7章 7話 器
「おらよッ!」
戦いの始まり。
その先陣を切ったのはアナザーだった。
黒刀の投擲。
彼は予備動作もなく刀をこちらに投げつけた。
不意を突いた一撃ではあるが、単発の攻撃に当たるほど油断はしていない。
「さすがにそれは当たらないだろ」
景一郎は小さなステップで投擲を回避。
そして彼は――足元に刺さった剣の柄を掴む。
現在、アナザーは手元から伸ばした影の鎖で太刀とつながっている。
つまりここから鎖に沿うように攻撃すれば回避は困難――
「ぎッ……!」
「人のモン勝手に触るなっての」
掌に走る激痛。
視線を向けると、柄を握る左手の甲にいくつもの穴が開いていた。
――影の棘に貫かれている。
「そいつは俺と魔法でつながってんだ。投げたからって無防備とは限らねぇだろ」
武器を媒介に魔法を出力する技術――魔法剣術。
刃からしか魔法が出せないということはない。
アナザーは影の鎖を伝い、柄から影の針を伸ばしたのだ。
「で、さらにもう1発だ」
直後、黒太刀が――影を纏う。
これは武器を起点にした魔法が発動する前兆だ。
「ッ……!」
どんな攻撃か分からない。
だからこそ景一郎は迷わず後退した。
それと同時に、太刀を中心として蜘蛛の巣のような斬撃が拡散してゆく。
持ち主の手元から離れているからこそできる全方位への無差別斬撃。
その範囲は半径数メートル程度だが、あの斬撃の領域内にいたのならば今頃ミンチとなっていただろう。
広がった斬撃に抉られてビルが砕ける。
その瓦礫は大量に巻き上がり――
「【時流遡行】」
アナザーにより修復された。
広範囲に広がった瓦礫は逆再生のように元の形状を目指す。
その道中にいる障害物――景一郎の体を巻き込んで。
(まずい……! このままじゃビルに埋められるッ……!)
地割れに落とした相手を、床を修復する能力によって封じる。
あの技術の応用だ。
まき散らした破片が戻る流れを利用し、景一郎をビルに穿った穴へと押し込もうというわけだ。
「矢印!」
景一郎は足元に展開した矢印を踏み、瓦礫の急流から飛び出す。
瓦礫が散らばった範囲よりも外側に逃げてしまえば巻き込まれる心配はない。
(あいつは手放した剣を引き戻すはず。そのタイミングなら――)
アナザーとしてもずっと太刀を投げっぱなしということはあるまい。
回収に向かうはず。
そこにタイミングを合わせ――
(……いない?)
だが、ビルの壁面には依然として黒太刀が突き立てられていた。
その柄から伸びた鎖は景一郎の頭上へと向かって伸びていて――
「剣だけ見てていいのか?」
景一郎が鎖を目で追うと、そこにはアナザーがいた。
「俺たちにはこっちもあるだろうが」
黒い双剣を掲げ、振り下ろそうとするアナザーの姿が。
交差しながら振るわれる影の斬撃。
景一郎はそれをかろうじて受け止める。
「おら!」
しかしアナザーの追撃は終わらない。
次に彼が選んだのは――蹴り。
「っと……!」
景一郎が首を傾けた直後、蹴りが頬を掠める。
その場の大気を根こそぎ持っていきそうなほどに鋭い一撃。
あんなものが側頭部に当たっていれば、それだけで意識を落としかねなかった。
だが――そんなことは問題ではない。
問題は――アナザーの足首に見えた黒い鎖だ。
「マジかッ……!」
一拍遅れ、鎖に引かれた黒太刀が飛来する。
その刃は影で満たされている。
「ッ……!」
武器で弾こうにもアナザーの双剣と鍔迫り合いをしている。
躱そうにもさっきの蹴りを避けるために体勢が崩れている。
ならばリスクを承知で――
「あ?」
景一郎が全身から力を抜いたことでアナザーの眉が動く。
回避が困難な状況。
