6章 19話 氷の皇女
「【魔界顕象】とは、言ってしまえば己が内に有するモンスターの因子を起点としてダンジョンを顕現させるスキルじゃ」
オズワルドはそう語る。
自分の優位性を確信しているのだろう。
だからこそ、彼は景一郎を見下ろしながらしゃべり続ける。
「ゆえに、モンスターの因子を持たぬ原始人ではどうあがいても扱えぬスキル」
きっと彼の言う通りなのだろう。
人間とモンスターでは体の構造が違う。
形がまったく違う物は当然として、姿が似ているモンスターでさえ人間とは根本的に違う構造をしているのだ。
「【魔界顕象】によって現れる世界は、その者の内にあるモンスターの因子に依存する」
オズワルドの笑みが深まる。
「儂の有する因子はアラクネ。おそらくじゃが、そちらの世界にもおるじゃろう?」
――アラクネ。
その名には聞き覚えがある。
もちろん異世界のアラクネがこちらの世界と同じモンスターであるのかは定かでない。
ゆえに彼の想像している者に当てはまるのかは分からない。
だが、もしも同じアラクネを指しているのならば――
景一郎の知るアラクネは虫型モンスター最強――Sランクモンスターだ。
「その強さは――己の体で確かめるとよかろうて」
そして、オズワルドは口にした。
「【魔界顕象・巣食いの森】」
直後、嫌な風が吹き抜ける。
生温かく、肌にまとわりつくような湿っぽい空気が漂う。
そして――樹木が大量に生えてきた。
床を割り、木々が伸びてゆく。
半径約100メートル。
オズワルドを中心とする円形に森が出現していた。
「これは――」
異変はそれだけではない。
それに気が付いたとき、景一郎は眉を寄せた。
「ん……足が離れない」
雪子も気付いたようだ。
――景一郎たちが立っている床に蜘蛛の巣が広がっていることに。
床。そして森。
様々な場所に蜘蛛の巣が広がっている。
その粘着力は強烈で、冒険者の身体能力をもってしても床から足が離れない。
「しかも、魔力を吸収する性質を持っているようですね……」
体に力が入らないようで、菊理がその場で膝をつく。
蜘蛛の巣に触れているからだろうか。
景一郎たちの体からは少しずつ魔力が抜かれている。
その速度はそれほど速いわけではない。
長期戦となれば苦しいが、すぐに魔力が枯渇するほどではない。
――だが、問題はこれが連戦であるという点だ。
景一郎はまだ大丈夫だ。
しかし紅たちは元よりかなり消耗していた、これだけの魔力吸収でもかなりの重荷となるだろう。
(ただの魔力吸収エリアならともかく、これじゃあ範囲外に逃げることもできないか……)
これがシンプルに、一定範囲内の敵から魔力を吸い上げるようなスキルならば構わない。
範囲外に離脱すればいいだけだ。
だが、そこで邪魔になるのがこの蜘蛛の巣である。
逃げたくとも、足が動かない。
逃げられず、ただただ搾取されてゆく。
「お兄ちゃん……!」
「来るなッ!」
状況を見かねて動こうとした詞。
景一郎は彼を強い言葉で拒絶した。
弾かれるようにして詞の動きが止まる。
彼は悔しげな表情で景一郎を見つめるが、すぐに後退した。
「策もなく踏み入れたら二の舞だ――来るな」
景一郎は言い聞かせるように告げた。
まだ対抗策が見つかっていない。
そんな状態で詞が踏み入れ、蜘蛛の巣に捕らえられたのなら取り返しがつかない。
「連戦の後にこれは……辛いですね」
「ん……力が入らない」
「……魔力を吸われながらでは魔法も上手く制御できませんね」
やはり紅たちは限界が近いのだろう。
彼女たちはすでにその場で座り込んでいた。
それにより下半身はもちろん、頭髪も蜘蛛の巣に触れてしまっている。
あれでは抜け出すのは困難だろう。
「はぁッ……!」
今でも立つ力が残っているのは景一郎だけ。
ならば彼が事態を打開するしかないだろう。
そう判断し、彼は剣を振り下ろす。
「ちっ……。さすがに斬れないか……」
しかし――蜘蛛の巣を斬ることはできない。
糸の向こう側にある床は切断できている。
しかし糸そのものは伸縮しているだけで断ち切れない。
「……しかも、剣が抜けないし……どうしたものか」
さらに、ご丁寧に剣が糸から離れなくなってしまっている。
引っ張っても外れる気配はない。
「当たり前じゃ。【魔界顕象】はボス部屋と同じ性質を持つ。そしてボス部屋は、主の不利になるような現象を排除するからのう」
景一郎の抵抗が面白かったのか、オズワルドがくつくつと笑う。
ボス部屋は、主のための戦場。
主の戦闘力を底上げし、主の弱点をカバーする。
ゆえに蜘蛛の巣を破壊できない。
強度の問題ではない。
破壊不能。
この空間では、そう決まっているのだ。
(明乃のレーヴァテインならあるいは――いや、駄目だった時のリスクが大きいか……?)
