8章 1話 療養は生き生きと
「これ……本当に必要なのか?」
景一郎は手元の箸を見下ろして呟いた。
彼がいるのは病室。
彼の前には3つのトレイが並んでおり、そこには病院食が盛り付けられていた。
これは彼が食べるために用意されたものではない。
あくまで、これは彼の前にいる3人の女性たちのためのもので――
「ん……数日とはいえ昏睡状態だったから、いきなり普段通りの食事をするわけにはいかない」
「いや、そういう意味じゃなくて」
雪子の言葉に景一郎はそう反論する。
「別に、これくらい自分で食べられるだろ」
数日間、雪子たち【聖剣】は仮死状態に近い状況で放置されていた。
そのため体の調子は万全に程遠く、こうして療養しているのだ。
とはいえ、自分で食事ができるか否かは別の話。
「ん、この数日で筋力が衰えて箸が持てない」
「嘘が分かりやす過ぎるだろ」
日頃から人間離れした戦いを繰り広げている彼女たちが、目覚めたばかりとはいえ自力で食事ができないほどに衰弱しているわけもない。
少なくとも顔色を見る限りそこまで弱っているようには思えなかった。
「こういうのは新鮮ですね」
そんなやり取りの中、菊理が微笑む。
「まあ、俺も看病する側に回るなんて考えもしなかったな」
そもそも【聖剣】のメンバーが療養しなければならないような大怪我を負った記憶はない。
それほど彼女たちは圧倒的だった。
もしも看病されるような負傷をするとしたら自分だと思っていたのだが――
「それじゃあ――」
とはいえ、無駄にごねても時間がもったいない。
小学生時代からの幼馴染なのだ。
今さら食事を手伝うくらいのことで気にしたりはしない。
景一郎は箸を持った手を適当に伸ばす。
「あー、はたして景一郎君は誰を一番に食べさせてあげるんだろー」
そんな雪子の声に景一郎の手が止まった。
「…………気にすることか?」
当然ながら景一郎は1人しかいない。
となれば、食事を手伝うのも1人ずつ順番ということになる。
とはいえ誰を先に食べさせるかなど考えてもいなかった。
別に誰からでも構わないとばかり思っていたのだが。
「い、いえ……私はまったく気にしません」
「うふふ。どうでしょうか」
「…………思ったより気にしてそうだな」
目を逸らす紅。
意味深な微笑を浮かべる菊理。
――なんとなく、言葉にならない圧力を感じた。
(なんだか面倒な状況だな)
きっとからかわれているのだろう。
しかし、分かっていてその手に乗るというのも面白くない。
「――【影魔法】」
景一郎が下した決断は――3人同時に食べさせることだった。
影で第3の腕を作り出し、文字通り手数を補うのだ。
とはいえ利き腕でない左手と、作ったばかりの影の手。
多少ながら苦戦しつつ、景一郎は3本の手で箸を操った。
そのまま彼女たち3人へと同時に食事を運び――
「ん……1番好きな子には右手。2番目は左手。3番目は影」
――手が止まった。
「食わせづらくなるだろ……!」
景一郎にとって【聖剣】は特別な存在だ。
そのため【聖剣】――今では【面影】もそこに加わるのだが――とその他では明確に優劣が存在する。
しかし【聖剣】の3人の中で優劣など考えたこともない。
全員が大切で、誰が1番という話ではないのだ。
そもそもパーティ内で誰が1番好きかなど地雷を踏みに行くようなものだ。
「もういい……」
景一郎は影の腕をさらに2本追加した。
すべて影の手であるのなら文句のつけようもないだろう。
「で、体の調子は大丈夫なのか?」
すでに聞くまでもないような気がしたが、景一郎は問う。
「ん」
「少し気だるいくらいでしょうか」
雪子と菊理がそう答える。
無理をしているという印象はない。
「すぐに復帰できると思います」
「そうか――」
復帰。
紅の言葉に、景一郎は少し思考を巡らせた。
(――【先遣部隊】か)
束の間の休息。
しかしこれは戦いの間に生まれたほんの少しの余暇でしかない。
また【先遣部隊】との戦いが遠くないうちに勃発するのだろう。
(俺とグリゼルダならあいつらと対等に戦えることは分かった)
景一郎の力は異世界の冒険者にも通用する。
それが前回の戦いで確認できたのは大きかった。
あそこまで善戦できたのは相手がこちらを見くびっていたから。
だが向こうが全力を以って立ちはだかったとしても対等に戦える。
そう思えた戦いだった。
(あの時の紅たちは万全には程遠い状況だった)
思い出すのは異世界の冒険者とのファーストコンタクト。
あの時は圧倒されるばかりだった。
とはいえあの時、こちら――特に紅たちはエニグマとの戦いですでにかなり消耗していた。
本来の実力の半分も発揮できていなかっただろう。
(完全に回復した状態ならあいつらとも戦えるのか?)