景一郎が選んだのは――その場で後ろに倒れること。
「矢印」
そして彼は、背中で矢印を踏んだ。
矢印乗って彼の体がアナザーの間合いから一気に離れてゆく。
これでなんとかこの攻防はしのげたはずだ。
「これは――骨が折れるな」
とはいえ状況が好転していないのは明らか。
(テクニック勝負は分が悪い)
アナザーの攻撃は多彩だ。
テクニックで勝るどころか、彼の技術を見て盗んでいる有様だ。
(だけど――スペックで戦っても勝ち目がない)
これは最初にアナザーが言っていた通り。
現状、リリスによって与えられた能力の半分以上をアナザーが所有している。
その配分の偏りにより、2人のスペックにも違いが生じているのだ。
(――俺が優位を取れる分野がない)
同系統の上位互換。
ゆえに突くべき隙が無い。
(俺はあいつのすべてを再現することはできない。俺のできることは、あいつも全部できる)
あらゆるステータスで負けている。
どこか一点でも勝っているのなら、その分野が活きる勝負を挑めば良い。
だが、挑むべき戦場がないのだ。
「どうした兄弟? 諦めるには早ぇだろ」
「――ちょっと考え中なんだよ」
もちろん、無作為な要素なら勝ち目はある。
運。
奇策。
それらなら一度限りの勝利を収められる可能性はある。
だが、無鉄砲に戦っても意味がない。
運も策も、引き寄せる努力をして初めて実を結ぶのだから。
「悩みか? なら――」
当然、アナザーに彼を待つ義務はない。
「なおさらお兄ちゃんに相談だろうがッ!」
「兄弟喧嘩の勝ち方を本人に聞くわけないだろッ……!」
迫るアナザーの斬撃を防ぐ。
わずかに押される。
しかし致命的な差ではない。
どこかで流れを掴めば、そのまま押し切れる。
(――――あ)
そこで1つの案が浮かんだ。
(1つだけあった)
2人の力関係が覆る可能性が。
(俺とアイツの……どちらのものでもない力)
影浦景一郎が元々持っていた力ではない。
リリスによって後天的に与えられた力でもない。
そんな力があるではないか。
「はぁぁぁッ!」
景一郎は剣を振るう。
カウンターを考えない特攻。
狙うならこのタイミングしかない。
景一郎が不利で――だからといって策を思いつけるほどの時間を与えられていないタイミング。
追い込まれた彼が、イチかバチかの大勝負に出ても不思議ではないこのタイミングしかない――
「ガムシャラなのは結構だけど――寸止めはしねぇぞ?」
振り下ろされるアナザーの刃。
そして景一郎は――防御をしなかった。
肩口から腹まで一気に斬り裂かれる。
流血なんて生易しいものではないほどの鮮血。
これは疑いの余地なく――致命傷だ。
「なッ……!? おま――!」
想定外の事態に驚愕するアナザー。
彼は最初から景一郎の強化に肯定的だった。
この戦いは景一郎が強くなるための儀式でしかない。
アナザーは、彼に力を与えたくないから戦っているわけではないのだ。
――ゆえに、あまりにもあっけなく致命傷を負った景一郎に動揺する。
だから、景一郎の意図を読み落とした。
「はぁッ!」
景一郎は拳を握る。
そして――アナザーの手首を全力で殴った。
メキリとアナザーの手首が鳴る。
ゆるむ握力。
そして景一郎は――アナザーから黒太刀を奪った。
「ぐふ……はぁ……【時流遡行】」
アナザーと距離を取り、景一郎は自身の肉体に刻まれたダメージを巻き戻す。
おかげで死の危険は免れた。
「お前……正気か?」
追撃もせずにアナザーが問う。
「今の大量出血。剣1本とじゃ釣り合わねぇぞ」
失った大量の血液。
それは【時流遡行】でも完全に戻せてはいない。
体力を大幅に消耗したのは間違いない。
