7章 プロローグ 終末までの猶予
「どうすんのよコレ」
ルーシーは上へと目を向けた。
とはいえ空が見えるわけではない。
それどころか天井さえも見えない。
ただ絶壁の向こう側に終わりのない暗がりが存在しているだけだ。
「後先考えずに壊しすぎだろ……。マジで戻れるのか?」
レイチェルが嘆息する。
【先遣部隊】のメンバーは今、ダンジョンの地下深くにまで落ちていた。
原因はバベルだ。
彼女がスキルで後先考えずにダンジョンを崩落させたせいでここまで落下する羽目になったのだ。
100メートルや200メートルでは終わりそうにない絶壁。
あれを登って地上に戻るのは面倒だ。
「ふふ……ちょっとやりすぎちゃったかもね」
「ちょっとじゃないわい」
他人事のように笑うバベル。
オズワルドは少し苛立ったように杖で地面を突く。
「面倒だし、他の連中が合流するまで待つか」
そう言って岩場に寝転がるレイチェル。
まだ【先遣部隊】はメンバーの半分ほどが揃っていない。
とはいえ世界が開通したと知れば、他のメンバーもすぐにこちらに来るだろう。
そうなれば、合流したメンバーにこちらを引き上げさせればいいわけで。
確かに手間は少ないかもしれない。
「でも、それじゃあ攻略が遅れるじゃない」
ルーシーは唇を尖らせる。
確かに手間はないが、こんな暗い場所でずっと過ごすのは嫌だった。
「まあいいじゃないか。これは猶予だよ。異世界人が、ボクたちの対策を講じるためのね」
しかしバベルはそう語る。
予想通り、【先遣部隊】とあちらの世界では戦力に開きがある。
だから時間を与えようというのだ。
覆らない出来レースを少しでもエキサイティングなものへと変えるために。
バベルらしい享楽的な言い分だった。
「ところで、あれどうするんだ?」
ふと岩場に体を預けていたレイチェルがそう尋ねてくる。
彼の視線が示す先。
そこには3人の女性が倒れていた。
鋼紅。
糸見菊理。
忍足雪子。
向こう側の世界の冒険者で、おそらく上澄みの実力者。
それはルーシーたちを相手に多少ながら粘ったことからも明らかだ。
「まだ殺してなかったのじゃな」
オズワルドが目を細める。
倒れている3人に意識はない。
だがかすかに呼吸音が残っている。
長くはないだろうが、生きているのは間違いなかった。
「じゃあ殺しとく?」
「気が進まねぇな……血生臭いのは」
ルーシーがそう言えばレイチェルが肩をすくめる。
「ふふ……殺さなくていいんじゃないかな」
そして意外にも、バベルも彼女たちの始末に反対した。
「は? もしかして無益な殺生はしないとか言うわけ? よりにもよってアンタがぁ?」
思わずルーシーは問い返す。
快楽主義で刹那主義。
そんな彼女ならむしろ推奨すると思っていたのだが。
侵略戦争に一番乗り気だった者の発言とは思えない。
「まさか――」
だが、それはルーシーの勘違いであったと思い知らされた。
――バベルの笑みが、あまりにも悪意に満ちていたから。
「ボクたちは冒険者」
間違いない。
彼女が紅たちを殺さないのは平和主義などではない。
「なら彼女たちはさしずめアイテム――戦利品だ」
もっと――
「捨てるなんてもったいないじゃないか」
もっと、醜悪に使い潰す算段が付いているからだ。
「ボクたちの世界じゃ純血の人間は希少種になっちゃったからね」
純血。
モンスターの因子が一切混じっていない人間をそう呼ぶようになったのは1世紀以上は前のことだ。
今ではオズワルドのような老齢の者さえモンスターの因子を有している。
モンスターとの交配が何代にも及び、血筋に一切のモンスターを紛れさせていない家系のほうが少なくなってしまったのだ。
「才能もあって、ゼロから仕込める素体なんてなかなか手に入らないからね」
そういう意味では純血は希少だ。
現時点においてどのモンスターの因子も有していないフラットな血脈。
そのためモンスター同士の相性などを考慮しなくてもいい。
最新の知識を使い、最高効率の交配を行える。
「――しかも女だ」
そして、優秀な子を何度でも産ませられる。
そうバベルは嗤う。
「調べてよし、改造してよし、犯してよし。序盤から見つけるには破格のレアアイテムじゃないか」
バベルの笑みが深まる。
「ぁぁ……このゲーム。どんどん面白くなってきたよねぇ」
その笑みは、世界を滅ぼす悪意を滲ませていた。
バベルたちが侵攻を開始するまであと数日。
それまでに景一郎は力を手に出来るのか――