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6章 11話 最悪の未来へ

『そもそもとして――枠とは、枷とは、檻とは。何もお前たちを不幸にするためのものではないのだ』


 エニグマは語る

 宇宙のような部屋の中心で。


『枠に収まれ。そこには保証された幸福がある』


 己の在り方を。

 そして、人間がどうあるべきかを。



『もっとも、もうお前たちには関係のない話なのだろうがな』


 

「ぅ……く……」


 紅はエニグマの目を睨み返す

 だがそれも、目の前の巨人にとっては悪あがきでしかないのだろう。


 任意によるものか時間制限があったのかは分からない。

 ただ、少なくともすでに彼の使った謎のスキルは効果を失っている。

 そのため体を動かすことや、話すことはできるようになった。


 だが、それだけだ。

 彼女の右足はエニグマに掴まれ、逆様に吊り上げられている。

 巨人のパワーは見た目に違わず凄まじい。

 紅の力では振りほどけるものではなかった。


 紅だけではない。

 菊理と雪子はエニグマに踏みつけられて身動きが取れなくなっている。

 手加減をしているのか体を潰されてはいないが、このままでは死を待つばかりであることは明らかだった。


『お前たちは世界の枠をはみ出した。枠の中に戻ることは赦されない』


 エニグマは紅に語りかける。

 彼の言うところの『枠』が何かは分からない。

 ただ分かるとするのなら――


『せめて惨く、凌辱されながら見せしめとして死ぬがいい。今後、お前たちの愚行を追う者が現れないようにな』


 彼に、紅を生かす意思はないということくらいだ。


 そしてエニグマの手が伸びてくる。

 そのまま彼は2本の指で、紅の胸を左右から挟んだ。


「なにを……」


 戸惑う紅。

 直後、エニグマが指に力を込め始めた。


(これは――)


 体験したこともないような剛力で胸元を寄せ上げられる。

 すると胸当てが軋み、ゆがみ、ヒビ割れてゆく。

 世界でも最上級に近い鎧が、だ。

 それをエニグマは指先の力だけで壊してゆく。


「ッ……!」


 そしてヒビが広がれば、砕けるのに時間は必要ない。

 胸当ては無残に破砕し、破片が落ちてゆく。

 ――ランクの高い装備は自動修復機能を持ってはいるが、少なくともこの戦闘中においては使い物にならないだろう。


(このままでは……)


 これはまるでお人形遊びだ。

 力の差のままに弄ばれ、壊されるだけ。


 次にエニグマが掴んだのは左足。

 彼は紅の両足を捕らえ――左右に引いた。


「ぁ……ぁぁぁッ…………!?」


 気が付くと紅は悲鳴を上げていた。

 

 股座に裂けそうな痛みが走る。

 エニグマは手加減をしているのだろう。

 そうでなければ、どちらかの足が一瞬で千切れていたはず。


 だが彼はそうしない。

 すぐには壊さない。

 だけど逃がしもしない。

 長く彼女を嬲るために。

 

「く……ぁ……! 誰、かッ……!」


 激痛に苛まれた紅の口から漏れたのは助けを求める言葉だった。


 誰か。

 いや、脳裏に浮かんだのは不特定多数の誰かなどではなかった。

 大切で、ずっと一緒にいた幼馴染。

 一緒にいると心強くて――


「ごめん……なさい。景一郎」


 だけど、一緒にいて欲しくなかった人。

 自分が死んでしまうとき、同じ場所にいないで欲しい人。

 もっと平和で安全なところにいて欲しかった人。

 

 だけど、彼は紅たちを追ってきた。

 そんな彼を死地に引っ張り込んでしまった。


 なのに彼は――


「――【影魔法】、【矢印】」


 突如、黒い三日月がエニグマを襲う。

 黒い魔力の斬撃がエニグマの手首に炸裂した。


「ぁ…………」


 攻撃を受けた拍子にエニグマの手から力が抜ける。

 解放された紅の体。

 彼女はそのまま落下を始める。

 見えない宇宙の果てへと向かって。


 自由落下を続ける体。

 それを黒い影がさらった。


「――……景一郎?」

「悪いな。遅くなった」


 影の正体など言うまでもない。


 大切で、だからこそ共にあるべきではないと思った人。

 それでもやっぱり――共にいれば心強い人。


「それじゃあそろそろ――未来を変えるか」


 青年――影浦景一郎は紅を抱きかかえたままそう言った。



「随分とやってくれたみたいだな」


 景一郎は紅をできる限り優しく地面へと下ろす。


「えっと――【時流遡行】」


 景一郎は足元に落ちていた銀色の破片を拾い上げ、呟いた。

 破片の時が巻き戻り、元の姿を取り戻してゆく。

 ――それは紅が装備していた鎧だ。

 さすがに胸元をあらわにした状態で彼女を放置するわけにはいかない。


「とりあえずこれを――」

「あ、ありがとうございます……」


 景一郎が目を逸らしながら鎧を返すと、紅は受け取った。

 ――少し気まずそうな声とともに。


『援軍か』


 景一郎のやり取りを静観していたエニグマが声を発する。


『まあいい。遅かれ早かれ粛清する人間だ』


 景一郎がエニグマと初めて対峙したのは4月のこと。

 だが、エニグマにとってはどうでもいいことらしい。

 そもそも、景一郎という個人を認識しているのかさえ怪しい。


 エニグマは目の前の存在などに一切の興味も抱いていない様子でただ腕を振り上げた。

 