そしてアナザーは太刀を失っても双剣がある。
他の得物がある以上、身を削ってまで奪うのは割に合わないだろう。
「そんなことない」
この場合は例外だけれど。
「これで――逆転だ」
「ッ――!」
景一郎は背後からアナザーに斬りかかる。
それに対するアナザーの対応は――遅い。
気付くのが遅れたのではない。
動揺したのではない。
単に――物理的に遅いのだ。
振り向く動作が。
剣を構える動作が。
すべてが鈍い。
「これは――」
「思い出したか?」
ぶつかる剣と剣。
しかし鍔迫り合いはしない。
すぐさま景一郎は力を武器、別の角度からアナザーを襲う。
何度も、何度も。
翻弄するように、スピード任せに攻撃する。
「宵闇シリーズの装備効果を」
(宵闇の太刀を失ったことで、こいつは速度上昇の恩恵を失った)
宵闇シリーズ。
宵闇の外套。宵闇の双剣。宵闇の太刀。
同じ系統の武器に統一することで得られる恩恵。
宵闇シリーズをコンプリートした特典は――速度強化。
宵闇の太刀を奪われたアナザーは……速度強化の恩恵を受けられない。
(今の俺は――こいつの倍は速い)
――治せるレベルの負傷など安いものだ。
「技術も、素の能力も――俺は勝てない」
ようやく手にしたアドバンテージを活かす。
足を止め、パワー勝負に持ち込まれないように動き続ける。
「でも、後付けの――装備品なら勝ち筋がある」
景一郎自身の力でも、リリスの因子による力でもない。
装備品という道具の力。
それが2人の攻守を逆転させる。
「そんな簡単に終わると思うのか⁉」
とはいえアナザーも手を打つことなく攻撃を受け入れはしない。
スピードを生かして大きく動く景一郎。
対してアナザーはその場での方向転換だけを行い、最小の動きで景一郎に追いすがる。
「「【影魔法】ッ!」」
そして2人は、同時に黒い斬撃を放つ。
しかし威力はアナザーが上。
ぶつかれば負けるのは景一郎だ。
だからアナザーが剣を振るうよりも早く景一郎は彼の手首を斬り落とす。
そのまま切り返しの刃で――アナザーの胸を穿った。
まぎれもなく、致命傷だった。
「っと――ここで俺の役目は終わりか」
貫かれた胸を見つめ、アナザーはそう漏らす。
彼は肩をすくめるが、そこには負の感情は見えない。
小さな笑みさえ浮かべるアナザー。
そんな彼の体が――揺らいだ。
霞のように輪郭は曖昧になり溶けてゆく。
「消えるのか?」
「同化するってだけだ。俺なんていう――器なんていう区切りが必要なくなったわけだからな」
気化した彼の肉体は回帰する。
景一郎の体へと。
「兄弟」
静かにアナザーが語りかけてくる。
すでに体の体は半分以上が消失している。
もう残された時間は少ない。
「お前はもう人間という枠を越えちまってる。だから世界は――『人間としての幸せ』をお前に約束しない」
「――それは……どういう意味だ?」
景一郎は聞き返す。
人間としての幸せが約束されない。
あまりに不穏な言葉だ。
「さあな。きっと杞憂に終わる心配だ。気にすんな」
しかしアナザーはひらひらと手を振るだけ。
詳細を口にするつもりはないようだ。
「――勝てよ兄弟。世界のためじゃなくて、お前が守りたい誰かのために」
ただ彼は拳を突き出した。
多くは語らず。
しかし、何かを伝えるように。
「……ああ」
その拳に、景一郎は拳を近づけた。
触れ合う拳。
しかしそこに感触はなく、アナザーの拳が霧散する。
霧散して――景一郎のものとなる。
「世界のためなんかよりそっちのほうが――お前には似合ってるだろうさ」
景一郎の強化回終了です。
ただ、7章前半にはもう1つ避けられない戦いが――