8章 13話 雨上がり
「それでは手合わせ」
雪子はナイフを両手に握るとルーシーに飛びかかった。
【アサシン】から派生した【凶手】である雪子は敏捷性という面において他の上級職と比べても優れている。
だが、それでも真正面からの攻撃ではルーシーの目をかいくぐることはできない。
彼女は完璧にタイミングを合わせ、横薙ぎにトライデントを振るってくる。
「っ」
だがそれくらいは想定済み。
彼女が魔法職にもかかわらず高速戦闘に対応できることなどすでにオリジンゲートで知っている。
ゆえに雪子は床を蹴り、回転しながらルーシーを跳び越える。
ルーシーはそのまま攻撃を止めることなく、雪子が自身の背後に着地するであろうタイミングに攻撃を合わせた。
だが雪子は――空中を蹴る。
【空中歩行】のスキルを使って空中で方向転換したのだ。
そのままナイフで首を落とそうとするも、ルーシーは体勢を崩しながらそれを回避する。
続けざまの2撃目は――避けられた。
「ん――」
体勢を崩していたはずなのに思っていたよりもあっさりと躱された。
理由は【空中遊泳】だろう。
姿勢が崩れたことで回避行動が遅れるのは、結局のところ地面を蹴ることでしか移動できないからだ。
空中を当然のように移動できるのなら、どんな姿勢からでも攻撃を避けるのは難しくない。
「建物の中でその武器はナンセンス」
雪子は最小限の動きでルーシーの反撃を躱す。
トライデントは大きさに違わず重量武器だ。
当然ながらスイングの速度は落ち、振るうには広いスペースを必要とする。
要は――屋内で振るうような武器ではない。
言い換えるのなら、小回りの利く雪子にとってそれほど脅威とはならないということだ。
「うっさいのよ!」
次にルーシーが選択した攻撃は切り上げ。
トライデントの刃が床を抉りながら雪子を狙う。
しかしそれも空振り。
斬撃に追従した水流が天井を打ち崩しながら天へと昇ってゆく。
「んっ……」
しかしわずかに雪子は眉を寄せる。
先程の攻撃は彼女を狙ったものではなかった。
それを理解したからだ。
「すぐに逃げ場なんて潰してやるわっ」
天井が破壊された。
つまり――建物内に雨が降り込み始めた。
今のところはそれほど広い範囲ではない。
しかし屋内のすべてが安全圏とは呼べない状況となり、今も死の雨は床を広がりつつある。
このままの調子で天井を破壊されてしまえば、すぐに足場がなくなってしまうことだろう。
「はぁっ」
「ん……」
そんな懸念に気を取られた一瞬。
ルーシーのトライデントへの対応が遅れた。
頭上から三つ又の刃が迫る。
――回避は間に合わない。
雪子は両手のナイフでトライデントを止めた。
遅れて降りかかる水流は【操影】でなんとか防ぐ。
しかし――
「これならどうよっ」
ルーシーが足元の水たまりを蹴飛ばした。
跳ねる飛沫。
それがただの水だったのなら、雪子の脚にいくらかかろうとも問題なかっただろう。
だが、現実としてこの水はルーシーの魔法によって生じたものだ。
「ん……!?」
「どうしたってのよ! 魔法職に力で負けて恥ずかしくないワケッ!?」
雪子の膝が折れる。
飛沫がかかった足は変色し、痛みで踏ん張りが利かない。
拮抗した鍔迫り合いの旗色が徐々に悪くなってきた。
雪子の姿勢は押さえつけられるようにして低くなってゆく。
このまま膝をついてしまえば取り返しのつかないダメージを足に負うこととなるだろう。
「ん……初めて……ドヤ顔でゴリラを自己申告する人を見て困惑」
状況は良くない。
それでも雪子は鉄面皮を崩すことなくそう返した。
「はぁぁぁ!?」
「――ちなみに」
叫んだせいだろうか。
ルーシーの攻撃に乗っていた体重がわずかにブレた。
そのタイミングを見逃さず、雪子は両手から力を抜く。
ナイフの角度を調整し、トライデントを滑らせるように受け流す。
ルーシーは魔法職だ。
強力な武器を持っていても、優れた動体視力と反射神経を持っていても。
近接戦の技術はあくまで専門外なのだ。
好き勝手に武器を振っている間は問題がなくとも、こういった細かな駆け引きが問われたときに未熟さが顔を出す。
その予測が的中していたのは、簡単に体勢を崩した彼女の姿が証明していた。
