8章 エピローグ 彼方の未来でも変わることなく
「――なんで教会なんだ?」
使徒契約を結ぶ場として来見が選んだのは教会だった。
ステンドグラスを通したことで色彩豊かになった光は美しく、神々しささえ感じさせる。
とはいえ、日を改めてまでここを選ぶ必要があったのか。
「おやおや、ひょっとして景一郎君は白無垢が好みだったのかな?」
「そういう話じゃない」
景一郎に和洋のこだわりはない。
さらにいえば、そもそもそういうつもりで聞いたわけでもない。
「女神の力を最大限に発揮した少女は花嫁衣装を纏うこととなる。常識だよ」
「知らねぇそんな常識」
知らないが多分違うと思う。
――いや、思い返せば女神本人であるリリスが纏っているのは花嫁衣裳だったかもしれない。
もっとも、清純さとはかけ離れた禍々しいデザインだったけれど。
そう考えると案外、来見の発言も遠からずなのだろうか。
「ま、もう少女って歳じゃないだろうけどさ」
「お前……ちゃんと未来を視てから喋ってるんだろうな……?」
――殺されかねない発言である。
「ああ。安心していいよ。男性経験のほうはむしろ女子小学生みたいな感じだから。今のところは――ね」
「……ひょっとして、この戦いでのお前の役割ってもう終わったのか? いい具合に自殺しようとしてないか?」
生きる希望でも失ったのだろうか。
「……まさか」
くすりと来見は笑う。
「さすがに生きるさ。それくらいの責任はとるよ」
幾何学の瞳が景一郎を見つめる。
そこに偽りの色はない。
「精々、生きている間くらいはこの世界のために尽くし続けるよ……君ほどの長さじゃないけれどね」
「……そうか」
神となったとき、景一郎は寿命という枠から解き放たれるそうだ。
死でさえ終わりではない。
死を迎えようとも、世界を守るためにコンティニューを強いられる。
そんな未来が待っているらしい。
それに比べれば、来見の寿命は一瞬に等しいのかもしれない。
それでも彼女の言葉を軽視する気にはなれなかった。
これからも彼女は未来を変えていくのだろう。
何かを拾い、何かをこぼしながら。
掌に乗せられる人間を取捨選択し続けるのだろう。
そして景一郎は――こぼれる側の人間だった。
「じゃあ生きている間で構わないから、残った皆のことを任せても良いか?」
ゆえに景一郎は、彼女の眼に大切な人達の未来を託す。
贖えというわけではない。
だが、それくらいならば融通してもらってもバチは当たらないだろう。
「天眼家の人間は命を数で考える」
ぽつりと彼女はそう言った。
「未来が視える人間が誰かの肩入れをするなんて、不平等極まりないからね」
それは未来を視る者の――違う視点で世界を見下ろす人間のルール。
「だから感情ではなく、合理の天秤で物事を判断しなければならない」
未来が視えるからこそ人間のように感情で動くことは赦されない。
機械のように、システムのように、神のように。
より多くの人々のためだけに力を活かさねばならない。
だから景一郎の頼みは、その在り方と真っ向から対立するもので――
「でもその原則を、今回は曲げようか」
――それでも、来見はそれを受け入れた。
その意味は分からない。
都合が良かったのか、言葉のままの意味だったのか。
それを知る術はない。
「君の未来を奪った償いだ。君の代わりだなんて口が裂けても言えないけれど――君の仲間だけは不平等に助けるよ」
「……そうか」
それでも――その約束は守られる気がした。
☆
――儀式は想像よりも粛々と行われた。
厳かな音楽が鳴るわけでもない。
ここにいるのは【聖剣】や【面影】の限られたメンバーだけ。
そんな閉じられた世界で、世界の命運を決める儀式が執り行われた。
「――――――」
景一郎はバージンロードの向こう側を見つめた。
そこには4人の女性がいる。
これから終わらぬ戦場を駆けてゆく仲間が。
「景一郎」
鋼紅が踏み出した。
彼女は純白にして潔白の花嫁衣装を纏っている。
特別な衣装が施されているわけではない。
なのに彼女が身につければ、時を忘れてしまいそうなほどに美しい。
「景一郎君」
忍足雪子が歩む。
彼女のウエディングドレスの丈は短く、ミニスカートのようになっている。
身軽そうなドレス姿は、何にも縛られない彼女の在り方を表しているようだ。
「景一郎さん」
糸見菊理が歩を進める。
他の3人と違い、彼女が着ているのは白無垢だった。
想像通りの和装。
しかしその美しさは想像を容易く越えている。
「主殿」
グリゼルダ・ローザイアはヒールの音を高らかに鳴らした。
彼女が選んだのはマーメイドタイプの花嫁衣裳。
ドレス姿ならば見慣れていたつもりだったのに、そんな考えは浅はかだったと思い知らされるまでに1秒さえ必要ない。
たとえ何度も目を合わせたとしても。
初めて出会ったときに感じた、畏怖さえ抱くあの美貌は微塵も色褪せない。
「本当に良いのか?」
4人の女性を前に、景一郎は最後の問いを投げた。
「聞いた話じゃ、俺たちに寿命なんてなくなるらしいぞ」
寿命がなくなるのは景一郎だけではない。
使徒となれば、彼女たちにもその影響が及ぶ。
だから引き返せるのはこれが最後。
ここで手を取れば、もう景一郎たち5人は人間として生きられない。
「――望むところですね」
「ん」
「永遠もきっと、景一郎さんとなら短く思えてしまうかもしれませんね」
「気は合わぬが、それには同意だな」
人生を左右する――いや人生を捨てるかどうかの決断。
そのはずなのに、彼女たちはあっさりとそう答えた。
「言っても……無駄なんだな」
言葉は尽くした。
これ以上の確認はきっと野暮なのだろう。
「ええ」「ん」「はい」「無論」
それを証明するように、彼女たちの微笑みに陰りなど一切存在しなかった。
「そうか――」
ならばもう、認めるしかないだろう。
素直に感謝するしかないだろう。
孤独な未来を、共に歩んでくれる彼女たちに。
「なら頼む」
ゆえに景一郎は手を伸ばす。
手の甲を上に向け、彼女たちに差し出すように。
「――永遠に」
手の甲に、4人の使徒は口づけをした。
次回は【先遣部隊】サイドとなり、そこから最終章へと続きます。