6章 20話 立ち位置
「同じ……パーティ」
景一郎はバベルの言葉を反芻する。
グリゼルダを観察してみるも、彼女にさしたる変化はない。
――少なくとも、先程の言葉を否定する気はないようだ。
(【魔界顕象】なんてスキルが出てきた時点で、グリゼルダが向こう側の住人である可能性は考えていた)
考えれば考えるほど、彼女との出会いは異常だった。
彼女は最初からダンジョンにいた。
そして【魔界顕象】を使った。
そして自分を人間と名乗った。
答え合わせをされた今なら、その真意が分かる。
(だけど――さすがに同じパーティってのは想定外だ)
とはいえ状況は最悪だ。
もうすでに、彼とグリゼルダの間には【光と影】による主従関係はない。
そして【光と影】の再使用は不可能。
(今のグリゼルダは――中立になる可能性さえない)
元々が強制隷属などという外道の術なのだ。
それが解消された時点で彼女が敵に回るのは既定路線。
もしもの事態は想定していたが、あまりにもタイミングが悪い。
いや、彼女とバベルは同じパーティだったという。
ならば、景一郎がバベルと邂逅したタイミングで行動を起こすつもりだったのかもしれない。
「――影浦」
そんな思考を巡らせていると、グリゼルダは特に気にした風もなく彼を呼ぶ。
影浦、と。
「……なんだ?」
景一郎の声が警戒心で自然と低くなる。
とはいえ警戒すればどうにかなる事態でもない。
最悪の場合は――
「ここで戦っても勝ち目はない。不愉快ではあるが、退くのが利口だろう」
そう言ってグリゼルダが背を向ける。
彼女の声音に敵意のようなものは感じられない。
――好意も感じられないけれど。
感情を凍らせたように淡々とした口調だった。
「……………………?」
(どういうつもりだ?)
景一郎は内心で困惑する。
まず、彼女の判断は正しい。
――景一郎にとっては。
この場で景一郎に寄り添うフリをして絶好のタイミングを狙うつもりか。
――しかしそれも非現実的だ。
絶好のタイミングというのなら、さっきまでのすべてがそうなのだから。
なのに彼女はそれらすべてのチャンスを自分で潰した。
その必然性が見えない。
「言っておくが、お前の馬鹿げた洗脳ならとうに解けておるぞ?」
もしやまだ中途半端ながら洗脳が残っているのか。
そんな甘い考えをグリゼルダは否定する。
「ならなんで――」
「その問いは――後で聞いてやる。今はそれどころではなかろう」
「…………――そうだな」
グリゼルダに諭され、景一郎は引き下がることとなった。
(どんな思惑があったとしても、グリゼルダが敵だった時点で終わりだ。なら、味方であることを前提に行動したほうがマシ……か)
状況は最悪。
もしもグリゼルダが敵なら全滅は確定。
なら、ここで彼女を疑うメリットがない。
0%と1%なら、後者にすべてを賭けるべきだ。
「ふふ……! よく分からないけどさぁ。グリゼルダ。ボクの言うことが聞けない感じ?」
とはいえ、撤退する景一郎を静観する義務など向こうにはない。
バベルは不気味な笑みを浮かべて歩みだす。
殺意も敵意もない。
臨戦態勢にも見えない無防備な構え。
だが同時に、いつ攻撃に移ってもおかしくないと思わせる危うさが彼女にはある。
「以前から、お前の言うことを聞いておった覚えはないがな」
「そっか」
バベルはグリゼルダの言葉にへらりと笑う。
「じゃあ質問を変えるけど、今――そんな態度でいられる状況だと思う?」
突如、部屋全体の空気が重くなる。
これは物理現象ではない。
ただの威圧感。
それも意図的な威圧ではない。
バベルという存在が持つ『格』を恐れ、勝手に景一郎たちが身を引いているのだ。
「無論」
だがグリゼルダがそれを一蹴する。
むしろ涼しげな表情を浮かべて。
「啖呵を切るのは良いけど……大丈夫か?」
もう彼女を信じるほかない。
景一郎はグリゼルダに歩み寄ると問いを投げた。
すでに彼は手詰まりだ。
彼女に逆転のプランがなければどうにもならない。
そんな彼の意図を理解しているのだろう。
グリゼルダは強気な笑みを見せた。
「我のダンジョンが氷で良かったな」
グリゼルダの指先で――空間が裂ける。
裂け目は徐々に広がり円形となった。
その奥は波紋が揺れている。
