7章 16話 冥土の使者
「のわっ」
詞は悲鳴とともに横へと跳んだ。
直後、彼の脇あたりを鎖が高速で通過する。
先端に刃物がついているわけでもないシンプルな鎖。
しかしあれが直撃してしまえば人体など容易く貫通されることだろう。
シオンの鎖さばきは見事。
だが、投擲した鎖が伸びきっている今は間違いなく隙だ。
見逃す手はない。
「そりゃっ」
詞の手中に影の手裏剣が創出される。
そして彼はコンパクトな動作でシオンへと手裏剣を投げつける。
しかし――
「無駄です」
シオンはその場で――回転する。
彼女の回転に合わせて巻き取られてゆく鎖。
それは繭のように彼女を囲って手裏剣をすべて弾いた。
武器であり防具。
それが彼女の鎖なのだ。
「それな――らっ」
再び攻勢へと転じるシオン。
迫る鎖。
それを詞は――掴んだ。
「これでガードできないよねっ」
詞はそう笑いかける。
こうやって鎖の端を掴んでしまえば、さっきのような防御は不可能。
しかも鎖を固定されることで移動範囲を制限され、回避の難度も上がる。
このタイミングでなら当たるはずだ。
「これくらいの攻撃は防がなくとも問題ありません」
詞が投げた手裏剣。
それをシオンは――腕を盾にして防いだ。
手裏剣は彼女の腕に抵抗なく刺さった。
しかし彼女は顔色一つ変えない。
ただ淡々と、鎖を握りなおす。
「!?」
彼女が鎖を引くと、詞の姿勢が一気に崩れる。
拮抗さえ許されない。
彼女の動きを制限するために鎖を掴むなど無意味だったのだ。
彼女が抵抗の意思を持った瞬間、彼の体は簡単に引きずられるのだから。
「えっ、ちょ、待ぁ――ッ!」
シオンの鎖に捕まったまま詞の体が空中へと撃ち上げられる。
鎖を握ったままでいることが危険だと分かっていても、遠心力のままに吹っ飛ばされることを本能が拒否する。
そして鎖にさらなる力が加えられ――彼の体が地面へ向けて加速した。
「冥土へ直葬です」
シオンは細身から想像もつかない力強さで鎖を操る。
そのまま詞は地面へと叩きつけられ――影に沈んだ。
ちょうど落下地点に存在していた影へと潜り、影の世界へと入水したのだ。
(んー……1人じゃ厳しいかなぁ)
叩きつけられたのが影の上だったのは幸運だった。
もしもあれがただのコンクリートであったのなら、受け身を取っていても骨の数本は覚悟するべき状況だった。
詞とシオン。
両者の間にある戦力差は埋めがたい。
(透流ちゃんの迎えもあるし――ここは)
もう【隠密】頼りに逃げ切れる段階は過ぎてしまっている。
ゆえに詞は方針を変えた。
「――全員で行こうか」
詞の影がうごめき、明乃と香子を吐き出す。
今は影の中にいるため、シオンは2人の気配を感じていないはず。
つまり――この上ない奇襲となる。
「――新顔ですね」
詞、明乃、香子の3人はシオンを囲む位置取りで影から飛び出した。
1対1が唐突に1対3へと塗り替わる。
そんな状況でもシオンは動揺しない。
ただただ淡々と適切に対処する。
「別に、顔とか覚えてくれなくていいから」
拳銃を構える香子。
直後、シオンの右腕がぶれる。
その動きに連動して鎖は大気を裂き――香子の拳銃を破壊した。
銃身を削られて暴発する拳銃。
小規模な爆発は、銃を握っていた香子の左手を血に染める。
だが彼女は揺らがない。
間髪入れずに香子は右腕を振るった。
伸びるのは蛇腹剣。
しかし狙うのはシオンではない。
標的は鎖だ。
鎖と蛇腹剣。
2つの武器が絡み合う。
これで武器ごとシオンの右手を縛った。
「これで――」
「捕まえた」
香子に続き、詞は影を伸ばす。
狙うのはシオンの左手。
影のツルが彼女の腕に絡む。
「これで終わりですわっ」
左右からシオンの動きを封じた。
だが本命はここから。
明乃は炎剣を振り上げ、シオンの背後を突いた。
そして――
「そうなんですか?」
「がッ……!?」
シオンの蹴りが明乃の鳩尾に突き刺さる。
――速すぎる。
いつでも彼女の攻撃を妨害できるようにと注意していたはずなのに、シオンの蹴りを止めることができなかった。
「明乃ちゃん!」
「ちっ……!」
シオンの爪先が下腹部に刺さり、明乃のドレスに血のシミが広がってゆく。
貫通に至ってはいないが、内臓にダメージが入る一撃だ。
「これで終わり――先程の自己申告から推測するに、もう亡くなられたのですか?」
シオンは明乃の腹から足を引き抜く。
揺れる明乃の体。
そして彼女は――踏みとどまる。
痛みで動けなくともおかしくない。
その場で座り込んでもおかしくない。
そんなダメージでも彼女は強く地面を踏みしめ、左手でシオンの脚を捕らえた。
「これで――逃げられませんわ」
明乃はシオンの脚を脇に抱えて微笑む。
