1章 11話 経過報告
現在、影浦景一郎は冷泉明乃と同居している。
最初は適当なホテルに泊まる予定だったのだが、明乃の提案により彼女が住んでいる数フロアのうちの一部を借り受けることとなったのだ。
それも無料で。
彼の拠点となっている建物は都会の街並みの中でも目立つほどの高層ビルだ。
それは明乃のオフィスであり、その最上階付近が居住区となっているのだ。
そこには明乃自身と、彼女の世話をするメイドしか住んでいない。
「仕方ないとはいえ少し面倒だな」
景一郎は上昇するエレベーターの中でぼやく。
防犯のため、居住区へと直通するエレベーターは存在しない。
ゆえに一度オフィスとして使われている部分の最上階に上がり、別のエレベーターに乗りなおさねばならない。
そのエレベーターがある部屋というのは――社長室だ。
「お帰りになられましたのね」
景一郎が社長室の扉を開くと、そこにはデスクに向かう明乃がいた。
今の彼女は冒険者ではない。
ゆえに以前見た深紅のドレスを纏ってはいない。
「ダンジョン攻略は順調だったそうですわね」
スーツ姿の明乃がそう言った。
こうして働いている姿を見ると、彼女が年下であるとは思えない。
きっと彼女の雰囲気がそう感じさせるのだろう。
「知っていたのか?」
「ナツメから報告を受けましたので」
「ああ……それもそうか」
今回のダンジョンの監督官をしていた棘ナツメ。
彼女の雇用主は明乃だ。
景一郎について報告されているのは必然だった。
「いかがでしたか。Dランクは」
「ああ。今度はもう少しランクを上げても問題なさそうだった」
景一郎が答えると、明乃は思案する。
「でしたら、次はCランクのダンジョンを用意いたしますわ」
「助かる」
彼は礼を口にした。
思惑があれど、ここまで協力してくれる彼女の存在は大きい。
景一郎個人では、ダンジョンの探索権を競り落とすなど不可能だっただろう。
「そういえば、頼み事ばかりで悪いんだけど――」
「?」
「Bランクレイドは――頼めるか?」
景一郎は問う。
Bランクレイド。
つまり複数パーティによるBランクダンジョン攻略だ。
十数人から数十人での探索になるため、高難度のダンジョンでもクリアしやすい。
参加人数が多いために経験値は分散してしまうものの、高ランクのモンスターが相手ということで元々の経験値が大きい。
一定以上の活躍をしたのなら、Cランクダンジョンを1人でクリアするよりも効率が良くレベルアップできるはずだ。
「そうですわね――善処いたしますわ。ですが、そちらは少し時間をいただくことになると思いますけれど、よろしくて?」
「分かってる。レイドは絶対数が少ないからな。ランクまで指定して探すとなれば、簡単に見つからないだろうし」
「一応、心当たりは探してみますけれど、すぐには用意できませんわね」
明乃の言葉にうなずく。
景一郎とて、簡単にレイド戦の募集が見つかるとは思っていない。
そもそもBランクのレイド戦となれば、戦うボスモンスターはAランク。
今の景一郎には少し荷が重い。
そもそも、レイドの募集が見つかるまでに数か月かかることを見越して、景一郎は高めのランクを依頼したのだ。
「あ、そういえば――」
「?」
ふと思い出したことがあった。
景一郎は懐へと手を入れる。
すると指先が固いものに触れた。
「これを――」
景一郎が取り出したのは指輪だった。
先程のダンジョンでドロップしたばかりのアイテム。
それを明乃に差し出した。
「っ!?」
明乃がすさまじい勢いで立ち上がった。
彼女は信じられないといった様子で景一郎を見返している。
「ぇ、ぁ、あのっ――」
うまく言葉が出てこない様子の明乃。
彼女が優れた交渉力を発揮する場面は何度か見たことがある。
それだけに彼女が慌てる理由が思い当たらない。
景一郎が首をかしげていると――
「か、影浦様……?」
明乃が目を逸らす。
これも珍しい行動だ。
それに彼女の頬が少し紅潮しているように見えた。
「影浦様は女性に指輪を送るという行為について、どう考えていらっしゃいますの……?」
「……………………………………なるほど」
景一郎は得心がいった。
どうやら、突拍子もない行動をしているのは自分だったらしい。
(装備品としてしか見ていなかったけど、確かにこれは指輪だな)
男性から女性に指輪を送る。
その意味が分からないほど馬鹿ではない。
「悪い。他意はなかった。これはさっきのダンジョンでのドロップなんだ」
「……どうして、それをわたくしに?」
今度は明乃が首をかしげる番だった。
とはいえ、何も難しいことはない。
景一郎は率直に考えを話す。
「今日のダンジョン攻略は、俺にとって特別な一歩目だった。なら、その記念品となるこいつは――冷泉に持っていてほしかったんだ」
冷泉明乃は、影浦景一郎のスポンサーだ。
彼女の助けがあるからこそ踏み出せた一歩。
だからこそ、この指輪は自分ではなく、明乃に持ってほしかった。
思い出を共有したいと思ったのだ。
「ってワケなんだけど……」
そう言って景一郎は頭を掻く。
まさか意図せずしてプロポーズまがいの行動をしてしまうとは思わなかった。
冒険者生活の弊害か、指輪を『属性強化アイテム』としか見ていなかった景一郎のミスである。
「結局……あまり変わりませんわ」
「?」
明乃は小声で何かを口にすると、そっぽを向いてしまった。
彼女の顔は赤いままだ。
景一郎が明乃への対応を考えていると、彼女は景一郎に向かって右手を伸ばした。
何も言わず、視線も向けず。