「建物の中ならこういう武器を使ったほうが良い」
トライデントの重さに引かれてルーシーが足踏みをした。
その一瞬は、言うまでもなく隙だった。
「【操影】」
「!?」
雪子が唱えた声に呼応し、影のワイヤーがそこら中から這い出す。
「建物の中は影だらけ。【操影】使いと屋内で戦うのは下策」
そのまま影の糸はルーシーの四肢を縛り上げる。
影は壁や天井に接続されており、彼女の体を空中で磔にした。
「私の役割は時間稼ぎ。一生分稼げば充分なはず」
とはいえ【操影】によって操作する影は強度が低い。
あの状態から脱出する手段など何通りもある。
それを理解しているからこそ、すぐさま雪子は彼女へと斬りかかる。
「もう勝ったつもりなわけ? ダッサ」
迫る雪子を見てもルーシーに焦りはない。
それどころか反応さえしない。
【操影】による拘束を破る手段は少なくない。
だが黙って待っていても解けないのも事実。
このままでは手遅れに――
「で? 【操影】使いと屋内で戦ったらダメ――だったかしら?」
ルーシーの言葉。
分からない。
だが確実に、彼女の言葉が雪子の危機感を刺激した。
「ここ屋内じゃないし」
爆音。
何度かの炸裂音とともに、雪子たちのいる建物が崩落を始めた。
「ん……建物が」
雪子は攻撃を中断してルーシーから距離を取る。
建物が崩壊し始めたことで、すでに彼女の拘束は解けている。
今は彼女を攻撃するよりも、雨を遮るものがなくなってしまうという事実に対応することが先決。
「悪いわね。最初の攻撃で、合図は送らせてもらってたのよね」
(天井に穴を開けた一撃。あれは砲撃手へのサインだったっぽい)
天井を派手に破壊した水流。
あれはどうやら、最初に町を襲った砲撃手――グレミィへの合図だったらしい。
事前予測では、彼は町の外にある森からこちらをうかがっているはずだと聞いていた。
その予想は当たっていて、ルーシーは離れた場所にいる彼に見えるように高く攻撃を撃ち上げたというわけだ。
「これは不覚」
雪子の頭上から瓦礫が降りかかってくる。
瓦礫は躱せばいい。
雨は【操影】の屋根で急場をしのぐことはできる。
だが――落下した瓦礫が跳ね上げた雨までは対処しきれない。
すでにこの町には死の豪雨が数分間振り続けている。
屋外はすでに雨水が張っている状態だ。
水たまりに瓦礫が落ちたことで跳ねる水の量は馬鹿に出来ない。
(これは――防げそうにない)
四方八方。
水の弾丸が迫ってくる。
――【操影】を拡張し、繭のようにして閉じこもる?
駄目だ。
そうなればその場から動けなくなり、数秒後には【操影】ごとトライデントの一撃で両断されることだろう。
出来ることといえば、どの部位なら捨てても良いかを考えるくらいで――
「――ありがとうございました」
その時に聞こえたのは菊理の声。
直後、雪子は隣から飛び込んできた式神に丸呑みにされた。
☆
「――ありがとうございました」
菊理は巨大な口を持った――というよりも口しかない姿をした式神を撫でる。
すると口しかないナマズのような姿の式神は、口内に避難させていた雪子を吐き出した。
「ん……これは何度やっても涎臭くなってないか不安になる」
「一応、輸送用の式神なのでそんなことにはなりませんよ?」
「ん……頭では分かってる。女子力的な部分が納得してない」
ちなみに、昔からこの式神は不評だった。
それなりに強度もあるため運用面ではそれなりに有用なのだが。
「で? 準備はできたわけ?」
そう口にしたのはルーシーだ。
さっきから雪子しか攻撃をしてこなかったのだ。
何か仕掛けようとしていることくらいは予想していたのだろう。
崩壊を逃れた建物に避難している菊理たちに対し、ルーシーは雨に打たれ続けている。
それも当然だろう。
あそこに立つ限り敵は接近を躊躇い、たとえ傷ついたとしてもすぐに治るのだから。
「言っとくけど、そんな距離からじゃあ当たらないわよ?」
ルーシーとの距離は約50メートル。
そして彼女は、菊理の手の内を見るまでは接近しないだろう。
回避するのに十分な間合いがあり、たとえ当たっても致命打にならない場所を離れないだろう。
