7章 10話 王とその刃
遅れました。
「お前が容易く死なぬ男であることは分かった」
世界が氷に染まる。
グリゼルダを中心とした円形の世界。
壁も天井もない。
しかし氷柱が立ち並ぶ世界は、まさに宮殿であった。
「ゆえに、我の戦い方を見せるとしよう」
グリゼルダの背後に巨大な氷の結晶が出現した。
高さ5メートルに及ぶ氷のクリスタル。
それが――消える。
「【氷魔法改メ・制御偏重】――【風花】」
とはいえ、完全な消滅ではない。
結晶が砕け、無数の破片となったのだ。
元の氷塊の大きさから逆算するに、その氷刃の数は1万を軽く超えることだろう。
「はぁぁっ」
号令はグリゼルダの手だった。
彼女が腕を振るうと、連動するように光が景一郎を襲う。
光の正体は、氷が反射した太陽光。
つまりあの光の奔流は、そのまま氷の刃の瀑布であるということ。
「ここまで細分化した魔法を操作できるのか――」
景一郎は感心の声を漏らす。
1度回避したとしても、氷の刃は彼の後を追う。
――つまり、グリゼルダは撃った後の魔法の軌道を操作しているということ。
撃つ前にある程度の弾道を決めることはある。
実際に菊理のような優秀な魔法アタッカーは、あらかじめカーブを描くように魔法を放つことができる。
――だが、すでに射出した魔法を操作する技術など聞いたことがない。
おそらく、彼女が生まれた世界に存在する技術なのだろう。
「これは我の世界でも限られた者しか使えぬ技術だ。ゆえに【風花】と固有の名前を与えられている」
グリゼルダは得意げに笑う。
異世界の冒険者である【水魔法】使いも魔法を複雑な軌道で撃ち出していた。
――だがグリゼルダの行いは明らかにレベルが違う。
ただ弾道を曲げているだけではない。
氷刃の群れはいくつにも分割し、それぞれ別の軌道で動かしている。
そうして多角的に敵を狙っているのだ。
恐ろしいほどの魔力制御能力と、並列思考能力が必要とされる神業であることは想像に難くない。
「っと」
上下左右から襲いかかる包囲攻撃。
それを景一郎はスピードに任せ、攻撃の隙間をすり抜けた。
「――我の想定よりかなり速いな」
なかなか捉えきれない。
そんな現状にグリゼルダは苛立つでもなく淡々とそう口にした。
あるいは苛立つほどの余裕もないのか。
一見すると余裕ぶって棒立ちしているように見えるグリゼルダ。
しかしその表情は真剣。
彼女の脳はフル稼働して魔法を操っていることだろう。
「勝負は見えたか?」
「勝負の行く末ならとうに見えておる。――我の勝ちだッ!」
グリゼルダが声を張り上げる。
すると――
(魔法の速度が上がった……!?)
氷の群れが加速した。
急加速に対応しきれず、氷の刃が景一郎の肩を掠めた。
肩の肉を削られる痛み。
だがそれよりも考えるべきことがある。
彼女の魔法は急激に速くなった理由。
(考えられるとしたら――)
「それがお前の【魔界顕象】の力か?」
景一郎は地面を靴先で軽く叩いた。
――そこは氷だった。
魔法が加速する直前、彼はグリゼルダの【魔界顕象】に踏み込んでいたのだ。
【魔界顕象】はダンジョンボス部屋と同じ性質を持つ。
つまりここは、主の力を引き上げるための世界だ。
この異常も、彼女の【魔界顕象】に付随する能力である可能性が高い。
「そうだ。我の世界における魔法の発動スピードは通常の――5倍だ」
隠す様子もなくそう答えるグリゼルダ。
もはや隠す必要がないのだろう。
単純な強化であるがゆえに、知られても困らないのだ。
「一瞬でも足を止めたら死ぬってわけか」
(しかもグリゼルダの【魔界顕象】に踏み入れた瞬間に気温が一気に下がった。耐性を持たない人間じゃ、体温が下がってすぐに動けなくなる)
この空間はグリゼルダの魔法を補助するだけではない。
彼女の世界は彼女以外の――低温に耐性のない人間への毒となる。
Aランク相当の冒険者でも数分で動きが鈍り、20分もあれば凍死する。
