1章 15話 見えない牙
景一郎は倒れている詞へと歩み寄る。
彼は気を失っているようだったが、重大なダメージは受けていないはずだ。
今回の不覚はあくまで不意打ちと相性差のせいであり、本来なら彼の実力は大石よりも数段上なのだから。
「大丈夫か?」
景一郎は軽く詞の頬を叩く。
すると彼の眉が寄った。
「んぅ……」
詞の口から声が漏れる。
小さな刺激だが、彼の意識を取り戻すには充分だったようだ。
少しずつ詞の目が開いてゆく。
目が覚めた直後のせいか、彼は眠たげだった。
詞は脱力した様子で景一郎を見つめ返す。
すると彼は目を閉じて――
「んっ……お兄ちゃんなら……いいよ?」
甘く、言葉を紡ぎだした。
詞は強く唇を結んだまま動かない。
目を開くことも起き上がることもなく、ただ景一郎が行動を起こすのを待っていた。
「何がだよ」
「ぁ痛……」
景一郎がデコピンを打ち込むと、詞は小さな悲鳴を漏らす。
観念したのか、詞は額を押さえながら起き上がった。
「で、大丈夫なのか?」
景一郎は問いかける。
冒険者である以上、ある程度は体の状態を察することができる。
とはいえ、医者のような専門家でないという事実は変えようがない。
それに今回は肉体だけの問題ではない。
仲間だと思っていた人物の裏切りと襲撃。
むしろ問題は精神面だ。
「うん。可愛くて健康ないつものボクだよ?」
詞はコテンと首を傾ける。
あざとく微笑むその姿は、隠し事をしているようには見えなかった。
「……………………そうか」
「すっごい間だぁ」
遅れて景一郎が反応すると、詞はへらりと笑う。
その様子は悲しんでいるというよりも楽しんでいるように思えた。
「応えただけありがたく思ってもらいだいんだけどな」
景一郎は頭を掻く。
月ヶ瀬詞は本人の申告の通り男である。
しかし客観的事実として、彼の容姿は少女のように美しい。
知らなければ、彼のことを美少女だと思ってしまったことだろう。
詞はそんな自らの容姿を活用し、誘惑するような仕草をして見せる。
それに反応してしまうのは癪だった。
だからこそ景一郎は意識的に無関心を貫く。
「なあ月ヶ瀬」
「なぁに? 影浦お兄ちゃん」
「…………」
詞の猫撫で声にはあえて触れなかった。
景一郎は周囲を見回す。
「このダンジョンの探索権はどうなってるんだ?」
「確か、競売で落としたって聞いたけど」
景一郎の問いに詞はそう答えた。
「まあ……隠れて犯罪をしようと思えばそうなるか」
ダンジョン内での犯罪は証拠が残りにくい。
ボスを倒してしまえば、証拠ごとダンジョンは消滅するからだ。
とはいえその場で目撃されては意味がない。
無用なリスクを避けるため、競売で探索権を独占しておくのは自然なことだった。
(専門家に聞いてみるか)
「――――棘さん。いますよね?」
景一郎は虚空に語りかけた。
本来なら無駄な行動。
しかし彼には確信があった。
「……よくお分かりに」
景色の一部がゆがむ。
陽炎のような揺らぎは黒く染まり、やがて一人の女性の姿となる。
そこにいたのは、黒髪を肩のあたりで切りそろえたスーツの女性――棘ナツメであった。
「うひゃっ!? ひょっとして【隠密】スキルっ!? まったく気が付かなかったよぉ」
ナツメの存在を察知していなかったようで、詞は飛び上がるようにして驚いた。
派手な叫びで驚愕する詞をよそに、ナツメは景一郎へと向き合う。
「私も、Aランク冒険者なら半数は騙せると認識していたのですけれど」
彼女の自負は傲慢ではない。
確かに彼女の【隠密】スキルはかなり高精度のものだった。
「さっき俺が跳ね返した魔法の焼け跡」
「「?」」
景一郎は地面を指で示す。
倉田の炎魔法を、景一郎は矢印で反射した。
その際に豪炎は岩場へと焦げ跡を残していた。
「端っこだけ、妙な焦げ方をしてるだろ?」
だが、一部だけ焦げ跡がへこんでいる。
扇状に広がっている焦げ跡が、少しだけだが不自然に欠けているのだ。
「あれを見て、誰かが隠れていて自分に魔法が当たらないように弾いたんだろうなって」
その焼け跡で、彼はもう一人の存在を察した。
「で、俺を襲う様子がないってことは敵じゃない。わざわざ、ダンジョン内まで隠れてついてくるような相手は、棘さんしか浮かばなかったってわけだ」
「おおーっ。影浦お兄ちゃん、そこまで見てたんだっ」
「お嬢様が期待なさるのも分かる気がいたします」
