8章 18話 影踏み
「――気が滅入るぜ」
レイチェルはぼやく。
彼は瓦礫に腰かけ天を仰いでいた。
「人間って、2人に1人は女なんだよな」
彼は誰に語りかけるでもなく言葉を連ねてゆく。
「やっぱ女を殴りたくないってのは、戦う人間の考えることじゃないって思うか?」
「……でも、トラップはノーカンなんでしょ? そもそもボクは女の子じゃないし」
そんな彼へと詞はそう返す。
――地に這いつくばったまま。
レイチェルの能力によって詞、香子、透流は最初にいた戦場から離れた場所へと転移させられていた。
とはいえ、あの場に残っていたのは【聖剣】。
詞たちが気を回すべき相手でもない。
だからそのままレイチェルとの戦闘を続行したのだが――
「ああ……そうだったっけか? いまいち実感湧かないんだよなぁ」
レイチェルは微妙な表情で詞を見つめる。
詞たち3人は黒い陣の上にいた。
半径5メートルくらいの円形に黒く染まった地面。
そこは【重力】トラップとなっており、彼らはそこに捕らわれてしまっているのだ。
おそらく単純な出力なら――景一郎よりも上だ。
「なら、触って確かめてみる?」
「それで女だったら犯罪じゃねぇか」
詞が笑いかけるとレイチェルは肩をすくめる。
おどけて見せたものの、少し身を起こすだけでも自重に潰されそうになる。
詞の頬を伝った汗が地面へと落ちた。
「それに、そうするにはトラップを解除しないといけないからな」
レイチェルはトラップの少し外側を足で叩く。
――トラップは【罠士】自身が踏んでも発動する。
当然ながら自爆同然だが。
逆に言えば、レイチェルが詞たちに接近するにはトラップを解除する必要があるのだ。
「で、なんの話だったっけな。ああ……女を殴るって話だったか」
追撃をするでもなく、だからといって解放もせず。
レイチェルは暇つぶしのように喋り続ける。
「まあ、そもそも殴るっていう行為自体が好きじゃねぇんだよなぁ。あの殴った瞬間の反動がどうにも生々しくてなぁ」
冒険者は戦いと無縁ではいられない。
そして、戦いへの苦手意識を拭えなかった者は自然と淘汰されてゆく。
敵を傷つけることができるかどうか。
それは冒険者が最初に越えるべき壁といって良いかもしれない。
「そう考えると、人間が銃やらミサイルやら魔法やら。遠距離攻撃に目覚めるのも当然なのかもな。反動のない攻撃は、他人を傷つけちまうことへの嫌悪感が薄れちまう」
そして、その壁に阻まれる者が最も多いのが近接職だ。
敵を斬る感覚。
敵が眼前に迫る感覚。
それらに耐えかね、別の道を選ぶのだ。
「殴ったときに拳が痛いから、殴られた相手が痛いって分かる。相手が痛いって分かるから、戦うのが悪いことだって学んでいくんだろうよ」
「それ、リアルタイムで侵略戦争やってる人のセリフ?」
詞はレイチェルが提唱した言葉をそう遮る。
レイチェルの話の正誤はこの際どうでも良い。
モンスターが相手とはいえ、この場にいる全員が百や二百では足りないだけの命を絶ってきたのだから。
彼の言葉はただの雑談の域を出ないものなのだ。
「仕事だからな。異世界人の命より、自分の生活のほうが大事なのは当然だろ?」
「なにそれ。金でも貰ってるわけ?」
「そりゃそうだろ。じゃなきゃ、こんなことやらねぇだろ」
香子の言葉にレイチェルはそう返す。
「お金で人を殺すんだ」
「今回の戦いは国家プロジェクトだからな。どうせ俺がやらなくても誰かがやる。なら、割の良い仕事を他人に回してやる理由なんてないだろ」
――せっかくお呼びがかかったのに断ったんじゃ、今後の仕事にもかかわるしな。
そうレイチェルは嘆息した。
「ウチの姫はそうじゃないみたいだけど。俺は無難に仕事を終わらせて、穏やかな老後を過ごさせてもらうぜ」
彼の態度からも分かる通り、彼はきっと戦いを好まないのだろう。
ただそれは平和主義というよりも怠惰に近い。
