8章 2話 予知少女の奇行
「いやいやいや。今日はご足労いただいて申し訳ないねぇ」
天眼邸の一室。
天眼来見は普段と変わらない様子で景一郎を迎え入れた。
「……そうか」
景一郎は頭を掻く。
なんの説明もない招集だったため、彼はまったく事情を知らない。
彼女のことだから意図があっての行動だとは思うのだが。
「それではさっそく――」
「?」
ぽふり。
そんな音がしそうな動作で、来見が景一郎の胸板に手を当てた。
少し押されている感覚はあった。
しかし高レベルの冒険者である景一郎と、一般人でしかない来見。
その身体能力のギャップはすさまじく、彼女の手から伝わる力はそよ風と大して変わらない。
「片手では難しかったようだね」
来見が息を吐く。
すると彼女はゆっくりと杖を足元に置いた。
そして彼女は両手を景一郎に伸ばし――押す。
「んー……んー……!」
来見の口から唸り声が漏れていた。
力んでいるせいか、白い肌が紅潮している。
「えっと……」
妙に必死な来見。
一方で景一郎の体は微動だにしない。
気まずい時間が流れた。
「なに……してるんだ?」
「見て分からないのかな。君を押し倒そうとしているんだよ」
景一郎の問いに来見は当然のように答えた。
「…………? やっぱり分からないんだけ――」
しかしその意図は分からないままだ。
むしろ謎は深まったといっていい。
「えい」
「あぶなッ……!」
景一郎は身を反らす。
彼の眼前を通り過ぎたのは杖の先端。
――いつの間にか杖を拾っていた来見がフルスイングをかましてきたのだ。
「……今のはなんだ?」
景一郎は危なげなく杖を回避すると、スイングの勢いで転びそうになった来見を抱き留める。
……本当に何がしたいのだろうか。
「君を押し倒そうとしたんだよ」
「いや。普通に倒そうとしてるように見えたんだけど」
実際に直撃したところで痛くも痒くもなかっただろう。
しかし本能的に危機を感じてしまうわけで。
――いつにも増して滅茶苦茶な行動だった。
「まったく……本当にどうしたんだ? さっきからやってることが意味不明……っていつもそうか……」
「まったく景一郎君な鈍いんだね。女の子が男の子を押し倒す理由なんて決まっているじゃないか」
きっと力で景一郎を動かすのは不可能だと判断したのだろう。
来見はその場でつま先立ちになると――景一郎に顔を近づけた。
「……!」
急接近する来見の顔。
唇と唇が振れそうになり――景一郎はその場から一歩引いた。
「はい、隙あり☆」
「な!?」
来見は笑みを浮かべ、杖を突き出す。
景一郎の両足の間に杖が差し込まれる。
そして――彼はあしをもつれさせた。
いくら身体能力が高くとも、重心を崩されてしまえば立っていられない。
景一郎はその場で尻餅をついた。
「まったく……ここまで身体能力が違うと、押し倒すにも秒単位の調整が必要で苦労するよ」
彼が起き上がるよりも早く、来見は彼の胴体に馬乗りになった。
「だから何を――」
「たいしたことはないさ。景一郎君の体を解き明かすだけだよ」
そのまま彼女は体を倒れ込ませてくる。
畳の上で2人の体が重なった。
「ちょ、おい――!」
来見は服越し、あるいは服の下から景一郎の体を撫でる。
ときには触れるだけ。
ときに何度も同じ場所を確かめるように。
彼女の手が景一郎の体を這う。
――彼女の体は脆い。
景一郎が思い切り振り払えば大怪我をしてしまうくらいに。
だから突き放すこともできず、彼に打つ手はないのだ。
「んー、未来に変化はなし。このあたりじゃないのかな」
無抵抗に景一郎が転がされたままでいると、来見はそんなことをつぶやいた。
――やはり思惑があっての行動のようだ。
多少の説明は欲しかったけれど。
「じゃあ……はむっと」
「うわ、やめろ……! 涎臭くなるだろ……!」
――しかも首筋を甘噛みされた。
「ええ……そこまで言われたらさすがに私も思うところがあるよ」
呆れた様子で来見が肩をすくめる。
しかし首元に唾液を付けられた側の身にもなって欲しい。
「客観的に見て、そこそこ可愛らしい容姿だと思うんだけどねぇ」
来見は唇を尖らせ、指で白髪をもてあそぶ。
「ともあれ……んー……駄目だね」
「散々付き合わされたあげく、駄目呼ばわりされたら俺の立場はどうなるんだ?」
よく分からないままに押し倒され、よく分からないままに駄目だと言われた。
「で……何をしてたんだ?」
「君の体を調べていたんだよ」
来見はそう語る。
悪びれることなく。
さも当然のように。
「未来の光景からの逆算なんだけどね。どうやら景一郎君はなんらかのスキルの影響下にあるみたいなんだよね」
「スキル……?」
景一郎は眉を寄せた。
自覚は……ない。
しかし来見が指摘したということは、未来においてそれを証明する何事かが起こったということだ。
「多分、探知系のスキルのね。分かりやすいマークなんかが体に刻まれていたら楽だったんだけど」
ここにきて景一郎は彼女の奇行の意味を理解した。
彼の体に、スキルを受けた形跡があるのかを調べていたらしい。
「これだけ調べても分からない以上、術者じゃないと認識できないタイプなんだろうね」
「これだけって……まだ1分くらいしか調べてないだろ」
景一郎は半眼で彼女を見た。
術者しか認識できないスキル。
確かにそう言う物は存在する。
それこそ熟練した罠スキルなんかは、発動の直前まで敵に気配を悟らせない。
来見は景一郎に仕掛けられているスキルがそういった系統のものであると考えているようだ。
「未来視によるシミュレーションも並行していたからね。正味、数時間分の検査はしているよ」
来見は『景一郎の体を探り続けた未来』を視ることで、効率よく彼の体を調査していたらしい。
それならば1分もかからず、かなりの精度で彼の体を調べられるのかもしれない。
「そうなのか」
「頑張って裸の関係になるルートも開拓してみたけど、やっぱり全身のどこにも異常なしだったよ」
「未来の俺に何があった⁉」
とんでもない未来を視られていた。
この状況からどんなルートを辿ったのか皆目見当がつかない。
「というわけで、この件はどうにもならなそうだ。それじゃあ見えているルートの中で選んでいくとしようかな」
来見は身を起こす。
ようやく景一郎の体から彼女の重みが消えた。
一方で彼女は彼に目をくれることもなく別室への扉を開く。
「というわけで景一郎君、お疲れ様―」
想像よりもはるかに淡白な別れの言葉。
襖が閉まる。
扉の向こうから聞こえる足音が遠ざかってゆく。
本当にどこかへと行ってしまったらしい。
「マジでなんだったんだ……」
これまでにない徒労感を覚え、景一郎は座敷に五体を投げだすのであった。
マーキング解除――失敗。