だが全快したとして、どこまで【先遣部隊】に通用するのかは未知数だ。
なにせ敵は【魔界顕象】という、純粋な人間では対抗さえできない能力を有している。
そんな相手に、彼女たちをぶつけても良いのだろうか。
(もしそうでないなら、いっそ俺だけで――)
彼女たちを喪うことが怖いのなら。
いっそのこと、景一郎だけで彼らを打破するよう立ち回るべきなのではないか。
そう思いかけたとき――
「景一郎」
「?」
紅の声が景一郎の思考を断ち切った。
無意識に伏せていた顔を上げ、紅へと向かい合う。
「あと少しだけ待っていてください。私たちも戦いますから」
紅が発したのは、景一郎の考えを見透かしたような言葉だった。
戦場から降りるつもりはない。
そんな宣言だった。
「ん、当然」
「異世界のスキルなんて、そうお目にかかることはできませんし」
雪子は頷く。
菊理に関しては、戦う覚悟を固めているというよりも未知の敵との戦いをただ楽しみにしているようにも見えたけれど。
「貴方だけを戦わせたりはしません」
そして紅は、まっすぐと景一郎の目を見つめた。
「ん……。そして多分、それは【面影】の人たちも一緒だと思う」
そう口にしたのは雪子だ。
「景一郎君、すごく強くなったって聞いた」
すでに【聖剣】には、【先遣部隊】が現れてから彼女たちを奪還するまでの一部始終が伝えられている。
景一郎が手にした力のことも。
「でも、全部を背負わせようなんて思わない」
それを知ったうえで、雪子はそう断言した。
「少なくとも、私たちはそう思ってる」
相手は強大だ。
死を恐れ、戦いから降りたいと考える者もいるだろう。
戦えるだけの力がある者にすべて任せてしまうべきだという者もいるだろう。
でも、彼女たちはそう考えてはいないと。
景一郎だけを戦場に立たせたりはしないと語った。
「……そうか」
――別に、予想外というわけではない。
きっと【聖剣】は――そして【面影】もそう言うのだろうと分かっていた。
分かるくらいには、深く付き合ってきたつもりだ。
すべてを背負うだなんて覚悟を決めたとして。
それでも彼女たちは、当然のように彼の肩から荷物を奪ってゆくのだろう。
――守られるだけのお姫様なんて、性に合わないといわんばかりに。
「そういえば景一郎さん」
「どうしたんだ?」
菊理は、会話が一区切りついたタイミングで口を開いた。
彼女が妙に真剣な目をしていることもあり、少し怪訝に思っていると――
「体調が戻ったらまたグリゼルダさんと戦ってみたいのですが。今度は異世界のスキルも使って」
――思ったよりも好戦的な申し出だった。
「これじゃ……心配してた俺が馬鹿みたいだな」
彼女たちと対等に戦いたくて強くなった。
そして背中を預けてもらえるだけの力を得た。
――だが、1人で彼女たち全員の命運を背負って戦えるようになるには少し時間が必要らしい。
以前の戦いでは、【聖剣】全員に連戦によるデバフがかかっていました。
そのため、今回が本当の意味で初めて対等条件での戦いとなるかと。