彼には闘争心といったものがないのだ。
冒険者というのは、闘争心や好奇心と縁深い傾向にある。
しかし彼はどうやら例外の部類らしい。
「老後は――無理かなっ」
だが、彼は侵略者。
殺してでも排除するべき敵なのだ。
詞は地面を蹴り、超重力に支配されたエリアを一歩で踏み越えた。
――彼の身体には【操影】の影が巻きついている。
これはいわばサポーターだ。
自力だけで重力に抗うのは難しい。
だから影を動かす力で肉体の動作を補助し、なんとか重力下での行動を可能にしたのだ。
「ったく。影ってのは重量がないから重力トラップとは食い合わせが悪ぃんだよなぁ」
影には重さがない。
だから、いくら重力が増大しようとも影響がない。
影使いである詞だからこそ、レイチェルの重力トラップを攻略できたわけだ。
――現在のレイチェルは座っている。
下手に様子を見て、迎撃の姿勢を整えさせるわけにはいかない。
詞は一直線に距離を詰めた。
そのまま最速でナイフを振るう。
「まあ」
だが、届かない。
レイチェルは詞の手首を正確に掴んでいた。
「な――」
そのままレイチェルは彼の手首を引っ張る。
特に不思議なところのないシンプルな動作。
しかし、笑えてくるほどあっさりと詞の体が投げ飛ばされる。
イメージに近いのは合気の技術だろうか。
「サシなら。弱い俺でもなんとかなるわけだけどな」
頭を掻きながら立ち上がるレイチェル。
一方で詞は着地するやいなや再び彼へと向かって突っ込んでゆく。
レイチェルはまだ構えていない。
それどころか左手は頭を掻くという何の意味もない動作に使われている。
その隙を突く。
そんな決意を秘めた一撃が――首を傾けるだけで躱された。
「やば――」
そうなると一転してピンチとなるのは詞だ。
飛び込んでナイフを振るった直後。
足は地面から離れていて、腕は振り抜かれているせいで胴体が無防備。
これでは攻撃してくださいと言っているようなものだ。
「ぅ……!」
詞の鳩尾にレイチェルの拳がねじ込まれる。
腰の入った、後衛職とは思えないほど洗練されたパンチ。
だが【罠士】としての身体能力のおかげでそれほどの重さはない。
これくらいなら鳩尾に入っても充分に耐えられる。
――これだけなら。
「トラップ。セット【衝撃】」
詞の腹に食い込んでいたレイチェルの拳が光る。
――トラップが起動した合図だ。
直後、詞の体に衝撃が走る。
殴打によるダメージではない。
第2波と呼ぶべき衝撃が腹から背中へと突き抜けてゆく。
パンチの反動でレイチェルの拳に仕掛けられていた衝撃トラップが発動したのだ。
「ぅ……ぉぇぇっ……!」
敵の目の前であることも忘れて詞は胃の中身をぶちまける。
殴打と衝撃トラップによる追撃。
2段重ねの攻撃によって内臓が痙攣する。
詞は口元を押さえる余裕もなく背中を丸めて座り込んだ。
「ちょっと……さぁ……女の子は殴らないんじゃなかったの?」
なんとか息ができるようになると詞はそう問いかける。
少しでも余裕を見せようと微笑むが、目から涙がにじんでくる。
先程の攻撃が効いていたのは誰から見ても明らかだろう。
「女じゃないって言ったのそっちだろ。それに、さっきのは俺がやりたくないからやらない、ってだけの話だ。俺がやりたければやるさ」
争いを好まない人間には2種類いる。
1つは平和主義者。
2つ目は、自分に火の粉が降りかかることを恐れるエゴイスト――つまり普通の人間だ。
後者は、自分のためなら時に暴力を振るう。
彼らの不戦は矜持に裏打ちされたものではないから。
「っと……さすがにお喋りがすぎたか?」
レイチェルが詞から視線を外す。
その先にいるのは香子と透流。
彼女たちが重力場から這い出す姿だ。
――それこそが詞の狙い。
当然ながら、レイチェルの眼前で重力場の外側に這ったところですぐに阻止されてしまうだろう。
だからこそ、強引にでも詞は重力場を抜け出し――レイチェルの気を引いた。
