6章 16話 終わりの予感
そこは白い部屋だった。
染み1つない立方体の部屋。
部屋には多少の凹凸があるが、そこに生じるはずの影はない。
白一色の部屋に居続けると精神に悪影響を及ぼすことがあるという。
視覚情報が極端に少ない世界。
この部屋はまさにそういう部屋だった。
そんな部屋に居座る4人の男女。
膝あたりまで白髪を伸ばした少女は手慰みとしてカラフルなブロックをいじっている。
勝気な雰囲気を纏う青髪の少女は、不機嫌さを隠すことなく頬杖をついている。
杖を手にした老人は、眠っているかのように座ったまま動かない。
それぞれが各々に好きなように過ごす。
そんな空間で――青年は読んでいた小説から視線を上げた。
「ん…………?」
青年――レイチェル・マインの声が聞こえたのか、白髪の少女が顔を上げる。
少女の空虚な瞳が彼へと向けられ――
「どうしたのかな? レイチェル」
少女――バベル・エンドは笑う。
なのに、なぜだろうか。
その表情はあまりに空虚で、不気味なものを見ている気分になる。
「いや……門番が死んだみたいだな――っと」
とはいえ、とうに慣れた感覚だ。
レイチェルは本を閉じ、バベルにそう語った。
――部屋の奥から大きな気配が消えた。
おそらく『門番』が死んだのだ。
「へぇ……? ふふ……やっぱり、お出迎えが必要なのかな?」
「でもどうすんだ? こっちはメンバー半分しかいないだろ」
レイチェルは嘆息する。
「別にぃ? 4人いれば充分でしょ? それともなにぃ? もしかしてビビってるわけ? ダッサ」
そこに口を挟んできたのは青髪の少女――ルーシー・スーサイドだった。
彼女は挑発的にレイチェルに毒を吐いた。
「そりゃぁビビるさ。俺は弱いんだからな」
しかし、それに応戦することもなくレイチェルは肩をすくめる。
「そう案ずることもないじゃろう。小娘と同じ意見であることは不満じゃが――原始人ごときに全員で挑むべき道理がない」
次に口を開いたのは老人――オズワルド・ギグルだった。
――警戒の必要なし。
彼は悠然と座ったまま、ただそう語る。
「ルーシーとオズ爺はやる気、か」
そう言うと、レイチェルはバベルへと目を向ける。
あくまで、最終決定は彼女に委ねるという意思を込めて。
「――だってさ。どうすんだ? こういうのはリーダーが決めるのが筋だろ?」
「ふふ……そうだねぇ」
レイチェルの言葉を受け、バベルは考え始める。
彼女は無邪気でいて妖しい微笑みを浮かべ――指先で唇をなぞった。
「それじゃあ――攻略を始めようか」
☆
「出口が消えていますね」
紅は振り返ってそう言った。
エニグマのいる部屋へとつながっていたこの場所には、光の階段を登って辿り着いた。
――だが、今はその階段が存在しない。
降りるための階段が消失し、代わりのように通路が出現していた。
壁の隙間から空中を伸びる光の橋。
先に進め、ということなのだろうか。
「ドロップ品もまだ出てないよな」
景一郎は思案する。
ボス討伐と、報酬のドロップは表裏一体。
エニグマを倒した以上、何らかのドロップが手に入ると思っていたのだが。
「ん……でも、ボスは倒した」
「――先に進めってことか」
景一郎がそう口にすると、雪子は通路へと目を向けた。
ボスを倒してもドロップが出現しない。
【ダンジョン顕象】によって作成されたダンジョンでも似たような現象は起こったことがある。
その例を考慮すると、あの通路の先で報酬が手に入るのだろうか。
そもそも退路がない以上、進むしかないのだろう。
「どうする? 休んでから行くか?」
景一郎は紅たちに問いかける。
エニグマとの戦いで、紅たちはかなり消耗している。
進むしかないとしても、体力が回復するまで待つというのも手だろう。
「いえ……傷は治してもらいましたし、行きましょう」
「正直、早くダンジョンを出て休みたいですね」
「ん、同感」
一方で、紅たちは通路へと向かう。
――確かに、こんな場所では気持ちが休まらないだろう。
「それじゃあ行くか」
レイドチームのメンバーも同じ気持ちだったのだろう。
