7章 13話 戦いの兆し
「結局のところ、主殿の世界と我らの世界の違いは――積み重ねた時間だ」
来見の思惑を聞いた景一郎たち。
その後にグリゼルダが発したのはそんな言葉だった。
「そういえば年季が違うとか原始人だとか言われてたな」
景一郎は顎に手を当てて思い出す。
戦っている最中はちょっとした舌戦くらいにしか考えていなかったのだが、どうやらそういうわけでもないらしい。
「我が調べたところ、この世界にダンジョンが現れたのは約50年前であったな?」
「ああ。大体それくらいのはずだ」
正確に記憶しているわけではないが、おおよそ半世紀という認識で間違いないはずだ。
「我らの世界の場合は――250年前だ」
そしてグリゼルダが口にしたのは圧巻ともいえる年月だった。
50年と250年。
その差はあまりにも大きい。
「この世界の5倍、我らの世界はダンジョンと向き合ってきた」
来見はあと100年――ダンジョンが現れてから150年経てば自然とエニグマを倒せる可能性が見えてくると言った。
この世界が100年後に達成するであろう偉業。
それをグリゼルダがいた世界は、100年前に踏み越えている。
それだけで2つの世界の間にある隔たりが分かるだろう。
「ゆえに上級職の獲得条件もおおよそ解き明かされ、効率よく強くなれる。与えられたスキルを駆使するだけでなく、改造スキルによってさらなる可能性を手にした」
科学に置き換えてみればその差はさらに歴然としたものとして認識できるだろう。
200年で、科学技術がどれほど飛躍したのか。
それと同じくらい、景一郎たちの世界は遅れている。
「そして――人間という限界値さえも超越した」
「【混成世代】ってやつか」
人間とモンスターの因子をあわせ持つ存在。
そんなことは、これまで考えたこともなかった。
そんな技術が向こうの世界では実用化されている。
「うむ。我らの世界の一般人は……そうだな。この世界で言うところのDランク程度の力はある」
日本においてもっとも多い冒険者のランクはCとされている。
Cランク冒険者なら、1人で複数人のDランク冒険者を相手取ることができる。
しかしこれはあくまでも向こうの世界にいる『一般人』の水準なのだ。
「一般人ってことは――もし戦闘員なら」
「おそらく、低めに見積もってBランク程度であろう」
「そりゃ全面戦争じゃ勝てないわけだ」
Bランクとなれば一流の冒険者だ。
そんな実力者が当然のようにいる。
向こうの世界の人口は分からない。
だが、非戦闘員でさえもこちらの脅威となりうるのだ。
世界同士のぶつかり合いになれば確実に敗北するだろう。
「そして【先遣部隊】は我らの世界のSランク冒険者で構成されている。おそらくこちらの世界で一騎打ちが許されるのは我と主殿くらいだろう」
たった数人に異世界への侵略を任せるのだ。
【先遣部隊】が指折りの実力者であることは予想できていた。
「なら――【面影】としてならどうなる?」
1対1に光明がないとして。
パーティ単位で戦えばどうなるのか。
両者の戦力を知っているであろうグリゼルダにそう問いかける。
「主殿と我がいない【面影】という意味であるのなら――全員で【先遣部隊】の1人と戦えるくらいであろうな。――【魔界顕象】を使われないという前提で」
それはあまり良い状況とは言えない言葉だった。
【面影】のメンバーもかなりの実力者だ。
それこそ国内であれば上位10人に数えられてもおかしくないほどの実力を持っている者だっている。
なのに、数人がかりで1人を相手取るのが限界だとグリゼルダは言ったのだ。
「だから私がいるってわけだよ」
そんな中、口を挟む者がいた。
天眼来見だ。
彼女は薄く笑い、幾何学模様の瞳で景一郎を覗き込む。
「私が完璧なタイミングで、相性の良い相手と君たちをぶつける。そうして少しでも勝率を底上げするわけだ」
来見には未来が視える。
それは敵の動向に関しても同様だろう。
だからこそ、敵の動きに合わせて景一郎たちを配置する。
実力で勝てないのなら相性で。
そうやって勝機をかき集めていくわけだ。
「それともう1つ伝えておかねばならぬな」
グリゼルダは静かにそう語る。
「我を含め、主殿が出会った【先遣部隊】は全員――後衛職だ」
「…………は?」
景一郎は彼女の言葉に固まる。
パーティには役割がある。
近接戦闘が得意な前衛職が、遠距離攻撃を得意とする後衛職を守る。
それが一般的な立ち回り。
逆に言えば、前衛のいないパーティは簡単に接近を許してしまいすぐに瓦解するのだ。
「あいつら接近戦でも充分戦えてたぞ?」
「この世界の基準で見れば、ということだ」
向こうの世界の冒険者の苦手分野が、こちらの世界の冒険者の得意分野に匹敵する。