景一郎が推理を披露すると、詞が大仰に驚く。
ナツメのほうも表情こそ変わらないが、感心の言葉を口にした。
(――最強のアサシンを一番近くで見てきたからっていうのが大きいんだろうけどな)
景一郎はそう心の内でつぶやいた。
アサシン系。
その最高峰。
【死神】とまで呼ばれたSランクの暗殺者を知っているから。
「棘さん。こういう場合って、ダンジョンの権利関係はどうなるですか?」
さっそく景一郎は本題に入る。
棘ナツメは監督官だ。
ダンジョンの権利関係について、彼女ほど詳しい人間はいないだろう。
「犯罪を起こせば、当然ダンジョンの探索権を失います。そのため、影浦様と月ヶ瀬様にすべての権利が帰属するというのが自然かと」
ナツメの言葉は想像していた通りだった。
今回、このダンジョンは景一郎たちのパーティにのみ探索権が付与されている。
たとえ大石たちが犯罪者として探索権を失っても、パーティ全員が責任を負う必要はない。
パーティ単位で与えられた権利なら、今でも景一郎たちに探索権が残されていると考えるのが自然だろう。
「加えて言うのであれば、今回は特殊な事情があるため特例で探索権の返還が可能です。落札した際の金額の一部を受け取り、ダンジョンを自由探索に切り替えるという方法もあります」
そうナツメは補足した。
権利があっても探索が可能とは限らない。
2人で攻略するか。
戦力不足と判断して、パーティを再編成するか。
そこまでして探索権を独占することに意味を感じないのなら、一部のキャッシュバックと共にダンジョンを共有の場へと戻してもいい。
一度競り落としたダンジョンは責任をもってクリアしなければならないというのが常識だ。
だがナツメいわく、犯罪がらみの事情なら探索権を手放すことも可能らしい。
「ふむふむ」
「どうする月ヶ瀬。そっちが先だったんだ、ダンジョンの取り扱いを決める権利があるのは月ヶ瀬だろ」
景一郎はそう言った。
彼は最後の最後に乗っかっただけ。
景一郎よりも早くから探索に関わっていた詞が優先的に方針を決められる。
それが筋というものだろう。
「んー」
詞は顎に指を当てて考える。
しかしそれも数秒のこと。
彼は頷くと、景一郎へと向き直る。
「できればぁ。影浦お兄ちゃんと行けるところまで攻略したいなぁ……だなんて」
躊躇いがちに詞はそう口にした。
「今日の探索を、嫌な思い出のまま終わらせたくないんだよね」
きっとそれは、彼の率直な意見なのだろう。
突然パーティから襲われるという恐怖。
それを払拭するためにも、このダンジョンを自力でクリアしたという事実が欲しい。
このままダンジョンを手放せば、今日の記憶はつきまとうことになる。
強盗団に襲われ、すべてが台無しになったまま終わりたくない。
卑劣な犯罪に抗うため、彼はそう決めたのだ。
「ダメ?」
「いや。――むしろ望むところだ」
景一郎は笑う。
もしも詞が権利を放棄することを望んだのなら、彼が権利を買い取ろうと考えていたくらいだ。
元々、明乃にCランクダンジョンを依頼していたのだ。
彼には手放す理由がない。
「棘さんは――」
「私は【強盗団】を、このダンジョンの担当をしている監督官へ引き渡します」
ナツメは大石たちを抱え上げながらそう言った。
大人の男性3人を抱えながらも表情をまったく変えない。
【隠密】スキルの練度から考えても、彼女が並みの冒険者でなかったことが分かる。
道中で大石たちが目覚めたとしても、ナツメが不覚を取ることはないだろう。
「ありがとうございます」
「いえ。仕事ですので」
ナツメはそう答える。
彼女は景一郎に背を向けると、消えて見えるような速度でこの場を去った。
「それじゃあ……行くか」
「うんっ」
ナツメは大石たちの連行。
景一郎と詞はダンジョンの攻略へと行動を開始するのであった。
☆
「せいっ! はぁっ!」
鋭い斬撃がハウンドウルフの首を裂いた。
速く、それでいて正確無比。
詞は危なげなくモンスターを殲滅してゆく。
「ぶいっ」
ハウンドウルフの死体に囲まれ、詞はピースサインを掲げた。
彼は軽快な動きで景一郎へと駆け寄る。
「それにしても、影浦お兄ちゃんの……矢印? ってすごいねっ。初めて見たよそういうスキルっ」
詞は興奮したようにそう言った。
――景一郎はすでに【矢印】トラップを解禁していた。
