7章 エピローグ 戦果
「――――――」
病室のカーテンが揺れる。
肌寒い空気が消毒液の臭いと入れ替わる。
そんな部屋で、景一郎は沈黙していた。
彼の前には3つのベッドがある。
鋼紅。
糸見菊理。
忍足雪子。
それは【先遣部隊】に捕らわれていた女性たちで、景一郎にとってかけがえのない存在だ。
そんな彼女たちが病室で眠っている。
とはいえ呼吸は規則正しく、表情も穏やかだ。
その事実が彼の心を軽くする。
命に別状はない。
だからといって、安心してどこかに行こうなんて気分にはなれない。
彼女たちが起きるのをそばで待たずにはいられない。
しかし、物音で起こしてしまうのも悪い。
結果として、彼は何もせずにただ椅子に座っていた。
そんな時間がしばらく経ち、少し辛くなってきたころ――病室の扉が開いた。
「きゃー。景一郎君が眠っている幼馴染にえっちなことしようとしてるよー」
それは白い少女だった。
彼女――天眼来見は幾何学模様の目をこちらに向け、棒読みでそう語る。
「何を見たらそんな感想になるんだよ。未来か?」
景一郎は呆れた目を彼女へと向ける。
ここ数時間で一番疲れた気がする。
「どう見てもそういうテンションじゃないだろ」
「ならどういうテンションなんだい?」
「――普通に安心してるんだよ」
安心。
結局はそれだろう。
紅たちが生きていた。
そのために【面影】の誰かを犠牲にせずに済んだ。
それは景一郎にとって破格の未来で、喜びよりも安心が勝っていた。
「…………なぁ」
このまま無言で通すというのもいかがなものか。
そんな思いから、景一郎は来見に声をかけた。
「なんだい?」
そう問う来見。
とはいえ見切り発車の会話だ。
景一郎が口にできる言葉といえば――
「――――――ありがとう」
感謝しかなかった。
「………………」
――反応がない。
てっきり茶化すような言葉が返ってくると思っていたのだが。
ふと景一郎が来見を盗み見ると――
「どうして驚いてるんだよ。未来視てなかったのか?」
彼女は目を見開いて立ち尽くしていた。
――予想もしていなかった言葉を投げかけられたかのように。
「……視てはいたけど、いざ直面してみるとビックリというやつだよ」
景一郎の言葉に再起動したのか、彼女はへらりと笑う。
いつも通りの飄々として、白々しい態度で。
「人生を根っこからゆがめられた君が、よりにもよって私に礼を言うだなんてね」
「別に、そこまで露悪的に言う必要もないだろ」
景一郎は天井を見上げた。
その天井は――白かった。
どこかの少女のように、白い天井は彼を見下ろしている。
「お前が誘導していたとしても、俺は自分の選択に納得してる」
きっと彼女が景一郎の人生を誘導したのは事実なのだろう。
だが人質を取られたわけではない。
拷問をされたわけでもない。
いうなれば――スポーツ選手だった親から英才教育を受けた子供が、自然とそのスポーツにのめり込んでゆくようなものなのだろう。
多少の作為があったとしても、冒険者になることを選んだのは彼自身。
そもそも、その選択を後悔してもいない。
だから、わざわざ責め立てる気はなかった。
「正直、紅たちを巻き込んだことには思うところもあるけど……ちゃんとこうして助け出せたわけだしな」
しかし、そう言えるのも紅たちが生きていてくれたから。
もし彼女たちを喪っていたのなら、きっと景一郎は来見を責めていただろう。
自分の無力から目を逸らして。
どうにもならなかった理不尽を彼女にぶつけたことだろう。
「まあだから……信用することにするよ」
少なくとも、今のところは。
彼女の目的が、景一郎の願う未来と重なっている。
そう信じられるうちは。
「お前の駒として、世界を救う」
彼女を指し手と認めよう。
景一郎の世界と、異世界。
2つの世界の未来を賭けた対局の指し手として。
「今回は、君の信頼を得るためにサービスしただけかもしれないよ?」
「それでもいい。誰1人犠牲にしなくても勝てるよう――俺が強くなるだけだ」
捨て駒など必要ないほどに。
「なるほど。私も不必要に犠牲を出すつもりはないからね。――必要ならいくらでも出すけれど」
天眼来見の目的は世界の救済。
そのためのルートに必要であれば誰でも切り捨てる。
