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8章 14話 幕開け

「あらあら」


 菊理は優雅に微笑む。

 その視線の先には――


「――生きていたんですね」


 傷だらけのルーシーがいた。

 全身を幾重にも斬り裂かれているが、彼女の肩が一定周期で上下している。

 どうやら絶命は避けられたらしい。


「ああ……そういえば吸い寄せるための風が大量に雨を含んでいましたね。それが貴女を治療し続け、ダメージを軽減していたというわけですか」


 彼女を菊理のいる場所まで引き寄せた際、周囲の雨水もかなり吸い込んでいた。

 あれは【回復魔法】を内包した雨だ。

 

 つまり菊理が風雷の魔弾を叩き込んだ際、ルーシーは攻撃と治療を同時に受けていたということになる。

 刻まれては治し、裂かれては治すを繰り返した。

 それによりルーシーは死の淵で留まることができたのだ。


「はぁ……はぁ……」


 地に伏していたルーシーがもぞもぞと動き始める。

 彼女は両手を地面につき、上半身を起こした。

 

「ぁ……ぃゃ……」


 そして彼女は頭を抱えると震え始めた。

 それは死の恐怖――ではない。

 


「髪がこんなに……何よ……これ……」



 茫然とルーシーがつぶやく。

 彼女は見ていたのは、指先に絡みついた自身の髪だった。

 最初は腰よりも下まで伸びていた青髪は、風の刃に巻き込まれて肩あたりまで斬り落とされていた。


「……命の心配より先なんですね」

「当たり前じゃないの! 体ならすぐに治せるけど髪は……! ああもうッッッ! ここまで伸ばすのにどれくらい時間がかかるかアンタも分かるでしょうがぁぁぁぁ!」


 発狂したようにルーシーは叫ぶ。


 同じ女性なのだ。

 菊理も髪はかなり長く伸ばしていることもあり、彼女の言わんとすることも理解できないわけではない。

 彼女があそこまで髪を伸ばすために費やした努力は相当のものであることも分かるし、それが1年や2年では足りないことも分かる。

 

 とはいえ、再生しながら全身をミンチにされるという地獄を味わった直後なのだ。

 そこで真っ先に頭髪の心配が出てくるあたり余程こだわりがあったらしい。


「傷んだだけならともかく、こんな汚い切られ方したら……ぁぁぁぁぁああ!」


 ちなみに髪は【回復魔法】でも再生しない。

 厳密に言えば数センチ伸びた時点で変化がなくなってしまう。

 おそらく髪には通常の傷とは違い『完治』と呼べる明確なゴールが存在しないせいだろう。

 同様に、爪なども一定の長さまで治った時点で【回復魔法】が効かなくなるため無限に伸びたりはしない。


 そういった理由もあり、彼女の頭髪が元に戻るには相応の時間を要するだろう。

 そして、風の刃によって乱暴に斬られていることもあり彼女の髪は乱れに乱れている。

 髪形を整えるためにさらに髪を切らねばならないのは明白だった。


「もう最悪最悪最悪ッ!」


 髪を振り乱してルーシーは絶叫する。

 その憤怒はこれまでの激情が可愛く見えてくるほどだ。


「絶対殺す! 【魔界――】」

 

 そして彼女は世界を塗り替える言霊を紡ぎかけ――膝から崩れ落ちた。


「な……この……」

「魔力切れ……のようですね。さすがに規模の大きな魔法を使いすぎたみたいですね」


 すでにルーシーは相当な魔力を使っている。

 それこそ菊理だったら3回は魔力切れを起こしているほどに。

 魔力が枯渇するのは必然だった。


「もう――――本当に最悪」


 うつむいたまま力なくルーシーはそう漏らす。


「――【泡沫】」


 そして彼女の体が――泡になった。


「な……!」


 ルーシーに起きた変化に菊理は声を上げた。

 全身を泡の塊に変えた彼女は、そのまま周囲の水たまりに溶け込んでゆく。

 それでも、微弱だが彼女の魔力を感じる。

 どうやら死んだわけではないようだ。

 残念ながら、あまりに魔力が小さいせいで居場所を特定することは難しそうだが。


「水に溶け込むスキル……といったところでしょうか」

(さっきの雨で町中が水浸しになっていますし……捕まえるのは難しそうですね)


 おそらくこれは逃走用のスキル。

 町中に降った雨に紛れられてしまったのなら、もう追いようがない。

 ルーシーが戦闘不能になった時点で雨はやんだものの、それでも十分すぎるほどに周囲は水で満たされているのだから。


『アンタ……ホント許さないから』


 その時、ルーシーの声が聞こえた。

 水の中から彼女の声が反響してくる。

 微妙にかかったエコーのせいで出処を特定するのは厳しい。


『次会うことがあったら……全力で殺してやるわ』


 それは捨て台詞だったのだろう。

 怨嗟の言葉を最後に、ルーシーの気配が完全に消えてしまった。

 おそらく水伝いに町の外まで逃げるのだろう。


「あらあら――随分と恨まれてしまったようですね」


 菊理は口元を隠して微笑む。

 異世界の冒険者が身を焦がすほどの怒りを宿して命を狙ってくる。

 それは脅威というほかない。


「――愉しみが一つ増えました」


 でも、だからこそ菊理は笑うのであった。



「――デカブツでも、森では意外と隠れられるようではないか」

 

 グリゼルダは木々の隙間を駆け、標的の前に滑り込んだ。

 回り込まれたことで標的――クマのキグルミが足を止める。


「身を隠すつもりなら、援護射撃は悪手でしたわね」

 

