8章 15話 殺戮人形
「【魔界顕象・白の聖域】」
グリゼルダの言葉が世界を変える。
森林が掻き消え、彼女を中心として半径数十メートルが氷に覆われた。
天井こそないが、巧みな衣装が施された柱が並ぶそこはまさに氷の宮殿だった。
「どうしたのだ? 別に【魔界顕象】で相殺しても構わぬぞ?」
グリゼルダはグレミィに語りかける。
【魔界顕象】は術者にとって優位な世界。
半面、同じ【魔界顕象】使いならば後出しでの相殺が可能だ。
そしてグレミィは【先遣部隊】の一員。
【魔界顕象】が使えないはずもない。
「それとも――本体がその場におらぬから出来ないのか?」
――そこに本体がいるのなら。
【魔界顕象】は自身の因子に由来する世界を、術者を中心とした一定範囲に顕現させるもの。
つまり、ただの人形では【魔界顕象】を使えない。
「……やれるけどやらなだけだお」
「ダメ人間か。こやつは」
グリゼルダは溜息を吐く。
一方でグレミィは彼女に向けて大口を開いた。
口腔に収束してゆく魔力。
砲撃の予備動作だ。
「微力ながら」
「おっほぉぉ!?」
だが彼の攻撃が撃ち出されることはなかった。
彼の懐に飛び込んだナツメが、勢いよく彼の顎にアッパーを叩き込んだからだ。
砲撃の直前に口を閉じられたことでグレミィの魔力が口内で暴発する。
その衝撃によるものか、彼の頭が一瞬だけいびつな形に膨張した。
とはいえ、それでも頭部が破裂しなかったあたりかなり丈夫な造りになっているらしい。
「さすがに自爆では死なないんですね」
「それで死んだらギャグだお」
口から黒煙を立ち上らせながらグレミィは言い返す。
「はぁぁッ」
しかし彼の背後にはすでに明乃が迫っている。
彼女は炎剣を振り上げ、グレミィの背中を縦に斬りつけた。
しかし彼はよろめきさえしない。
刃も炎も。
彼の防御を越えられなかった。
「効かないお」
振り返ると同時にグレミィが裏拳を放つ。
それは正確に明乃を捉えていた。
「だから【魔界顕象】を相殺しなくて良いのかを聞いたであろう」
だが、その拳が彼女に炸裂することはなかった。
拳が届くよりも早く、グレミィの全身が凍りついたのだ。
――グリゼルダだ。
彼女は【魔界顕象】によって強化された【氷魔法】を使い、瞬時に彼を凍結させたのだ。
この世界において、彼女が操る魔法から逃げることは不可能に近い。
「この世界で、我に勝てるはずもない」
【魔界顕象】使い同士が戦う際は、敵の【魔界顕象】は相殺するべき。
使えないのなら、【魔界顕象】の範囲外まで逃走すべき。
それがグリゼルダたちの世界での常識だ。
それほどまでに、敵が作った【魔界顕象】内で戦うのは不利なのだ。
ゆえに、【魔界顕象】を相殺しなかった時点でグレミィの死は決定していた。
「見せてもらうぞ。お前の汚い本体を」
グリゼルダは氷剣をグレミィの背中に突きつける。
「……なんか全員の中で本体が汚いのが共通認識になっているお」
そう彼が漏らすも、知ったことではない。
「知るか。晒せ――恥を」
「姿を見せるのが恥を晒すこと前提だお」
グリゼルダは氷剣を振り上げる。
そのまま一息に背中を裂き、本体の有無を確かめるのだ。
「でもでも残念だお」
だがグレミィは嗤う。
表情が変わったわけではないが、確かに嗤っていた。
「女の子は知らないかもしれないけど――ロボットは変形するものなんだお」
「ッ! 離れてくださいませ!」
明乃が警告を飛ばす。
彼女たちが一斉に距離を取ったとき、変化は起きた。
グレミィの肉体が膨張し、体を覆っていた氷を破砕したのだ。
「なんというか、妙に生物らしさがあるのが気持ち悪いですわ」
グレミィの体に血管が浮かぶ。
それはどくどくと脈動しており、生々しい不気味さがある。
マスコットのような頭部と、隆々とした肉体のアンバランスさがその印象の一員となっているのは疑いの余地がないだろう。
「明乃お嬢様。多分、本体はもっと気持ち悪いので今のうちに慣れていただいたほうがよろしいかと」
ナツメが明乃の隣へと歩み寄る。
グレミィが変貌したことに彼女たちは警戒の色を見せている。
「……そうですわね」
「地味に……納得するなおおおおッ!」
グレミィの絶叫が周囲の氷柱にヒビを入れ、森を揺らす。
「つい……うっかりですわ」
「許さないおおお!」
腕を振るうグレミィ。
しかし明らかに腕が届く間合いではない。
不可解な行動。
その行動の意味はすぐに分かった。
「ぁぐッ……!」
グレミィの腕が肘あたりから切り離され、そのまま明乃の体を捕らえたのだ。。
「ロボットは腕がロケットになっているものなんだお」
「おそらくその知識は……こちらの世界でもわりと古いですわ」
そう返すも、明乃の表情は険しい。
五指に握り締められた彼女の肉体は軋むような音を上げている。
肉体に加わる圧は、並みの冒険者であればすでに液体になっていてもおかしくないほどだろう。
