふ」
そんなことを考えていると、詞の笑いが聞こえてくる。
彼は寝転がったまま耐えきれなくなった様子で笑みをこぼしていた。
「別に良いですよ~ってね」
半笑いで詞がそう答える。
「お兄ちゃんがいなくなっても、ちゃんと頑張っていけるよ。皆に助けてもらいながら」
「そうか……?」
景一郎は聞き返す。
無理はしていないのか。
そんな意思を込めて。
「でもさお兄ちゃん」
詞は空を見上げたまま大きく息を吐く。
「どうしても不安になったら、弱音吐きに来ても良い?」
「……ああ」
景一郎は頷いた。
妙に物分かりの良い言葉は、詞の気遣いだったのかもしれない。
どうにか彼の不安を取り除こうとして。
それでもいまいち上手くやれなかった。
そんな景一郎への配慮だったのかもしれない。
「ならいいや」
詞は手足を投げ出す。
そうやって浮かべられた笑顔は、さっきまでよりも自然なように思えた。
――もしかすると景一郎は思い違いをしていたのかもしれない。
景一郎は刃を交え、詞の強さを証明しようとした。
しかし、そもそもとして示さなければいけないものが間違っていたのだ。
景一郎が示すべきだったのは詞の強さなどではなく、景一郎の弱さだったのかもしれない。
どうにか詞を元気づけようとして失敗する情けない姿。
それは詞が景一郎というリーダーに抱いていた虚像に少しのヒビを入れた。
これまでリーダーを務めていた景一郎も、一人だけで考えていたらこんな浅知恵しかひねり出せないのだと示した。
詞はどうにも景一郎を特別視していた節がある。
しかしそんな景一郎も一人で考えてドツボに嵌まればこうなる。
彼もまた詞たちに助けられていたという事実がより鮮明になった。
目指さなければならない完璧なリーダー像など存在しないと示した。
失敗をさらすのはなんとも気恥ずかしいが、役に立ったのなら悪いことではないのだろう。
「あ、どこで話しかければいいか考えてて気付いたんだけど……お兄ちゃんがいなくなった後って記念碑とか建つの? それとも墓碑?」
「…………どうだろうな」
正直――どっちも嫌だ。
はたして世界を救えば銅像なんかも作られるのか。




