7章 8話 残された影
「あーうー」
【面影】の拠点。
そこに呻き声が響く。
声の主はソファに沈み込んだゴスロリ服を着た『少年』――月ヶ瀬詞だ。
彼はばたばたと足を揺らし、声にならない声を上げている。
「……うっさいわね。何か言いたいわけ?」
花咲里香子は少し苛立った様子で彼に問いかける。
「ぅぅ……ごめんなさい」
詞は顔をソファ委にうずめたまま謝罪する。
ここは共用スペース。
となれば他のメンバーがいるのは普通のことで。
そんなところであからさまに沈んだ態度を見せていれば、怒られてしまうのも仕方のないことだろう。
「ん……香子さん。これは――」
「は、はぁ!? アタシが悪いっての……!?」
透流の指摘に香子は声を荒げる。
――多分、からかわれているだけだ。
「一旦落ち着いてくださいませ」
パンと手を叩く音が鳴る。
そして部屋に明乃が現れた。
彼女はヒールの音を鳴らしながら詞の前へと歩み寄る。
「詞さん。ずっと寝転がっていますの?」
「うぅ」
明乃がそう尋ねる。
ここ数日、詞はほとんど動いていない。
自室のベッドか、共用スペースのソファ。
それといくつかの場所をのそのそと移動するだけ。
部屋に戻ることさえしないままソファで寝落ちしていたこともあった。
「それは休憩ですの? それとも――」
「ちょ、ちょっと横になってただけだもん……」
明乃の声を遮ると、詞は身を起こす。
――体が重い。
特に胃のあたりが。
食事をした記憶はないのだけど。
お腹のあたりがぐるぐると気持ち悪い。
「で? アイツは見つかったの?」
香子は壁によりかかったまま明乃に問う。
すると明乃はきょとんとした顔を見せた。
「あら。アイツとは誰のことですの?」
――絶対に演技である。
普段からは考えられないほど白々しい演技だった。
「は? アイツの居場所調べてたんじゃないの?」
「ん……なーまーえ。なーまーえ」
無表情ではやし立てる透流。
香子の顔が悔し気にゆがむ。
「ぅぐ……ウチのリーダー」
「なーまーえ。なーまーえ」
「けい……影浦景一郎」
吐き出すように彼の――景一郎の名前を絞り出した香子。
これまでの習慣のせいか。
彼女は怒りの形相で詞を睨み――微妙な表情になる。
今回に限って、彼は一言も発していないからだ。
「ってか、こいつが悪乗りに便乗しないのも珍しいわね」
「……………んんぅ」
さすがにそんなテンションになれない。
「重症、かもしれませんわね」
嘆息する明乃。
景一郎のいない【面影】。
彼女をはじめとして【面影】のメンバーは自分なりに動き出しつつある。
それを薄情だとは思わない。
むしろ彼女たちが普段通りに見えるよう生活しているのは、空元気でもこの【面影】という場所の形を保ちたいという気持ちがあるからだと分かるから。
……自己嫌悪。
誰かに相談できるほど大人でもなく、心を隠しきる気概もない。
何かせねばとは思うものの、どうにもやる気が湧いてくれないのだ。
影浦景一郎、【聖剣】、【先遣部隊】。
行動の指針となるすべてが分からないことだらけ。
無理にエンジンをかけようとしても、目指すべき場所が見えない。
「ともあれ、景一郎様の居場所は捜索中ですわ。とはいえ、連れ去った相手も分かっていますし、1日もかからずに分かると思いますわ」
「――そ」
香子は短く答えると、そのまま自室に戻っていった。
――彼女は捜索の進捗が知りたくてここに来ていたのかもしれない。
「そういえば、グリゼルダはどこにいるわけ?」
ふと香子が立ち止まる。
グリゼルダ・ローザイア。
【面影】のメンバーであり――異世界人。
彼女もここに滞在している。
しかし、今日は彼女の姿を見ていない。
もっとも、詞は共用スペースからほとんど出歩いていないけれど。
「疑うかはともかく。見張りくらいつけるでしょ常識的に」
香子はそう言った。
詞の知る限り、グリゼルダは自由に拠点を出歩いていた。
――事態が事態のため、景一郎の居場所が分かるまでは拠点内で待機するように言われてはいたが。
それは【面影】の全員に共通することなので、彼女を特別警戒しているというわけではない。
ただ香子の言う通り、グリゼルダに見張りをつけるのは当然かもしれない。
疑うかはともかく。
それほどに今の彼女は微妙な立ち位置にいるだから。
「あら。つけていましてよ」
「……聞いてないんだけど」
とはいえ、そんなことに気付かない明乃ではないということか。
彼女は秘密裏に見張りを用意していたらしい。
「もちろん、わたくしの自己判断ですので」
以前から【面影】の頭脳は彼女だった。
確かに【面影】の方針を決めるのも、戦術を決めるのもリーダーである景一郎だ。
だがその実現のために腐心するのは明乃だった。
いわばサブリーダー。
景一郎がいない今、実質的に【面影】を動かしているのは彼女なのだ。
「皆様には共有する必要がありませんもの。彼女の怒りを買っても、最悪わたくし1人の問題で片付きますし。彼女が普通でないことを知ったうえで一緒にいることを許容した以上、責任は持ちますわ」
そう語る明乃。
見張りがバレる。
それは不信へとつながる。
仕方のない措置とはいえ、グリゼルダの怒りを買う可能性は高い。
だからこそ明乃は見張りの存在を共有しなかった。
怒りの矛先は少ないほうが良い。
そう考えたのだろう。
「……あら」
その時、明乃の懐から音が鳴った。
彼女のスマホのようだ。
「これは――」
端末を確認した明乃の表情がわずかに動く。
少しだけ険しいものに。
「――グリゼルダさんが行方をくらましたようですわ」
どうやらさっきの通知は見張りからのものだったらしい。
グリゼルダが消息不明。
となれば――
「見張りはどうしたのよ? 殺したってわけ?」
「いえ。装備だけを凍らせて無力化したそうですわ」
明乃は香子の疑問にそう答えた。
誰かを殺したわけではない。
ということは、戦いの意思があるわけではないということか。
――と言い切ることもできない。
詞たちは、本当のグリゼルダのことをよく知らないのだから。
☆
「――見つけたぞ。影浦景一郎」
それは唐突だった。
ダンジョンを踏破した景一郎たち。
一行の前に――彼女は現れた。
黄金よりも透き通った光を宿した髪を揺らし。
芸術のような美しさを携えて。
彼女は――グリゼルダはそこ現れた。
「お前……」
景一郎がここにいると分かっていたかのように。
彼女はここに現れた。
背中から氷の翼を広げて。
彼女が纏う冷気で空気中の塵が凍結する。
ダイヤモンドダストに彩られた彼女からは神々しささえ感じられた。
「戦え。我と」
そんな彼女は要求する。
戦いを。
雌雄を。
これまで目を逸らしてきたものを明白にすることを
「そして――見極めさせろ」
きっと避けられはしないのだろう。
すでに彼女は氷剣を抜いていて、戦意を瞳に宿している。
「お前の資質を。そして、我の心を」
影浦景一郎とグリゼルダ・ローザイア。
偽りの主従。
その清算の時は、目の前に迫っていた。
7章前半のボスその2はグリゼルダです。