炎を操る明乃の大剣ならば、相性的に蜘蛛の巣を斬れるかもしれない。
だが、蜘蛛の巣が部屋のルールで守られているのならば無意味。
最悪、明乃まで捕らわれることとなる。
「【宿木の種】」
景一郎が思考していると、オズワルドが口を開いた。
景一郎たちに向けられた杖。
オズワルドの周囲には複数の魔弾が浮遊していた。
――どんなスキルかは分からない。
だが、直撃を受けていい攻撃でないことは確かだ。
「それでは、始めるとするかの」
(このままじゃ――)
身動きが取れない。
数発なら弾けるはずだが、いつまでもは続かない。
いずれ被弾するだろう。
どうする。
どうする。
思考だけが巡り、解決策が浮かばない。
そして――
「【魔界顕象】」
声が聞こえた。
冷たい風が駆け抜ける。
身が凍るような冷風が吹き抜けると、オズワルドが顕現させた世界が壊れてゆく。
蜘蛛の巣が凍り、砕ける。
周囲を囲んでいた森も樹氷となり、氷の粒と化した。
「知っておるか?」
靴音が聞こえる。
それは詞たちの背後から。
その声は、景一郎に馴染みのあるものだった。
「【魔界顕象】において、もっとも魔力を消耗するのは発動時。逆に言えば、もっとも魔力がこもっている瞬間でもある」
――女性は語る。
【魔界顕象】。その性質を。
オズワルドが語っていないはずの――このスキルを知らなければ言えるはずのない情報を。
「つまり――【魔界顕象】同士が衝突したとき、ほぼ確実に後出しをしたほうが勝つというわけだ」
彼女は――グリゼルダ・ローザイアはそれを口にした。
「……グリゼルダ?」
突然の参戦に景一郎は彼女の名を漏らした。
一方でグリゼルダは鼻を鳴らし、そっけない態度で応える。
「なんだ? 影浦」
――影浦。
グリゼルダはそう彼を呼ぶ。
いつもなら『ご主人様』と呼ぶはずなのに――
「お前……もしかして――」
「あー。懐かしい顔だねぇ」
景一郎の言葉を遮ったのはバベルだった。
彼女は笑い、手を叩きながら歩き出す。
――もっとも、にこやかな雰囲気に対し、妙に薄ら寒い雰囲気が漂っているのだけれど。
「…………我は、懐かしんでおらぬがな」
それはグリゼルダも同じなのかもしれない。
彼女は冷たくバベルを拒絶した。
「――知り合いなのか?」
景一郎はグリゼルダに問う。
あまり2人が親密には見えない。
しかし、グリゼルダもバベルのことを知っているかのような言動をしている。
「うんうん。超知り合いさ。もはやマブダチと言っても過言じゃないよ」
そんなグリゼルダの対応さえ面白そうにバベルは笑う。
「ね? グリゼルダ・ローザイア」
小首をかしげるバベル。
彼女の口元は、三日月を描いていた。
悪辣に歪めていた。
「だってボクたち――――同じパーティの仲間なんだからさ」
グリゼルダの正体。それは異世界人。