8章 30話 たとえ生きる世界が変わろうとも2
「ホントにムカつくわねッ……!」
深夜の訓練場で香子は蛇腹剣を振るう。
その声には隠せない苛立ちがにじんでいた。
「なんで! なんで……!」
蛇腹剣は繊細な武器だ。
ちょっとした操作ミスで軌道が大きく逸れてしまう。
今回だってそうだ。
精神の乱れはそのまま太刀筋へと反映され、狙った通りに動かせない。
ブレた刃先が地面を抉った。
地面を削り飛ばす抵抗で斬撃の勢いが衰え、蛇腹剣を振るい続けることが難しくなる。
――これが戦闘中であったなら明らかな失態だ。
普段の彼女ならそうそう見せることのないミス。
その原因は自分でもよく分かっていた。
「なんであそこで……一緒に行きたいって言えなかったのよッ!」
香子は地面を踏みつける。
「なんでよ……」
確かに景一郎は彼女を止めた。
だが、止められたのは彼女だけではない。
実際に紅たちは制止を振り切って彼とともに歩くことを決めた。
だから言い訳の余地などない。
彼と共に生きられない道を選んだのは――間違いなく彼女自身だった。
「ついて行くって言える覚悟もない癖に……」
香子は苛立っている。
その矛先は――
「――――なんで……泣いてんのよ」
想いを伝えることも貫くこともできないくせに、未練がましく涙を流す自分自身だった。
☆
「んー……これは」
詞は小さく声を漏らす。
彼の視線の先には、目元を拭う香子の姿があった。
【隠密】で気配を隠していたおかげで、彼女はこちらに気付いていないようだ。
「ん……声はかけない?」
詞が訓練場を立ち去ろうとすると、背後から声をかけられた。
――透流だ。
どうやら【隠密】で隠れていたのは彼だけではなかったらしい。
「まぁねぇ」
詞は軽い調子でそう手を振る。
「一応リーダーを任されたわけだし、パーティメンバーのメンタルケアでも――と思ったんだけどね」
詞は力の抜けた笑みを浮かべる。
「あれは、見なかったことにしておくのが一番かなって」
「ん……分かる」
彼の言葉に透流が頷く。
誰にも見られたくない弱さというものはあるだろう。
手と手を取り合って立ち上がる。
香子がそういう性格なら声をかけたかもしれない。
だが違う。
きっと彼女は一人で立ち上がり、平気そうな顔で戻ってくるのだろう。
今日の涙を誰にも悟らせず。
なら詞に出来ることは、気付かなかったフリを貫くことくらいだ。
「透流ちゃんは大丈夫?」
「ん……思うところはある」
詞が問いかけると、透流は無表情で頷く。
「でも……ついて行ったことを、後悔しない自信がない」
首を振る透流。
今は良いかもしれない。
一時の感情で踏み出すのは簡単かもしれない。
「大丈夫って自信を持って言えない私が……ついて行ったら駄目だと思った」
だけどその先で後悔してしまったとき。
一番傷つくのはきっと景一郎だ。
だから、確信も覚悟もなく彼の後を追うことはできない。
すべてを捨てて追いかけられるほど――この世界への未練は軽くなかった。
「……そっかぁ」
詞は空を仰ぐ。
見えるのは暗闇と星。
静かな星空は、綺麗なのに寂しくなってしまう。
「ん……詞さんのほうは」
「え?」
透流がそう問い返してくる。
詞は歩きながら頬を掻く。
いざ問われてみると返答に困るものだ。
「あははははぁ……」
意味のない笑みが漏れた。
「僕は【面影】の二代目リーダーだからねぇ。それに男の子だし?」
景一郎がこの世界からいなくなる。
それは詞たちの感情だけにとどまる問題ではない。
6人中3人。
日本はSランク冒険者の半分を一気に失うのだから。
残された者の責任は――重い。
そんな未来を任された。
景一郎はそこに介入できないから。
彼が守った世界を、守り続ける役目を託された。
だから――
「……大丈夫って、言わなきゃなぁ」
――何があっても、彼が言わなければならない言葉は決まっていた。
次回からエピローグです。