ただ手を伸ばしていた。
景一郎へと手の甲を向けて。
「えっと……」
いまいち事態が呑み込めない景一郎は動けない。
すると明乃が少しだけ呆れたように口を開いた。
「影浦様は、レディに『指輪は自分で嵌めろ』だなんておっしゃいますの?」
――どうやら、指輪を受け取るのが嫌だったわけではないらしい。
景一郎へと向けられた指先は、彼自身の手で指輪を嵌めてほしいという意思表示だったのだ。
「察しが悪くてすまないな」
景一郎は明乃へと歩み寄る。
そして、机を挟んで対峙した。
彼は明乃の手を取った。
柔らかく、白い手。
戦場で仲間を敵から護る【パラディン】だとは思えないほど、細く綺麗な手であった。
景一郎はゆっくりと指輪を彼女の指に――
「あ、薬指に嵌めたけど良かったか?」
「ですのっ!?」
☆
「ん……」
風呂上がり。
景一郎は部屋で鳴る電子音に気が付いた。
「どうしたんだ?」
音の正体は彼のスマホだ。
メールが届いているようだった。
「……誰だ?」
あいにく、彼は交友関係が広いほうではない。
スマホに連絡する人物の心当たりは少ない。
最初に思いつくのは【聖剣】のメンバーだが――
(さすがに紅たちじゃないだろうしな)
景一郎が除籍処分になったのはつい先日のことだ。
さすがに話しづらいという空気はある。
それは彼だけではないはず。
景一郎が持つ【聖剣】の面々への気持ちは変わらない。
向こうも、変わらずにいてくれると思っている。
しかし、それはそれとして今がメールでやり取りするタイミングとは思えない。
「ん――――」
差出人を確認して、景一郎は手を止めた。
画面に表示されていた名前は――月ヶ瀬詞。
今日、出会ったばかりの相手だった。
『やっほー』
届いていたのはそれだけ。
何が言いたいのか分からない。
「『ありがとうございました』……っと」
景一郎はスマホをベッドに放る。
しかし、5秒もかからずに電子音が鳴る。
彼はため息を吐きながらもスマホを持ち上げた。
『どんな反応!?』
――面倒臭いという反応である。
『無反応が正解だったか』
『思いのほか邪険にされてるよぉ(泣)』
景一郎がスマホを手放す暇もないほど素早く返信が届いた。
さすが若者というべきか。入力スピードが速い。
もっとも景一郎も、一応は若者の範疇に入っているのだが。
『今日は、景一郎お兄ちゃんにお話があったんだよ』
詞は景一郎の反応を待たずにメッセージを連投してきた。
彼がスマホの画面とにらめっこしていると――
『明日、ボクたちとダンジョンに潜らない? ランクはCだよ~』
詞が持ち掛けたのは、ダンジョン攻略であった。
ランクはC。
景一郎にとっても問題ない難度だ。
とはいえ、だがそれ以上に気になったことがある。
――詞はボク『たち』と潜らないかと言った。
それはつまり――
『パーティに所属してたのか?』
詞がパーティに所属しているということ。
以前会ったとき、周囲にそれらしい人物はいなかった。
それに、彼の変わった言動についていけるパーティがいるとは意外だった。
『してないよ? 基本フリーかな』
どうやら彼の想像は正しかったようだ。
『なのに、勝手に俺を誘って大丈夫なのか?』
『リーダーがもう1人欲しいって言ってたから大丈夫だよ。多分』
『おい』
『それで、どーするのお兄ちゃん?』
詞に問われる。
自然と景一郎はベッドに腰を下ろしていた。
そして、口元に手を当てて考える。
「……Cランクか」
予期していなかった誘い。
それは決して、彼にとって悪いものではない。
そもそも、明乃に同じ依頼をしたばかりだ。
(知り合いでもない冒険者と――っていうのがネックなんだよな)
問題はそこだった。
冒険者だから全員が荒くれ者というわけではない。
だが、揉め事が起こりやすいのも事実。
(まあ、レイドも似たようなものだし、遅かれ早かれってやつか)
命や大金がかかっているのだ。
多少の揉め事はどうやっても避けられるわけではない。
最強のパーティである【聖剣】にさえ、突っかかってくる冒険者はいたのだ。
『明日そっちのパーティに会って、リーダーから許可が出たら同行するってことでいいか?』
多少のリスクは許容する。
それが景一郎の答えだった。
『うん。それが良いと思うよ』
詞はすぐにそう返信した。
さすがに、彼女もパーティリーダーの許可を取ることには賛成のようだ。
このあたりの手順を疎かにする冒険者は敵を作りやすい。
パーティに所属しているのなら、徐々に距離を置かれる。
フリーで活動しているのなら今後声がかからない。
マナーや礼儀が必要なのとされるのは冒険者も同じというわけだ。
『影浦お兄ちゃんとダンジョンに行くの楽しみだなぁ』
景一郎が同行に賛同したことで、詞はそんなメッセージを送ってくる。
『Dランクとはいえ、1人でダンジョンクリアしていたみたいだし』
詞は景一郎がダンジョンから出てくるのを見ている。
――そのあと、誰も出て来なかったことも。
詞は景一郎が『ソロでダンジョンをクリアした』ことを知っているのだ。
そこで彼に興味を持ち、今回の勧誘につながったのだろう。
『それじゃあおやすみっ。ボクが夢に出てきてもボディタッチはダメだからねっ』
そんな冗談めかした文面が画面に表示された。
「『するか』っと……」
ここまで打ち込むと、彼はスマホをベッドに置いた。
そして彼は立ち上がる。
「……寝るか」
明日はダンジョン攻略だ。
即興パーティでCランクダンジョンに挑む景一郎。
はたして攻略の行方は。