もしも彼女たちが本領を発揮して戦えたのなら――
「あの戦い、奴らはタンクどころか物理アタッカーさえいなかった。そんなパーティの体をなしていない相手に敗走したということは――分かるであろう」
「俺が思っているより、実力差は大きいってことか」
前回は景一郎たちも消耗していた。
だから、万全の状態で戦えたのならもっと拮抗した戦いになる。
そう思っていたが、それは甘い考えだったらしい。
「次の戦いには前衛職の連中も参戦するであろう」
「そいつらが守りを固めて、後衛職が全力で攻撃してくる……最悪だな」
なんの策もなく戦えば、前回以上に凄惨な敗北を迎えるのは明白だった。
「だから敵戦力の分断は必須であろうな。幸い、奴らに協調性はない。立ち回り次第でどうにかなるはずだ」
「そこは任せてよ。ちゃんとお膳立てしておくから」
そう言ったのは来見だった。
確かに彼女なら、敵が上手く孤立したタイミングを読めるだろう。
――彼女が、この時代でしか勝ち目がないといった理由が少しずつ身に染みてくる。
強い駒だけでは足りない。
未来を見通せるだけでは足りない。
敵に食らいつけるだけの大駒と、盤上を完全に掌握できる指し手がいなければこの戦いには微塵の勝機さえないのだ。
「となれば、まずは戦力強化か」
「我も同意だ。【聖剣】を奪還し、【面影】の戦力を向上させる。そうすれば、それなりの戦力としては数えられるはずだ」
心情的にはもちろんのこと、戦力的にも【聖剣】の奪還は必須となる。
彼女たちの戦力がなければ、この勝負は負けが決定づけられてしまう。
それくらいに彼女たちの奪還はキーポイントなのだ。
「えーっとねぇ……それはちょっと間に合わないかな?」
「……間に合わない?」
景一郎は来見の言葉を反芻した。
「もしかして、未来でも視たのか?」
戦力の強化が間に合わない。
それは【先遣部隊】が侵略を再開するまで時間がないという意味か。
そんな意図を込めて問うも、来見は困ったように笑う。
「いやぁ、未来というより現実を視ちゃったかな」
「?」
「1時間前――魔都に【先遣部隊】が現れた。それで【面影】が魔都へと向かったそうだよ」
来見が口にしたのは、決して看過できる事実ではなかった。
【先遣部隊】が現れた。
それは良い。
嬉しい状況ではないが、仕方のないことだと割り切るしかない。
だが、なぜ【面影】が魔都へと向かうのか。
景一郎もグリゼルダもいない。
そんな状態で魔都に向かうなどという暴挙をどうして――
「なんで――」
「どうやら、魔都の様子を監視していた冒険者が【聖剣】の無事を確認したようだね。それで、急遽【聖剣】奪還作戦が行われることになった。彼女たちは真っ先に志願したようだね」
来見は静かにそう語った。
「俺のため、なのか……?」
景一郎の口からそんな言葉が漏れた。
死の確率のほうが高い作戦。
それでも彼女たちが向かったのは――景一郎のためなのか。
「まずいかもしれぬな……。普通の交通手段を使ったとはいえ、我が拠点からここに来るまで3時間はかかった。すでにあやつらが出撃しているのなら間に合わぬぞ」
グリゼルダは元より景一郎と戦うためにここへと向かっていた。
だから余分な魔力を使わないように公共交通機関を利用したようだ。
魔都にタクシーやバスといった移動手段は存在しない。
あるとしたら電車だけ。
ゆえにグリゼルダが使い方を知っているのも電車だけということになる。
つまり3時間というのは、電車を使用しての時間ということ。
――徒歩の時間があることを加味しても、それなりの距離だ。
「――その未来は視てたのか?」
「うん」
景一郎が尋ねれば、隠すことなく来見は頷いた。
「…………信じていいんだな?」
もしも彼女が未来を知っていて、このタイミングに話す必要があったとしたのなら。
彼女が本当に世界を救うつもりだったのなら。
今は――まだ『間に合う』タイミングであるはずなのだ。
そう信じていいのか。
景一郎はそれを彼女に確認する。
「それは君次第だ。でも私は、君がどうするのかを知っているからこの未来を選んだ」
返ってきたのはそんな要領を得ない言葉。
信じるのが正解か、信じないのが正解か。
彼女はそれを教えない。
だが――関係がないのだろう。
1秒でも早く着いたほうが良い。
その事実に変わりはないのだから。
「――3時間だったか?」
景一郎は障子を開ける。
そこには庭が広がっている。
100メートル以上離れた場所には塀があり、その向こう側には青空が映る。
「いくぞグリゼルダ」
彼は後ろに控えたグリゼルダに告げる。
「――1時間で戻る」
そして景一郎は、新たな力を遺憾なく発揮して魔都へと急行するのであった。
次回から【聖剣】奪還編スタートです。