8章 10話 神出鬼没
「ぬおおおおおおッ!」
――世界が弾けた。
世界はヒビ割れ、砕け、剥がれる。
壊れる世界の中、ガロウは血を流して咆哮する。
彼の脳天から股にかけて刻まれた傷から血が噴き出している。
正面から叩き込んだ一撃。
それでも彼を絶命させるには至らなかったらしい。
「なんと卑劣な! この私に傷をつけるなど、なんと卑劣な外道なのだ!」
ガロウは嘆くように叫ぶ。
彼の傷は深い。
鎖骨を断たれたことで左腕は不自然に垂れている。
いくつもの内臓が裂けていることで血が止まる気配はない。
それでも倒れないのは盾役ゆえの屈強さというところか。
「く……! 仕方がないッ! 卑劣な刃に鉄槌を下すのはまたの機会としようではないか!」
そして彼が選択したのは――離脱。
このまま戦ったとして、紅とガロウのどちらが勝利するかは分からない。
彼が深手を負っているように、彼女もまたかなりのダメージを食らっているのだ。
それらの事実を加味して、彼はここで戦闘を打ち切ることを選んだ。
さっきまでの戦法といい、ローリスクを取る彼ならば必然といえるかもしれない。
「万が一にも敗北があってはならぬからなッ! 今回は引き分けということで手を打つことにしておこうッ!」
ガロウは紅に背を向け、戦場を離れようとする。
「待って――!」
とはいえ、そうなると困るのは紅だ。
今回は彼の裏をかくことで大打撃を与えた。
しかし次も通用するとは限らない。
ならばこの場でトドメを――
「くっ……!」
紅は彼の背中を追いかけようとして――視界が反転した。
別に特別なことが起きたわけではない。
足の負傷のせいで転んでしまったのだ。
「足が……」
先程ガロウに斬り裂かれた右足が動かない。
筋肉と骨を断たれてしまえば、物理的に動かしようがないのだ。
対してガロウは矢と【位置交換】を使った移動術でどんどんこの場から離れてゆく。
片足しか残っていない紅では追いつけないのは明らかだった。
「ここから先は……みなさんに任せるしかないようですね」
それに腹の傷も深く、動き回るだけの体力も残っていない。
この状態では他の戦場へと援護に向かうこともできないだろう。
そうして紅は地に伏したまま、戦いの行方を待つこととなった。
☆
「うぬッ! これで追手は来るまい! 戦いが終わるまでここで待つとしようッ!」
ガロウは森でそう口にした。
すでに彼は町へと侵攻する前の森に戻っていた。
念のため、ここへと続くよう【位置交換】用の武器を設置しておいたのが役に立った。
――使う予定はなかったのだが。
「しかしそれなりの傷を負ってしまったなッ! 回復薬はあっただろうかッ!」
回復ならば本来はルーシーに任せるのが一番だ。
とはいえ彼女がいないのでは仕方がない。
止血くらいなら手持ちの薬でどうにかなるだろう。
「ふふ……もうリタイヤしちゃったのかな?」
「うぬ?」
ガロウが持ち物を探っていると、声が聞こえてきた。
軽快で、それでいて底知れない声が。
声の主は少女だった。
少女は白い髪を揺らしてこちらに歩いてくる。
「おお! バベル殿ではないかッ! 拠点防衛はどうしたのだ!?」
ガロウは少女――バベル・エンドの姿を見て声を上げた。
確か彼女は拠点防衛のために【魔天城】に待機していたはずだが――
「なんだか面白そうだったからね。つい来ちゃったんだよ」
そう彼女は笑う。
面白そう。
そんな理由で持ち場を離れるなど本来はあってはならないことだ。
とはいえそんな正論は彼女に通じはしないだろう。
気ままに壊し、思うがままに支配する。
それが彼女だから。
「もうガロウは戦わないのかな?」
バベルはこてんと首を傾ける。
「これ以上戦っては万が一があるかもしれないからなッ! 安全に勝てぬのなら、私はここで待機させてもらうとしよう!」
「そう」
返事もそこそこにバベルが手を伸ばす。
緩慢な動きで彼女が触れたのはガロウの傷だ。
彼女の指が、彼の肉体に刻まれた亀裂に触れ――
「ああ――ついでだから治してあげるよ」
その声と同時に、ガロウの傷口が泡立つ。
肉が泡のように盛り上がり、傷を塞いでいるのだ。
そうして彼の体につけられた傷がみるみる埋まっていく。
数秒後には、ガロウの体は元の姿を取り戻していた。
「おお! まるでヒーラーのような手並みだなッ!」
ガロウは体をまさぐりながら感嘆の声を上げる。
傷もなければ、肌に違和感もない。
数秒でここまで肉体を治癒するなど異常というほかない。
「ふふ……厳密には『治す』というより『直す』なんだけどね」
バベルは小さく笑う。
――確かに、彼女が持つ能力を考えるとそう表現するのが適切かもしれない。
「それにしてもそうかぁ。ガロウはもう戦わないっていうなら――」
バベルはガロウから視線を外して歩き出す。
彼女の歩む先にあるのは、今も戦いが続いている町だ。
「――――僕が代わりに戦ってみようかな?」
彼女は戦場を一望しながらそう宣言した。
神出鬼没なラスボス参戦――