その隙に香子と透流も重力トラップの影響下を脱出したのだ。
「マジで気が進まねぇなぁ。別に殺した数だけ報酬が増えるわけじゃねぇし」
レイチェルは息を吐く。
「まあ、殺されたあげくに報酬もなしってよりはマシか――おっと【反転】」
レイチェルの胸に紋様が浮かぶ。
直後――紋様へと透流の狙撃がヒットした。
だが魔弾は彼の体を撃ち抜かない。
むしろ――弾丸の向きが反転した。
「んぅッ……!」
跳ね返った魔弾が透流の左肩に着弾した。
肩を撃ち抜かれたことで力が入らないのだろう。
彼女は左腕をだらりと垂らしたまま【隠密】で姿を隠した。
「そりゃあッ!」
だが彼女を心配する暇もない。
腹に受けたダメージも抜けてきた。
だからこそ詞はレイチェルへと斬りかかる。
トラップスキルは連射できるタイプのスキルではない。
さっき使った反転トラップ――おそらく物体の運動を反転させるスキル――は使えないはずだ。
「トラップセット【風】」
だが間に合わない。
詞の斬撃よりも早く、レイチェルの掌打が彼の腹に叩き込まれる。
緑の発光。
次の瞬間には、詞の身体は猛烈な風によって吹っ飛ばされていた。
「トラップ――【剣】」
――あらかじめ仕込まれていたのだろう。
詞と一緒に吹っ飛んでいた小石が近くの建物にぶつかると――大量の棘が生えてきた。
当然だが、彼の体も小石たちと同じ方向に飛ばされている。
同じようにあの建物に突っ込み――全身を串刺しにされるだろう。
「っと」
それを阻止したのは香子だ。
彼女は詞が飛ばされた方向に回り込み、彼の体を受け止めた。
そしてそのまま【空中歩行】によって地面に触れることなく離脱する。
レイチェルは景一郎が持つユニークスキル【空中展開】を持っていない。
だから、彼がトラップを仕掛けられるのは実体のあるものにだけ。
何もない空中に仕掛けるといった芸当はできないのだ。
ゆえに【空中歩行】を使った香子の判断は確かなものだった。
「ふぇー。危うく穴だらけだったよぉ」
香子は近くの建物に逃げ込むと、詞を床に下ろした。
――戦闘が始まってから、レイチェルはこの建物に一度も入っていない。
だからここにトラップが仕掛けられている心配はないはずだ。
「そんなことより……どうすんのよ」
香子は詞に目もくれずレイチェルを見つめている。
彼女の表情は険しい。
初めて訪れる地形も知らない町。
この戦場はレイチェルにとってアウェーのはずだ。
トラップによる事前準備が前提であるはずの【罠士】。
そんな彼が敵地で、即興の仕掛けだけで詞たちを確実に追い詰めてくる。
脅威でしかない。
「正直、お兄ちゃん以外に強い【罠士】がいるなんて思わなかったなぁ。そもそも、お兄ちゃん自身が【罠士】としてかなりの例外だし」
景一郎の強さはユニークスキルによるものが大きい。
確かに彼も【罠士】だが、戦闘スタイルは【罠士】の常識から逸脱している。
一方でレイチェルは違う。
これまで見せたユニークスキルのようなものは最初に使った【魔界顕象】だけ。
それ以外はすべてただのトラップスキルだった。
「さて、どうしたものかなぁ」
レイチェルの強さの秘密はシンプルだ。
豊富なトラップ。
与えられたカードを最適な場面で切れる判断力。
敵を含めて戦場を誘導できる分析力。
そして接近を許しても崩れないだけの生存能力。
影浦景一郎を【罠士】の異端児と呼ぶのなら、彼は【罠士】の理想像だ。
奇策に頼らないからこそ、その力は盤石。
崩すのは簡単なことではない。
「……あれ?」
そこまで考えたとき、詞の視界に何かが映り込んだ。
透明で。
小さくて。
見落としてしまいそうな――ぽつぽつと降る何か。
「…………雨?」
――戦場に雨が降り始めた。
景一郎がレイチェルと戦えば普通に勝ちます。
ただ【罠士】としてのスキルしか使えなかったらレイチェルのほうが強い。
そんな力関係です。




