8章 17話 伽藍洞
「なっ……この……!」
グリゼルダは腹を押さえてうずくまる。
すでにグレミィの肉体はすべて彼女の中へと収まってしまっている。
彼女も魔法で抵抗しようとしていたようだが、体を侵食される苦痛のせいかそのすべてが不発に終わっていた。
「くぅ…………ぁぁっ!?」
グリゼルダが悲鳴とともに身を反らす。
そのまま彼女は仰向けに地面へと転がった。
【魔界顕象】を維持する余裕もないのか、すでに周囲の空間は元の森林へと戻っている。
「大丈夫ですの!?」
明乃はグリゼルダに駆け寄る。
すでにグレミィであった粘体はすべて彼女の腹の中だ。
外部から干渉するのは難しいだろう。
「これが……大丈夫にぃぐぅぅぁぁ……!?」
グリゼルダの身体が激しく痙攣する。
ドレス越しに、彼女の腹のあたりが不自然に波打っているのが見えた。
パラサイトパペットは敵の肉体に寄生する。
今は彼女の体内に潜伏しているが、やがて細胞レベルで混ざり合い同一の存在となるという。
「パラサイトパペットはマリオネットアリス系列のSランクモンスターです」
ナツメが険しい表情でグリゼルダの様子を見つめている。
彼女の知識は明乃よりも豊富だ。
今のグリゼルダがどれほど危機的状況にあるのかを正確に理解できているのだろう。
「他者を支配するという面において、最強のモンスターといっても良い相手です」
Aランクモンスターであるマリオネットアリスは【人形劇】という糸を使ったスキルで他者を支配する。
1対1に限れば格上――Sランク冒険者さえ殺しかねない危険なモンスターだ。
そしてグレミィのルーツであるパラサイトパペットはそれを越える。
シンプルなスペックで見てもSランク相当。
だが、そんなことよりも恐れるべきはその支配方法だろう。
糸を切れば支配から逃れられる【人形劇】と違い、細胞レベルで融合されてしまえば手の施しようがない。
『一生一緒なんだからもっと楽しそうにして欲しいおぉぉ?』
「ぃぅ……ぁぁあっ!?」
グリゼルダの悲鳴が響く。
気位の高い彼女が恥も外聞もなくここまで叫んでいるのだ。
その苦痛は想像を絶するものだということだ。
「まだ支配を受けた直後なので、本体の侵蝕は進んでいないはずです」
ナツメがそう告げる。
確かにグレミィの侵入を許してしまった。
だが同化はしていない。
窮地だが、手遅れではない。
「――分かりましたわ」
明乃はナツメへと目を向けた。
きっと同じことを考えていたのだろう。
彼女もまた、こちらを見つめていた。
(この戦いにおける戦力の配分は天眼来見が未来を視て決めたもの)
ゆえに無駄があるはずもない。
そもそも今回は最大戦力である景一郎が参戦できないのだ。
だからこそよりシビアに、彼女は許される限りで最高効率の選択をしたはず。
(戦力的に考えてここでグリゼルダさんを切り捨てる理由がない。まして支配されて敵に回る愚を犯すはずがない)
なら対策したはずなのだ。
グリゼルダが死ぬことも、操られることもない方法を。
(この戦い。正直、グリゼルダさん一人でも勝てる戦いでしたわ)
実際のところ、明乃とナツメがいなくてもグリゼルダは勝っていたはずだ。
(わたくしたちをこの戦場に配置した可能性は2つ。わたくしたちのどちらかを捨て駒にするつもりだったか――)
グリゼルダ以外の誰かをグレミィの宿主として捧げる。
そうすることで戦力の減少を最小限にとどめる。
来見の考えそうなことだ。
だが今回に限っては――
(わたくしとナツメはおそらく戦力としてではなく――グリゼルダさんを助けるための役割としてここに配置された)
そう考えるほかない。
「無理をさせますわね」
「問題ありません。おそらく、これがこの編成の意味なのでしょう」
だから、明乃は告げることにした。
来見の前では使わないといったものの、結局は使わされることになった奥の手を。
「【冷泉明乃が主として命じますわ】――【グリゼルダを死なせてはなりませんわ】」
「【かしこまりました】」
【勅命遵守】。
それは棘ナツメの職業【メイドマスター】だけが使用できるスキルだ。