両腕、片足。
それを拘束されたシオンは――
「それは貴女が――では?」
残る右足で地を蹴った。
シオンの体がふわりと浮かぶ。
跳躍によって自由になった右足。
それを使い彼女は明乃の首を絞める。
「ぐっ……」
シオンは膝を曲げ、太腿とふくらはぎで明乃の首を挟む。
ぎしぎしと明乃の首が軋む。
これは締め落とすための攻撃ではない。
喉を潰すための攻撃だ。
「……こう見えて」
それでも明乃は止まらない。
掠れた息を漏らして笑う。
「こう見えて――わたくし、タフですのよ」
近すぎる間合いに合わせ、明乃は炎剣を逆手持ちに変える。
そして――シオンへと振り抜いた。
「――火葬ですわ」
シオンは一切の防御態勢を取れないまま爆炎に呑まれた。
☆
「明乃ちゃん大丈夫?」
「止血薬はもう使いましたわ」
詞が駆け寄ると、爆風に飛ばされていた明乃が立ち上がる。
どうやら明乃は回復用の薬品を持ち込んでいたようで腹部の出血は止まりつつあった。
とはいえ手痛いダメージだった事実は変わらない。
平気そうに振る舞っているが、明乃の顔色はよくない。
「たった1発当てるのにこれじゃ割に合わないっての」
香子が舌打ちを漏らす。
彼女の左手からは血が滴っている。
命にかかわるほどではないが、武器を強く握れるだけの握力は残っていないだろう。
――やはりシオンの打倒は考えるべきではない。
「とりあえず今のうちにここを離れ――」
詞が離脱を提案しようとした刹那。
冷たい風が吹いた。
冷たく、湿った。
不吉な風が吹き抜けた。
「――【魔界顕象】」
「――――【反魂生死】」
そして、世界が塗り替わる。
昼なのに薄暗い。
コンクリートの地面が、ぬかるんだ泥に変わった。
胸にわだかまる空虚なしこり。
これは――死の気配。
ここは――墓地だ。
足元と空気が変わっただけなのに、世界が一変して見える。
並んでいた建造物が今や、まるで墓標のように思えてくる。
心が沈み、嫌な汗がにじむ。
ここに立っているだけで、幸せな思い出がすべて色褪せてゆく気がする。
「希望通りに死亡できず申し訳ありません」
そこには喪服のようなメイド服を纏う女性がいた。
冥土の使いがいた。
顔を焼かれ。
それでもシオンはここに立っていた。
「えー……あの至近距離で食らって無事なのぉ」
「効いてはいるようですが……」
明乃の言う通り、効いていないわけではない。
だからこその失望。
効いてなお命に届いていない。
その事実をより鮮烈に感じ取れてしまうから。
「アイツの顔。……少しずつ治ってるわよ」
香子がそう指摘する。
改めて観察してみると、確かにシオンに刻まれた火傷が少しずつ小さくなっている。
顔の右半分から首にかけての火傷が――顔だけに。
そして今は、目元に火傷の跡が残っているだけだ。
「ダメージを受けないタイプっていうより、受けるダメージより早く回復していくタイプって感じね」
そして、完治する。
「困りましたね」
無傷へと戻ったシオンがそうつぶやいた。
鎖を引きずり、詞たちへと歩み寄る。
「本来なら、こういう場合は冥土の土産をお渡しするのでしょうけれど」
彼女は首を傾けた。
「――冥土に帰り道はないので。土産を渡しても意味がありませんね」
虚ろな瞳が詞たちを捉えて逃がさない。
「私に出来ることといえば、死ぬのが怖くないように――生きていることに絶望してもらうことくらいでしょうか」
構える詞たち。
しかし冷や汗が止まらない。
まずい。まずい。まずい。
さっきまでよりも隔絶された実力を感じる。
このままでは間違いなく――
「それでは……【死――――】」
それは発砲音だった。
そして、シオンの胸に穴が開く。
心臓があるであろう場所に穴が開く。
「冥土だろうと何だろうと、帰り道ならありますよ」
そんな声が聞こえた。
その女性は建物の屋上から戦場を見下ろしている。
切り揃えられた黒髪を揺らし。
メイド服をはためかせ。
「明乃お嬢様が帰る場所は、私がいる場所と決まっていますから」
女性――棘ナツメは狙撃銃を構えてそう宣言した。
銃口からは白い煙が伸びている。
さっきの狙撃は彼女によるものだったのだろう。
「なるほど……」
シオンの胸から血があふれる。
それでも彼女は表情を変えることなく、軽く手で押さえているだけだ。
そして彼女は振り返る。
この場に現れた、もう1人のメイドへと。
「それでは――お嬢様以外の帰る場所は」
「管轄外です」
そう言い捨てると、ナツメはシオンの額を撃ち抜いた。
余談。
白いカーネーションは『亡き母を偲ぶ』花。
喪服、メイド(冥土)、『ホワイト』リン『カーネーション』。
シオンは『死』に関係する描写が多めとなっております。
その理由は――