そんな彼女へと向け、グレミィが口を開く。
動けない彼女へと向け爆撃を撃ち込むつもりらしい。
捕らえられ、攻撃の的となった状況。
それでも、明乃は小さく笑った。
「ともあれ……これはこれで好都合ですわ」
理由は明白だろう。
「んんぉぉ?」
「良い度胸だな」
――グレミィが戦っている相手は、彼女だけではないのだから。
「我の前で、安易に腕を捨てようとはな」
グリゼルダはグレミィの口元を凍結させる。
これで爆撃はできず、無理に射出すれば自爆だ。
「片手で我の相手をできると思ったのか?」
グリゼルダを相手に腕を飛ばしたのならまだ分かる。
無駄に終わるとしても、理屈は通る。
だが、先程の行動は失策というほかない。
遊びがすぎるといって良いだろう。
「思ってないお」
それでもグレミィに焦りや動揺は見えない。
むしろ面白がっているようにさえ思える。
「グリたんには、ちゃんといっぱいグッズを準備してるお」
「っ!」
直後、グレミィの全身から鎖が伸びた。
鎖の先端には枷が付いており、明らかに拘束を目的とした仕掛けだ。
この氷の宮殿において、グリゼルダの魔法は規格外の発動速度を誇る。
だがそれもあくまで魔法という領域の中での話。
さすがに物理攻撃――しかも先手を取られた状態から逆転できるものではない。
結果として不意打ちは成功し、無数の枷がグリゼルダの手足に嵌められることとなった。
「やっぱりグリたんみたいな子は、無理やり奴隷にされているほうが可愛いおぉ」
「この――」
「あと、この腕はちゃんと戻ってくるお」
グレミィが肘から先のない腕を持ち上げる。
すると明乃を捕えていた腕が、彼女ごと彼の手元へと戻っていった。
「明乃お嬢様!」
「ほいだお」
「くっ……!」
明乃を取り戻そうと動いたナツメを、グレミィは空いている腕を射出した。
主の危機に判断が鈍ったのだろう。
ナツメは回避する間もなくグレミィに捕縛された。
「グリたんも恥ずかしがらずにこっちに来るおぉ?」
「っ……!」
つながれた鎖が勢いよくグレミィの下へと引き戻されてゆく。
抵抗もままならずグリゼルダは地面へと転ばされる。
「グリたん~」
グリゼルダを足元まで引きずると、グレミィは彼女に覆いかぶさるようにして覗き込む。
光のない人工の瞳に愉悦の色が宿る。
「グリたんは知ってるお?」
そして――
「ロボットは……ボタン一つで自爆するものだお」
グレミィの体にヒビが入った。
「お前――!」
グレミィの肉体は人形にすぎず、本体が別にいる。
それが分かった時点で、その可能性は考えておくべきだったのかもしれない。
作り物なのだから、周囲を無差別に巻き込むような攻撃も可能だと。
他の攻撃が魔力を使った絡繰りによるものだった。
であれば、敵を一網打尽にするための爆薬が仕込まれていてもおかしくないのだと。
「逃げたらダメだぉ」
グリゼルダが氷の刃ですべての鎖を断つよりも早く、グレミィが彼女の腰へと馬乗りになる。
無数の仕掛けのせいか、グレミィの肉体は見た目以上に重い。
氷の床が割れ、グリゼルダの彼女は地面にめり込む。
「グリたんが大ピンチだお~~~~」
グレミィは馬乗りにされたまま逃げられずにいるグリゼルダを下品な声で嘲る。
その間にも彼の体のヒビは広がり、起爆までのリミットが迫ってゆく。
あと数秒もすれば、グレミィと密着状態にある彼女たちは肉片さえ残らない。
「お前は――本当に馬鹿なのか?」
――そう思っているのだろう。
「お?」
「この世界において、我の【氷魔法】が絶対の力を持つ」
だが、ようやく気が付いたらしい。
グレミィの頭上に疑問符が浮かぶ。
「自爆……できないお」
いくら時間が経っても、彼の肉体は爆発など起こさなかったのだから。
「お前の内部機構などすでに凍結している」
前回の戦いで景一郎がグレミィの頭部を破壊したとき。
彼の内部が機械仕掛けであることは分かっていた。
「お前が阿呆みたいに口を開いておいてくれたおかげでな?」
だからこの戦いが始まってから、彼が砲撃のために口を開くたび――そこから冷気を侵入させていたのだ。
そうやって内部機構を凍らせていた。
それにより体内に仕掛けられていたギミックが発動しなくなっていたのだ。
とはいえ駆動に関係する部分は作り込みが違うのか、人形そのものが動きを止めることはなかったのだが。
しかし逆に言えば、動作自体は正常だったおかげで内部が機能停止していることに気付かれなかったともいえる。
つまるところ、グレミィはすでに機能していない自爆スイッチを押して高笑いしていただけなのだ。
「いい加減、我の上から退け。痴れ者が」
グリゼルダの一声で、地面から伸びた氷柱がグレミィの顔面を打ちのめした。
【魔界顕象】は後出し優先。
その設定のせいで、【魔界顕象】使い同士が戦うと後出ししまくりの泥仕合になるという。