「あらあら。でも、これ以上近づいたら雨に濡れてしまいますね」
ルーシーは動かない。
一方で菊理は動けない。
あと一歩でも踏み出せば死の雨に身を晒すこととなるからだ。
この距離で回避できない速度で。
降りしきる【回復魔法】が追いつかないほどの威力で。
そんな2つの条件をクリアしなければならない。
あるいは――
「だから――来てもらうことにしました」
――彼女をこちらのフィールドに引きずり込むか。
「【風魔法改メ・出力偏重】」
菊理の手元に現れたのは小さな竜巻だ。
とはいえ小さいというのは見た目の話。
内包される魔力も、周囲の空気を吸い上げる威力も莫大だ。
「バッカじゃないの? こんな雨の中で強風なんて起こして。それじゃ建物の中にいても雨ざらしよ?」
ルーシーはトライデントを地面に刺してその場にとどまる。
一方で彼女の周りにあった雨水は呼び寄せられるようにして菊理へと向かってゆく。
確かに、このままなら全身に死の雨を受けて自滅だろう。
「ええ。ただただ威力の高い風ではそうなってしまいますね」
もちろん、そんなことなど百も承知。
「だから――」
「「「「「「「【風魔法改メ・制御偏重】」」」」」」
ちゃんと手は打ってある。
――100の式神に魔法の制御を任せるという対策を。
「な!?」
これまでは威力任せに周囲を吸い上げるだけだった竜巻。
そこに改造スキルによる制御が為され、より洗練されたものへと変貌した。
吸い寄せた雨水は一滴たりとも菊理に触れないように竜巻へと取り込まれてゆく。
無差別に周囲を取り込んでいた風は指向性を与えられ、ルーシーだけを標的にして吸引を始める。
「私と式神はスキルを共有しています。だから出力に特化した魔法を、大勢で制御することもできます」
菊理とルーシーが風の渦でつながる。
徐々にだがルーシーの体が菊理へと引きずられてゆく。
惜しみなく魔力を注いだ魔法。
それが彼女をこちらに吸い寄せるためのものだけというはずがない。
当然ながらこれは――彼女を殺すための魔法だ。
「魔法による風の流れを完全に制御――その一部を高速回転」
ルーシーを呼び込む渦。
その終着点で、風が乱回転を始める。
鳴り響く甲高い音。
それは入り乱れた風の刃が高速回転し、擦れ合う音。
風の刃が収束した球形の空間。
それが青白く発光を始めた。
風が擦れ合ったことで電気が生じ、バチバチという音が加わる。
金切り音と破裂音が奏でるハーモニー。
それは触れた敵を風の刃で細切れにし、雷撃で炭に変える死の球だ。
「それではそろそろ――来てください」
「ッッ~~~!?」
ついにトライデントが地面から抜け、ルーシーの体が竜巻に吸い寄せられ始める。
【空中遊泳】でなんとか抗っているようだが、確実に彼女は菊理の手元に近づいている。
彼女の手元にある――風と雷撃の魔弾へと。
「ふざけ、ふざけてるんじゃないわよッ! こんな――こんなッ……!」
「あらあら。頑張って逃げないと切り刻んでしまいますよ?」
ルーシーは左右に逃げることで渦から逃れようとしていたようだがそれも叶わない。
完全に制御された竜巻は彼女の動きを完璧に追って逃がさない。
「この……このぉ……! やめなさいよッ……!」
ついにルーシーが数メートルの位置まで引き寄せられた。
最後の抵抗だったのだろう。
彼女はトライデントを菊理の手元にある魔弾へと叩きつける。
だが――折れたのはトライデントのほうだった。
菊理の魔力を大盤振る舞いした魔法を、100の式神で一切のロスなく運用しているのだ。
Sランクの武器であろうと拮抗することさえ許されない。
「ぃやッ……! そんなの――!」
菊理の魔法の威力も。
それを逃れる術がないことも。
すべてが証明された。
ルーシーの顔に恐れが浮き上がる。
「ああー―さっきから何かが頭をちらついていたんですが――謎が解けました」
もうルーシーとの距離は1メートルもない。
必死にもがく人魚を眺めるのも悪くないが――引導を下してしまおう。
菊理は一歩踏み出し、最後の一歩を潰した。
そして風雷の魔弾を――ルーシーに叩きつける。
「――魚肉ソーセージでした」
次あたりからグレミィ戦となる予定です。