効果なシンプル。
――主の命令の実行しようとする限り、その行動に世界が味方する。
身体能力の向上。
あるいは幸運。
自分自身、その周囲を取り巻く因果。
当然ながら限界はあるが、主のための行動に大幅な補正がかかるスキルなのだ。
そしてその効力は強化だけとは限らない。
「【屠殺・下拵え】」
ナツメが短剣を振るう。
斬ったのは――グリゼルダだ。
刃先が彼女の腹部を撫でる。
すると、ほんの数センチの傷口から溢れるようにして赤いものが飛び出した。
――グリゼルダの内臓だ。
【屠殺・下拵え】。
斬った相手の内臓を抜くスキル。
本来なら致命傷必至の攻撃だが――【勅命遵守】がその威力を軽減した。
グリゼルダを死なせない。
そのために、引きずり出される内臓を厳選したのだ。
グレミィが侵入している内臓だけが抜き出され、死に直結する内臓は【屠殺・下拵え】の対象外となった。
『おお!?』
内臓ごと体外に摘出されたせいかグレミィが動揺の声を上げる。
「捕まえ、ましたよ」
当然ながら内臓を失えば無事では済まない。
だが即死でさえなければ、治療手段などいくらでもある。
この世界には魔法も、それに準ずる薬もあるのだから。
「上手くあなただけを取り出せましたね」
結果は成功だ。
取り出された内臓はそれほど多くはない。
これくらいの欠損なら、問題なく完治できる。
『お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!』
だがそうなれば面白くないのはグレミィだ。
彼は怒り狂うようにして、赤い肉塊を弾けさせた。
摘出されたグリゼルダの肝から抜け出したグレミィ。
彼が次の標的に選んだのは明乃だった。
「明乃お嬢様!」
「分かっていますわッ」
明乃は炎剣を構え、グレミィを迎え撃つ。
粘体は大きく広がり、彼女を覆いつくそうと迫る。
口はもちろん、鼻や耳。そして眼窩。
場合によっては傷口。
おそらく隙間さえあれば、どこからでも彼は明乃を支配できるのだろう。
だが――関係ない。
「【レーヴァテイン】ッ!」
一振りで、すべて燃やし尽くすから。
外皮が固かった人形とは違い、今のグレミィはスライム状の粘体だ。
いくら体を広げようと、彼女の炎剣は斬撃とともに炎をまき散らす。
相性は最高。
だからこそ、
「――やりましたわ」
炭さえ残さない。
振り下ろされた炎剣はグレミィの肉体を一瞬で蒸発させた。
「グリゼルダさんは――!」
「――生きておる」
明乃の声にグリゼルダが答える。
疲労が色濃いが、先程までに比べれば幾分かマシといったところか。
さすがの彼女もすぐには動けないのか、地面に身体を投げ出している。
「死なないように威力が調整されていたとはいえ、内臓がいくつか抜かれているのに変わりはありません。治療が必要ですね」
「ですわね」
この場合は天眼邸に戻るべきだろうか。
あそこなら確実に景一郎がいる。
治療に困ることはないだろう。
「単身でも問題ないと思っていたのだが。……ここまで視えていたとしたのなら不愉快極まりない」
グリゼルダは息を吐く。
「――それはそれとして、だ」
彼女が明乃たちに目を向ける。
そして彼女は汗まみれの顔に笑みを浮かべ――
「今回は、助かった」
感謝の言葉を口にした。
――グリゼルダにとって景一郎は特別な存在だ。
逆説的に、彼以外に対する興味が薄いともいえる。
加えて彼女はプライドが高い。
対等に接することはもちろん。
景一郎以外に敬意や謝意を示すことなどそうそうないだろう。
それほど、今回のことは彼女にとって重い意味を持っていたのだ。
「わたくしたちは、同じ人の下に集まった仲間なのですから。そういうことは言いっこなしですわ」
だが明乃はそう思わない。
助けられたとして。
それをわざわざ重く受け止めるべきだとは思わない。
生まれた世界が。
最初の立ち位置が。
それらがどれほど違っていたとしても、彼女たちはもう仲間となったのだから。
次回からレイチェル戦となる予定です。