 そしてキグルミ――グレミィの後方は明乃とナツメが封鎖している。


 町中で戦いが始まってから、グリゼルダたちは彼がいると思われる場所に急行していた。

 そして先程、グレミィが行った爆撃による援護射撃をキッカケに、彼女たちは彼の居場所を正確に特定できたのだ。

 ――これら一連の流れがすべてあの予知女の掌の上だったと思うと腹立たしい。

 しかし有用である以上、利用しないわけにもいかないのだけれど。


「んほぉぉ……綺麗な子がいっぱいだおぉ」


 相も変わらずグレミィは緊張感のない言動を続けている。

 他2人はともあれ、グリゼルダとしては自分と対峙してなお普段通りというのは不愉快でしかない。

 この状況でなお、負けはないと思っているのと同義なのだから。


「しかもしかも。やっとグリたんを犯せるぉぉ……。ドレスを脱がせて、いっぱい子供産ませてあげたいおぉぉ……」


 グリゼルダは不快感に眉を顰める。

 どうやらグレミィの中ではすでに勝ちは確定していて、その後にどうグリゼルダを凌辱するかに焦点が当たっているようだ。


「あのパーティの中でも……お前だけは生理的に嫌いだ」


 最初から【先遣部隊(インヴェーダーズ)】と仲が良かったつもりはない。

 どいつもこいつも気が合わない者ばかりだった。

 そして、グレミィはその筆頭だ。

 一言も交わす必要さえなく、彼女は彼が心の底から嫌いだった。

 一目見たときから、否――見られた時から変わっていない。


「でもグリたんが悪いんだおぉ。そんな体であんなドレスを着ちゃったら……もう我慢ならないんだおぉ」


 グレミィの視線が彼女の体を舐め上げる。


 豊満なスタイルに絶世と呼ぶべき美貌。

 それに見合う逸品である白いドレスは煽情的なデザインとなっている。


 見惚れ、心酔することを止めるつもりはない。

 だが汚泥じみた性欲をぶつけられることを許容する気など毛頭ない。


「しかもグリたん以外も好みドンピシャだお。振る舞いは上品でも、隠しきれないくらい身体はいやらしくて――」


 グレミィの首だけがぐるんと後ろを向く。

 ――やはりあれは生物ではないのだろう。

 あれはあくまで人形なのだ。


「あ、1人は例外だったお」


 ――ピシリという音が鳴ったような気がした。


「それはそれは……なるほど……随分と挑発が下手な方ですね……? 挑発は……殺されない程度にしておかないとダメですよ……?」


 ナイフを抜いたナツメがうすら寒く笑う。

 それなり止まりの実力者だったら、失禁しながら気絶しそうなほどの殺気だ。

 もっとも、この場にはそんな弱者はいないのだが。


「わりと効いているように思うのはわたくしだけですの……?」


 少し呆れた様子で明乃がつぶやく。


「……あまり気を抜くではない」


 グリゼルダは一応忠告しておく。

 単身で戦っても勝てるという自負はある。

 協力や連携を呼びかけるつもりもない。

 だが無意味に味方に被害を出すべきではないだろう。


「抜いていませんよ。まずは人形の腹を切って本体を出す……でしたね」


 先程までの冷たい殺気が霧散する。

 気を抜いているようにも、気が急いているようにも見えない。

 ナツメは言うなれば仕事人なのだろう。

 感情で判断を狂わせることはないらしい。


「うぬ。奴の体がただの人形であることは前の戦いで分かっておる。そして、あの人形の中に術者が乗っておるのならスペースから考えて腹しか考えられぬ」


 正直なところ、グリゼルダもグレミィのことをよく知らない。

 とはいえ彼がよく人間離れした動作をしていたこともあって、以前からあれが作り物の体であることは予想していた。

 そしてそれは生物特化の【屠殺】スキルが効かなかったことで証明されている。


「中に誰もいなければ――遠隔で操作されているというわけですわね」


 となれば次の問題は明乃が口にしたものだ。


 あのキグルミがただの道具だったとして。

 操作している術者は何処にいるのか。

 搭乗しているのか。

 離れた位置から動かしているのか。

 それを見極める必要がある。


「それを確かめるためにも、あの人形を壊すのが最優先ですわね」


 その解決策はシンプル。

 人形を壊し、人間が入っているかを調べる。

 いなければ遠隔操作。

 つまり消去法だ。


「それでは、本体を早く拝ませていただくと致しましょう」


 ナツメが大斧を構える。

 【屠殺】スキルが無効となる以上、取り回しが面倒だったとしても高威力の武器を使わねばならないのだ。

 そうでもなければグレミィの人形を破壊できない。


 そんな不利を一切顔に出すことなく、ナツメは嘲笑を浮かべ――



「本体といっても………………どうせ小汚い中年でしょうけど」



 声音さえも作って叩きつけられた迫真の嘲り。

 それは間違いなくグレミィに届いていた。


「ぬ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! いくら女の子に蔑まれるプレイが楽しめる僕ちんでもチビ・ハゲ・デブ・童貞は赦せないおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 グレミィの絶叫で森が揺れた。

 

「…………かなり効いていますわね。そして指摘された単語のどれも言っていませんわ……」

「とりあえず本体の容姿は判明したようですね」


 明乃は激怒し始めたグレミィに半眼を向ける。

 一方でナツメは素知らぬ顔でそう言った。


「こやつらは煽り勝負でもしておるのか…………?」


 ともあれ、グリゼルダたちの戦いの幕が開いた。

 人形劇の幕開けです。



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