8章 プロローグ 支配の手
黒い帝国。
その中央に据えられた玉座で白髪の少女は果実をかじる。
「うん。こっちの食べ物って美味しいよね」
少女――バベル・エンドは果汁で濡れた唇を舐める。
「まあ否定はしないわねっ。あっちの食べ物って味気ないもの」
バベルの隣で青髪の少女――ルーシー・スーサイドがそう言う。
彼女が肘をかけているのもまた玉座。
この王の間には【先遣部隊】全員分の玉座が設置されている。
【先遣部隊】のリーダーはバベル・エンドだ。
だが元々は別のパーティから選抜されたもので作られた即席パーティであるため、明確な上下関係は存在していない。
だからこそ、この場では全員が王なのだ。
「食べたところで肉体も魔力も強化されぬ完全な娯楽じゃがのう」
「ま、いいんじゃねぇの?」
老人――オズワルド・ギグルの言葉に、痩身の青年――レイチェル・マインは答えた。
バベルたちが住む世界にはもう自然の食べ物は存在しない。
効率良く体を強化できるように栽培された技術の塊があるだけだ。
そこに味を追及するという概念は薄い。
そういう意味では、この世界の食べ物はバベルたちにとって目新しいものだった。
そもそも、今回の侵略戦争はそういった資源を手に入れるためのものなのだから当たり前なのだけれど。
「てか、一応報告書とか作らないといけないんだろ? どうしてんだ?」
「ふふ……そうだったねぇ」
レイチェルの言葉にバベルは薄く笑う。
【先遣部隊】はその名の通り、侵略戦争の先陣を切る舞台だ。
バベルたちが後方に控えている政府に報告を送り、それによって侵略の方針が決められてゆくのだ。
「それじゃあレイチェルに任せようかな」
「マジかよ姫様」
そんな任務をあっさり投げつけると、レイチェルが天井を仰ぐ。
とはいえ、この場でこういった作業に彼が一番向いているのも事実だろう。
「ふふ……何も全部考えろだなんて言わないよ」
とはいえ何の方向性も示さないままに報告書を書かせるつもりはない。
「そうだねぇ……もうちょっと時間がかかりそうって言っておいてよ」
「はぁ!? アタシたちがなんか苦戦してるみたいじゃないの!」
最初に噛みついたのはルーシーだった。
プライドの高い彼女は、攻めあぐねているかのような報告書を提出されてしまうのが不満なようだ。
「そう言うでないルーシー殿! きっとバベル殿にも考えがあるのだろう!」
「……とのことですが」
豪快に笑うガロウを横目に、シオンがそう尋ねてくる。
「大した理由はないよ」
バベルは手をひらひらと振った。
大した理由はない。
とはいえ、まったくの考えなしというわけでもない。
「ただせっかく手に入れた遊び場だからね。まだ本隊の介入を受けたくないってだけだよ」
遊び。
バベルにとってこの戦争は遊びでしかない。
だが彼女たちが自由に遊べるのは、まだ本隊がこちらの世界に来ていないからだ。
言い換えれば――本隊の介入なんて面倒なものはできるだけ後に遅らせたい。
「そうはいっても、あんまり時間をかけてたら逆に援軍が来ちまうんじゃねぇか?」
「そこは上手く匙加減しておいてくれると嬉しいかな」
本隊が現地入りできるほど侵略が進んでいない。
されど、援軍が必要なほど苦戦してもいない。
そんな塩梅をバベルはレイチェルに要求する。
「……一番面倒臭いところじゃねぇか」
疲れたようにレイチェルは肩をすくめた。
「おっほぉぉ……ボクちんは可愛い子しか食べられないから退屈だお」
一回り大きな玉座の上でグレミィが嘆く。
――彼は食事をしない。
同じパーティであるバベルも彼についてはよく知らないのだが、やはり食事を必要とする存在ではないのだろう。
「そういえばレイチェル! アンタ向こうのリーダーにマーキングしたって話だったわよね!」
そんなことを考えているとルーシーが声を上げた。
マーキング。
確か敵の位置情報を特定できるスキルのことだったはずだ。
レイチェルが敵の成功戦力にそれを付けておいたという話は聞いている。
「ああ。あと一週間くらいは持続するはずだぜ」
「一週間⁉ 短いじゃないの!」
背もたれに全身を預けながらそう呟くレイチェル。
一方でルーシーは玉座から立ち上がって叫ぶ。
「ふふ……なら、そろそろ領地を広げないとね」
バベルは笑みを漏らした。
ずっと同じステージにとどまっていてはどんなゲームも飽きてしまう。
もうそろそろ新しい局面で楽しみたいと思っていたころだ。
「せっかくの異世界。楽しんで攻略していこうじゃないか」
焦らず、それでいて着実に。
順序良く攻略していこうではないか。
「それじゃあ拠点防衛はボク、シオン、オズワルド。侵略部隊はレイチェルをリーダーにして、ルーシー、ガロウ、グレミィで良いかな」
素早くバベルは指示を出す。
気分は戦略ゲームだ。
どれほどの戦力を残し、領地を広げるために戦力を捻出するか。
それを決めてゆく。
「いやいやいや。なんで一番弱っちい俺がリーダーなんだ?」
「ふふ。でも他に指揮できそうな人いないでしょ?」
バベルはレイチェルにそう笑いかけた。
レイチェルは自己申告の通り、スペックだけならば【先遣部隊】で最弱だろう。
だが彼の立ち回りはそんなハンデを容易く覆す。
それに、慎重な彼なら無用なリスクを冒して部隊を崩壊させる心配もない。
侵略部隊の隊長を任せるには最適だ。
「そりゃあ……まあ」
そもそもこのパーティは協調性の欠片もない。
他のメンバーがリーダーをしても、すぐに空中分解してしまうのが目に見えている。
それを理解しているのか、レイチェルも代案を出せないでいるようだった。
「はぁ!? アタシが馬鹿みたいに言わないでくれる!?」
「みたいとは言ってないだろ、みたいとは」
「はぁぁぁぁぁ!?」
もっとも、ルーシーはレイチェルが隊長であることが不服のようだったけれど。
「てか俺【罠士】だぞ? 完全に拠点防衛向きだろ。侵略なら、手数がある分【ネクロマンサー】のシオンが向いているんじゃないか?」
とはいえ、乗り気でないのはレイチェルも同じ。
どうにか拠点防衛に回りたいらしい。
確かに【罠士】は拠点防衛に適しているとされる職業だ。
対してシオンは1000以上のゾンビを使役できるため、敵地を混乱させるという意味でも侵略に向いている。
とっさに提案したにしては上手い言い訳だ。
もっとも――
「でも君がいないとマーキングが活かせないからね」
「……余計なことするもんじゃなかったぜ」
どうあがいてもレイチェルに逃げ道などないのだが。
バベルが自分の楽しみを優先して本隊を呼ばないようにするというのも、実は『適度に負ける』という来見の調整が利いていたり。
最初から未来予知を最大限に活かして優位に戦ってしまうと、この時点で本隊が【先遣部隊】と合流してしまって詰みます。