Cランクダンジョンを2人で攻略するとなると、矢印の効果は必須だ。
それに、詞には隠さなくて良いと感じ始めていた。
「ああ……ユニークスキルなんだ」
「おおっ! 影浦お兄ちゃん、ユニークスキル持ってたの!?」
ユニークスキルの話になると、詞は目を輝かせる。
それほどにユニークスキルは冒険者にとって憧れなのだ。
「そんなこと話してくれちゃうだなんてねぇ」
詞が意味ありげに笑う。
ユニークスキルについて教えるのは、信頼の証としての意味を持つ。
本来、ユニークスキルに関する情報はデリケートなものなのだ。
(まあ、悪い奴じゃなさそうだしな)
同じ危機に直面した仲だ。
それに詞は、己の身が危ういときにも景一郎を心配していた。
そんな彼になら、教えても面倒ごとには発展しないだろう。
「――もしかしてぇ、ボクのこと本気で好きになっちゃった?」
――と思った矢先に面倒ごとへと発展してしまった。
もっとも、想定していたものとは方向性が違うけれど。
「……ああ、そうなんだ。これ以上喋ってると理性を抑えられそうにないから、これからは会話は無しにしよう」
景一郎は詞を置き去りにして歩き出した。
すると慌てたように詞が彼の服を掴む。
「えーん待ってぇ! 冗談だからぁ! そんな本気で面倒臭そうな反応しないでよぅ! 適当に笑ってスルーしてよぉ……!」
「スルー推奨なのかよ」
すがりつく詞。
景一郎の口から溜め息が漏れたのは仕方がないことだった。
とはいえ本気で邪険にするつもりだったわけではない。
景一郎は詞に歩調を合わせる。
2人は並んでダンジョンを歩いてゆく。
すると詞は隣にいる景一郎の顔を覗き込み――
「ねーねー影浦お兄ちゃん」
「………………」
「早速スルーされてる!?」
詞は愕然としていた。
「いやいやいやいやっ。影浦お兄ちゃんっ。今回はちゃんとしたやつだからぁ!」
「……どうしたんだ?」
景一郎は立ち止まる。
正直、あまり期待していない。
「あれってボス部屋じゃない?」
「……みたいだな」
だが、本当に有益な情報だった。
詞が示した方向。
そこには扉があった。
壁も部屋もない。
ただ、扉だけが岩場に鎮座していた。
あの奇妙な門扉は間違いなくボス部屋だ。
「行っちゃう?」
詞が問いかけてくる。
2人でボスへと挑むのか。
その最終確認。
「俺は良いけど――月ヶ瀬は構わないのか?」
「うんっ。詞ねぇ? 影浦お兄ちゃんと2人きりでイキたいのぉ……。んんぅ~」
「………………」
「おいてかないでよぉ……」
景一郎は一人でボス部屋へと向かった。
☆
「いっちば~ん」
詞は突進するような勢いで扉を開いた。
そして彼は真っ先にボス部屋へと侵入する。
「あんまり景色変わらないね。ボスもいないし」
詞は周囲の状況を確認する。
広がる岩場。
その範囲は、半径50メートルほどの円形。
さらに外側には森が広がっていた。
「油断するなよ。高ランクダンジョンでは、天井に張りついていたり、扉の裏に隠れてたなんてこともあった」
念のため、景一郎は警告する。
ここに天井はない。
そしてダンジョン内のモンスターが狼型だったことを考えると、唐突に鳥類型のモンスターが出てくるという可能性も考えにくい。
しかしそれでも、モンスターが不意打ちを狙ってくる可能性はある。
たとえ低確率でも油断していいことではない。
「へぇ……? そういうのを知ってるって、影浦お兄ちゃんって実は――」
探るような詞の視線。
だが、状況は一瞬で変化した。
「「ッ!」」
感じたのは気配だけ。
しかし、景一郎たちは同時にその場を飛び退いた。
結果から言えば、その行動は正解だった。
さっきまで詞がいた場所の岩場が砕かれたのだから。
「……さっきの見えた?」
「いや……」
景一郎は首を横に振る。
彼の位置からは、詞の全体像が見えていた。
敵が迫っていたのなら、見落とすわけがない。
「月ヶ瀬の後ろにいた俺にも見えなかったっていうことは……姿が消えているのか」
なら『物理的に見えていなかった』と考えるべきだろう。
「狼型モンスター。【隠密】スキル持ち。考えられるのは――」
景一郎は思案する。
彼の脳裏には、一体のモンスターが浮かび上がっていた。
「ステルスウルフだ」
【隠密】スキルを有する狼型モンスター。
その等級は――Bランク。
次のボスはステルス能力を持つウルフ系モンスターです。