それだけなのだ。
いたずらに命をもてあそんでいるわけではない。
「ともあれ、普通に眠っているだけみたいで良かったね」
もう彼女の中でこの話は終わったのだろう。
来見は紅たちへと目を向けていた。
「今日中に目を覚ますだろうって話だ」
「なのにずっとここで待つつもりなのかい? 別に命の危機があるわけでもないのに」
そう来見は尋ねてくる。
様態が急変するわけもない相手に付きっきりというのは彼女にとって不思議な行動のようだ。
――単純に、相手が目覚めるタイミングさえ視える彼女には『起きるまでその場で待つ』という感覚が分からないのかもしれない。
「……悪いか?」
「そうは言っていないさ」
彼女はへらりと笑う。
「さて景一郎君。誰にえっちなことをするのか選択してくれたまえ。1、鋼紅。2、糸見菊理。3、忍足雪子」
「選択肢を出すな」
「早くしないと孤独死ルートだよ? 2週目以降は私の名前も選択肢に現れてアナザーエンドへの道が――」
「ゲームかよ。未来が分かるお前に言われると妙に不安なんだよ。さらにいえば2週目って物理的に無理じゃねぇか」
――疲れる。
「10……9……」
「カウントダウンで焦らせようとするな」
そう景一郎が言うと、来見は唇を尖らせる。
「ふーむ。ここでタイムロスは良くないかなぁ」
そんなことを口にすると来見は歩きだす。
杖を着きながら彼女が向かったのは――紅が眠るベッドだった。
「?」
景一郎は首を傾ける。
いまいち彼女の意図が分からない。
悪意があるようには見えないのだが。
彼が来見の行動を注視していると――
「えい☆」
そんな気の抜ける掛け声。
同時に彼女は親指を伸ばし――紅のベッドにある膨らみへと押し込んだ。
「ぁん!?」
布団の下で紅の体がびくんと跳ねた。
完全に不意を突かれたせいか、彼女の口から出た声は景一郎も聞いたことがないようなものだった。
幼馴染であり、尊敬すべき冒険者。
そんな彼女の口から出た嬌声は女性を感じさせるもので。
――少し妙な気持ちになる。
「……あなたは」
「いやはや。眠ったふりをしていた罰だよ。本当は景一郎君にして欲しかったんだろうけどね」
ベッドから身を起こした紅は責めるような視線を来見へと向けた。
先程の反応に羞恥しているのか、彼女の頬は少し赤い。
「ん……紅のおっぱいは景一郎君専用だからあまりいじらないであげて欲しい」
隣のベッドがうごめく。
白いシーツを体に巻くようにして起き上がったのは雪子だった。
「……起きてたのか」
「ん……」
「あらあら……」
2人が起き上がったためか、菊理も布団をめくった。
いつからなのか分からないが、どうやら3人は目を覚ましていたようだ。
そして来見の発言を信じるのなら、眠ったふりを続けていたらしい。
――示し合わせでもしていたのだろうか。
「景一郎君。女の私から見ても、形も大きさも弾力も素晴らしいおっぱいだったよ。あれを独り占めだなんて羨ましい限りだね」
一方で、来見は手を開いたり閉じたりを繰り返してそう言った。
妙に満足げな表情で。
「そんなわけないだろ……」
男1人に、見目麗しい女性が3人のパーティ。
そういうこともあり、下世話な勘繰りをされたことも少なくない。
だが景一郎たちはただの幼馴染であり、そういった関係ではない。
「――紅、ゆっこ、菊理」
景一郎は立ち上がる。
そして息を吐き出す。
何時間も座っていたせいで少し腰が痛い。
だが、待っていただけの価値は充分すぎるほどあった。
「……もう会えないかもしれないと思っていたから」
あのダンジョン。
現れた異世界の冒険者。
紅たちがあの場に残ったとき、もう会えないのではないかと思った。
助けると誓ってはいても、現実は残酷なのではないかと思ってしまった。
「こうやって無事で……良かった」
まだすべてが終わったわけではない。
ここから先の未来は残酷かもしれない。過酷かもしれない。
それでも今は――
目の前に紅がいる今は――
「私も――また景一郎に会えて……良かった」
――幸せだ。
もしも天眼来見ルートなんてものがあったら『無事な未来が視えているのに景一郎を必死に看病している自分に困惑する来見』みたいな展開があるのかも――