それはまさに――ダンジョンへと続くゲートだ。
「おかげで――奴の死体も腐っていない」
ゲートの中に手を入れるグリゼルダ。
彼女がそこから引きずり出したのは――人間だった。
それも死体だ。
「それは――」
そしてそれは、景一郎にとって見覚えのある人物だった。
「――ジェイソン・D・カッパー……ですか?」
「ん――なんか知らない間に死んでる」
「あらあら…………」
それは紅たちも同じだったのだろう。
彼――ジェイソン・D・カッパーの死体を前にして彼女たちも驚いているようだった。
ジェイソン・D・カッパー。
職業は近接最強の【バーサーカー】。
彼はアメリカでも上位に位置する冒険者で――
――グリゼルダに殺害された男だ。
「我が有するモンスターの因子は――ヴァンプクイーン」
グリゼルダは凍結したジェイソンの死体を持ち上げる。
そして、彼の首筋を噛んだ。
「ゆえに――」
すると、突如としてジェイソンの体が動き出す。
ビクビクと跳ねるように。
その震えは強くなり――
「ヴァンプクイーンの種族スキル――【眷属化】も宿しておる」
ジェイソンはついに、己の足で立った。
「う、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
大気が震えるような咆哮。
彼の目に理性の色はない。
――グリゼルダは【眷属化】と言っていた。
知らないスキルだ。
だが状況を踏まえると、おそらくその能力は【光と影】に類似した隷属スキル。
「我の配下なのだ。みずぼらしい姿のままにはしておけぬな」
腕を振るうグリゼルダ。
するとジェイソンの周囲に氷が集まり――鎧となる。
本来なら触れた者の体温を際限なく奪ってゆく死の鎧。
しかし彼は死体だ。
いくら体が冷えても死ぬことはない。
「――行け」
グリゼルダが命じる。
するとジェイソンは、彼女の意思のままに駆けだした。
「知能もない雑魚が、何の役に立つってのよッ」
接近してくるジェイソン。
ルーシーが下した判断は――迎撃。
ルーシーの指先に集まる巨大な水球。
それは収束、凝縮されてゆく。
彼女はそれを一点に集中させて射出した。
「奴自身の防御力に、我の魔力まで貸しておるのだ。その程度の魔法で貫ける道理がなかろう」
対するグリゼルダに焦燥した様子はない。
迫る水の刃。
それを受けたジェイソンは――意にも介さなかった。
姿勢を崩すこともなく彼は走り続ける。
何度、何度攻撃を与えても。
「この――」
意地になったように叫ぶルーシー。
彼女はさらなる追撃に移るが――
「待てルーシーッ! そいつは多分【バーサーカー】だッ! 魔法職が直撃なんて食らったら死ぬぞッ!」
「ッ……!?」
レイチェルは叫び、ルーシーの首根っこを掴む。
そのまま彼は彼女を引き寄せる。
直後、ジェイソンの大剣が彼女のいた場所を叩き割った。
1秒でも回避が遅れていれば、確実に彼女は絶命していたことだろう。
「この馬鹿力……この【バーサーカー】……【狂化】してるじゃない……!」
その脅威的な威力に気付き、ルーシーの顔が青くなる。
意地になっていたせいで視野が狭まっていたのだろう。
「元より【眷属化】は眷属の正気を奪う。【狂化】のデメリットがなくなる以上、躊躇う必要はないじゃろうな」
そんな様子を見てオズワルドが笑う。
【狂化】。
それは理性と引き換えに身体能力を爆発的に向上させる【バーサーカー】固有のスキル。
――【バーサーカー】が近接最強と呼ばれる理由でもある。
連携には向かないが、味方を一切必要としない絶対的な個としての力。
しかしグリゼルダは【狂化】のデメリットさえ無効にする。
彼女が主として命令している以上、ジェイソンに理性があるかなど無意味なのだから。
「ふふ……。知らない間に、良い手駒を見つけたんだね」
「いやいや。マジで勘弁だろ。死ぬぜマジで」
バベルは呑気に笑うが、レイチェルは大きなため息を吐き出していた。
「――影浦。足止めはアレに任せて、我らは退くぞ」
「あ……ああ」
そんな彼女たちに目もくれず、グリゼルダは撤退を始めた。
4章では即死していたジェイソンですが、あの時は防具を一切身に着けていませんでした。
なのでちゃんとした防具をつけてさえいれば、この時点の敵にも充分に猛威を振るいます。