景一郎の言葉に異を唱える者はいなかった。
景一郎たちは部屋の隅――新たに現れた道へと向かう。
それは光の道だ。
この場所へと続いていた光の階段のように、壁の隙間から橋のように光が伸びている。
落下防止用の手すりもない光の道。
下にはいくつものシャボン玉が見えるが、地面らしきものは確認できない。
――落ちた場合は想像しないほうが幸せだろう。
「ボス部屋といい、いまいち雰囲気が掴めないダンジョンだったな」
景一郎は光の道を歩む。
ボス部屋は宇宙空間。
そしてダンジョン内も、桜色の空にシャボン玉が浮かんでいるだけ。
ダンジョンは確かに多様だ。
とはいえ、地形そのものは現実といえる。
海。山。森。
そういった、どこかにあってもおかしくないような環境が多い。
しかしオリジンゲート内の光景は、幻想的で現実味に欠けていた。
「あれは……」
先頭を歩いていた紅が立ち止まる。
そこは光の道の終着点。
道が空中で途切れているのだ。
その先にあるのは――大きなシャボン玉。
周囲を浮かんでいるものと比べても明らかに巨大だ。
――あれに触れろということなのだろうか。
紅もそう判断したのだろう。
彼女の手がシャボン玉へと伸びた。
そして指先が触れる直前――
「いや、俺がやる」
景一郎は手で紅を制した。
ボス部屋の件もある。
彼女を真っ先に正体不明の物体に触れさせるのは嫌だったのだ。
景一郎は紅と入れ替わり、シャボンへと手を伸ばす。
そして指が――シャボンに沈み込んだ。
抵抗感はなく、それでいてシャボンが破れることもない。
中の様子は見えないが、危険は感じられなかった。
「――入れそうだな」
そう呟くと、景一郎は全身をシャボンへと埋め込むのであった。
☆
「目が痛くなってくるよぉ」
詞が目を擦る。
現在、景一郎たちは白い世界にいた。
床も壁も天井も。
そのすべてが純白。
目に刺さるような白で構成された通路を彼らは歩いてゆく。
「一本道で助かりましたわ。同じ景色ばかりで、見分けがつきませんわね」
明乃は歩きながらそう漏らした。
一面の白。
そこには影さえなく、もしも横道があったのなら見逃してしまいそうだ。
横道も曲がり角もない通路。
しかしそれにも終わりはある。
景一郎たちが辿り着いたのは広間だった。
殺風景だが、かなり広い空間だ。
そしてその部屋の奥には――
「また扉か……」
景一郎は辟易とした想いで呟いた。
扉。
ダンジョンでそれを見てしまうと、いらぬ想像をしてしまう。
「まさか、もう1体ボスがいるなんて言わないでしょうね……?」
「ん……それはないと……思いたい」
ちょうど香子と透流も同じ想像をしてしまったらしい。
エニグマとの激闘。
そこからさらなる連戦となれば身が持たない。
とはいえここはオリジンゲート。
何が起こるか分からない。
であれば念のため、扉を開く前に体力を回復させていたほうが――
「うん。いないよ。ボクたちが倒しておいてあげたからね」
その時、声が聞こえた。
少女の透き通った声。
だがそれは、真夜中に覗く鏡のようにどこか不気味な雰囲気を纏っていた。
「……誰だ?」
景一郎が振り返ると、そこには少女がいた。
白髪の、妖しい少女が。
彼女は壁の突起に腰かけ、景一郎たちを見下ろしている。
その瞳は空虚で、吸い込まれそうになる。
胸がざわつく。
それはきっと予感だ。
本能が感じる――終わりの予感だ。
「お前――レイドチームにはいなかったよな?」
景一郎は目を細めて少女を見据えた。
これは最終確認。
彼女に見覚えはない。
それでもあえて問う。
お前は――味方なのかと。
「ふふ……。うん、いなかったよ」
少女は顎に指を当てて考えると、笑顔でそう答えた。
その仕草は無邪気で、幼げ。
同時に、制御されていない悪意を感じさせる。
「ボクの名前はバベル・エンド」
少女――バベルは名乗る。
「初めましてだね――下界民の冒険者さん」
そして――彼女は邪悪を発露した。
ついに物語は新たなステージへ。
ここから最終部にかけて、新キャラが登場していきます。