「おい。何か――」


 そしてエニグマは唱える。



『【魔界顕象・玉響那由他】』



 世界を変える言霊を。


「景一郎……!」


 何かが世界を吹き抜けた。

 広がる違和感。

 この違和感こそが、紅たちの自由を奪っていたものなのだろう。

 事実、紅はその場で力なく座り込んでいる。


「………………?」


 だが、景一郎には何も起こらない。

 脱力感も。

 疲労感も。

 虚無感も。

 何もない。


『なぜ、私の権能が効いていない』


 それはきっと異常なことなのだろう。

 エニグマの問いには少しだけ戸惑いの色があるように思えた。



『なるほど――お前、もう人間を辞めていたのか』



「何が言いたいのか分からないな」


 景一郎はエニグマを見上げる。

 少なくとも、彼自身に人間を辞めたつもりはない。

 人間を辞めたのかなどと問われても、言いがかりでしかないのだ。


「ともかく――」


 理由は分からない。

 分かるのは1つの事実。


 エニグマの【魔界顕象】は、影浦景一郎に通じない。


「さっさと汚い脚どけろよ」


 それが分かれば充分だ。

 ――戦いのステージには上がることができる。


「【矢印】+【矢印】」


 景一郎は腕を振り、矢印を射出した。

 2方向。

 雪子と菊理のいる方向へと。

 彼女たちを踏みつけている足へと矢印が着弾する。


『これは――』


 両足を強制的に動かされ、文字通り足元をすくわれるエニグマ。

 彼の体が2人から離れる。

 

 これで菊理と雪子を解放できた。

 しかし彼女たちもエニグマのスキルの影響で動けない。

 だから――


「【影魔法】」

 

 景一郎は両手から影を伸ばす。

 ――本来、掴むといった精密動作は【操影】の領分だ。

 しかし【影魔法】でも対象に引っかけ、引き寄せることくらいはできる。


 景一郎は影を伸縮させ、菊理と雪子を救出する。

 これでエニグマから彼女たちを引き剝がせた。


「あとは――」


 あとは――エニグマを討つだけ。


「【矢印】」


 景一郎は宇宙を駆ける。

 彼は矢印に乗り、エニグマとの距離を縮めてゆく。

 ――エニグマはさっきの矢印のせいで体勢を崩している。


 今なら――当たる。


「【矢印】――【カルテット】」


 影の斬撃は、そのままエニグマの首へと叩き込まれた。



「やっては……いないよな」


 景一郎はエニグマを見下ろす。


 斬撃の衝撃によって煙が立ち上っており、エニグマの姿が見えない。

 しかし、たった1撃で勝負が決まるなどと思ってはいない。

 

「紅たちが動けない以上は、初手である程度のところまでダメージを与えとかないとな」


 エニグマのスキルによって紅たちは無力化されている。

 ならば、景一郎1人であってもある程度のところまでダメージを与えられないようでは話にならない。


「ッ……!」

 

 砂煙を裂いて現れたのはエニグマの剛腕。

 風圧で煙が吹き飛び、露見する彼の姿に――傷はない。


「マジかよ……」


 無傷。

 それも、おそらく1番防御が薄いであろう首を攻撃されて。


「ッ……!」


 だが、そんなことを気にしている場合ではない。

 目の前にエニグマの掌が迫る。

 あれに潰されてしまえば一瞬でミンチだ。


 景一郎は前方に矢印を多重展開する。

 それは触れた攻撃を逸らす矢印の盾だ。

 しかし――


『その程度で世界の理が止まると思うか』

 

 エニグマは矢印の盾を殴り抜く。

 純粋なパワーだけで、矢印の移動強制に抗ったのだ。

 どれほど矢印に軌道をゆがめられようと、持ち前のパワーだけで修正して見せ――


 ――景一郎を殴りつけた。



「ぁ……」


 紅の口から声が漏れる。


 景一郎がエニグマの一撃を受けてしまった。

 彼の体は巨人の拳ごと足場に叩きつけられた。

 砕けた足場の砂煙のせいで彼の安否は分からない。

 だが、エニグマの攻撃を受けてしまったことは確実で――


(景一郎……景一郎……!)


 今すぐ駆けつけたい。

 彼の無事を確かめたい。

 

 動かないと。

 護らないと。

 

 なのに動けない。

 護られている。


 そして今、景一郎は――


 


「お前のせいだぜ」




 砂煙の中に人影が浮かび上がった。

 彼が剣を振るえば、一瞬で煙が晴れる。


 そこにいるのは景一郎。

 景一郎である――はずなのだ。


 白い髪。

 白黒が反転した瞳。

 黒い血涙のような紋様。


 そこにいる男の姿が、異様であったとしても。

 景一郎の姿と瓜二つなだけの別人に見えたとしても。


「お前があんまり弱いもんだから」


 景一郎は嗤う。

 醜悪に口元をゆがめて。

 獣のような戦意を顔面に滲ませて。


 そこに立っていたのは――



「俺が出張る羽目になっちまっただろーが」



 ――景一郎たちが『アナザー』と呼んでいたモンスターだった。


 6章前半も、もうそろそろ終わりが近づいてきました。



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