自身の能力を底上げしつつ、敵に死までのタイムリミットを押し付ける。
それがグリゼルダの【魔界顕象】なのだ。
「細かく分裂した氷の刃は矢印で弾けない。矢印で距離を詰めようとしても、さらに速い魔法で殺される。相性が悪いな」
矢印1つにつき、1つの対象にしか干渉できない。
だから細分化した攻撃は天敵なのだ。
矢印で接近しようにも、魔法の超速発動によって手痛いカウンターを食らう。
最悪とまではいわないが、相性は良くない。
「もう負けたときの言い訳を並べておるのか⁉ ならば所詮――」
「いや――もう俺の勝ちだ」
――だが、相性だけで勝負を決めさせるつもりはない。
景一郎はグリゼルダとの距離を詰める。
――これまでの倍近い速力で。
「なッ……!」
グリゼルダが驚愕の声を漏らした。
彼女が反応するよりも早く、景一郎は肉薄していたからだ。
「見えなかったか?」
景一郎は彼女の胸に手を添えた。
かざした掌から心臓の鼓動を感じる。
心臓を潰すのに1秒も要しない状況。
そこから彼は――跳び退いた。
「――やっと、力加減が上手くできるようになってきた」
距離を取ると、景一郎はそうこぼす。
アナザーと同化してから、彼の能力は大幅に向上していた。
それこそ、細かな力加減ができないほどに。
ちょっとした加減のミスでグリゼルダを殺しかねないほどに。
ゆえに景一郎は後手に回り続けた。
そうやって攻撃を回避し続け、少しずつ感覚を慣らしていったのだ。
そして――もう慣れた。
「ここからは――ちゃんと殺さないように手加減できる」
「ふざけるでないッ……! 【出力偏重】ッ!」
語気を強め、グリゼルダは拳を握る。
拳に収束する強大な魔力。
それは空気中の水分だけでなく、空気そのものを凍らせるほどの冷気。
「食らうがよいッ」
突き出される拳。
これまでの広範囲を巻き込む一撃ではない。
一点集中の高火力。
「――――――」
それを景一郎は――躱さない。
回避も、矢印で弾くこともできるだろう。
しかし、そうしなかった。
あくまで真正面から叩き潰す。
――彼女の矜持ごと。
「【影魔法】」
景一郎は左手を突き出す。
すると影が彼の腕を包む。
それは漆黒の籠手だった。
影魔法で作られた籠手は光沢を放っている。
迫る氷撃。
景一郎はそれを――左手だけで受け止めた。
影の籠手は凍ることも砕けることもない。
そして――氷撃を握り潰した。
「な――」
グリゼルダは動けない。
彼女が事態を理解したときにはすでに、景一郎の刃が彼女の首筋へと添えられていたから。
「――どうだ?」
景一郎は問いかける。
あと数センチで首を断ち切ることができるという圧倒的優位を手にして。
「俺は、お前の王にふさわしいか?」
彼が証明した力は、服従に値するか。
そう問う。
「ッ……!」
グリゼルダの肩が跳ねる。
そこに宿っているのは死の恐怖ではない。
屈辱的で。
恥辱的で。
それでいて、悦びを滲ませている。
「――分かった。認めよう。今度はスキルではなく、心から」
それは忠誠の言葉だった。
彼女は膝をつき、景一郎の手を取る。
そして彼女は影の籠手に――口づけをした。
力による支配。
グリゼルダはそれを受け入れたのだ。
身を預けるに足ると、景一郎を認めたのだ。
「今度は我から――服従を望む」
隷属から解放された彼女が、今度は自分の意思で支配を願う。
「おぬしに――我の王となって欲しい」
景一郎を――主君と認めた。
とはいえ当然、これは絶対的な服従ではないだろう。
これからも彼女は見極め続ける。見定め続ける。
景一郎が主にふさわしいのかを。
だから彼は応えなければならない。
自分に忠誠を誓う価値を。
王としての資格を示し続けなければならない。
「ああ。これからは俺の刃になってくれ――グリゼルダ・ローザイア」
握った刃に、恥じぬ王でなければならないのだ。
グリゼルダが正式に仲間となったことで、やっと異世界の説明ができるように――




