8章 24話 神成り
「ふふ……さすがに、いきなり敵の言うことは信じられないよね」
景一郎の反応が薄かったからだろうか。
バベルはそう肩を揺らす。
「別に信じてもらう必要があるわけでもないから構わないけど」
彼女にとっては彼が耳を傾けるかなどどうでも良いことなのだろう。
あくまで彼女は楔を打ちたかっただけ。
信じる必要はない。
ただ少しの引っかかりが生まれるだけで充分だったのだ。
「もっとも、神の因子の性質についてはボクの左手で分析したからこそ分かった事実だからね。君の周囲の人間が、どれくらいその事実を認識したうえで踏み出したのかは分からないか」
両手を広げて微笑むバベル。
その姿は不可思議で妖しく――神々しい。
「というわけで、帰ったら聞いておいてよ。僕としては、自分の宿命を理解したうえで戦場に立った英雄と戦いたいからね」
そう言うと彼女は景一郎たちに背を向ける。
「帰るのか?」
あまりにもあっさりと退くバベル。
そんな彼女にレイチェルは声をかけた。
しかし彼女は歩みを止めない。
「うん。どうやらこの世界は、ボクが想像していた以上の準備をしてくれているみたいだからね。ちょっとくらいなら、お預けされてあげてもいいかな」
待つ価値がある娯楽。
どうやら彼女の中で、景一郎はそんな位置づけになったらしい。
「じゃあガロウとルーシーも拾っていくか」
そんな彼女の気まぐれに異を唱える気はないらしく、レイチェルは呆れたように頭を掻きながらも彼女の後を追う。
「グレミィは良いのかい?」
「死んじまったみたいだからな」
「ふふ……なるほど。でもアレは死体も使えるし、持って帰ろうかな」
「――分かったよ。姫様」
そんな雑談を交わすバベルたち。
だがここは彼女たちにとって敵地。
それもすぐそばに景一郎たちがいるのだ。
このまま見送るわけもない。
「この状況で易々と逃げられるつもりなのか?」
「この状況……っていうほどのことかい? 君を殺せば全部解決。そして君は僕に勝てない。だからこれは逃げるんじゃなくて、見逃してあげるって話だよ」
景一郎の言葉にバベルは当然のように答える。
負けの可能性など一切考慮していない発言。
それはあまりに傲慢だというのに、奇妙な説得力がにじんでいた。
――本能的に、景一郎も彼女の実力を察知しているということだろうか。
「随分とはっきり言い切るんだな」
「まあね。確かに君と僕の相性は悪い。だけどまだ君は弱すぎる。熟しきっていない君だからこそボクの天敵になるとは言っても、青すぎたら意味がない」
つい先日まで、景一郎と異界の冒険者の間には彼我の実力差があった。
アナザーとの同化を経て、その差は縮まり――逆転したように思う。
それでも。
それでもだ。
今でもまだ、景一郎の力はバベルの域に到達していない。
口では引き留めつつも、実際に戦うことになれば負けるのが自分だと自覚している。
だからだろう。
これ以上、離れてゆくバベルへと声をかけることができなかった。
「というわけで、もうちょっと熟れてからすべてを決めようじゃないか」
ここから最終章までバトルは無しです。
8章後半は景一郎が背負うことになった宿命と、それを知らされた仲間たちの選択がメインとなる予定です。