6章 10話 大いなる者
「ぉぉ……モンスターが喋った。これにはびっくり」
モンスターが喋る。
そんな異常な光景に雪子がそう漏らす。
無表情に変わりはないが、そこには確かに驚きの感情が覗いていた。
「知能が高いモンスターはいますけど、次元が違うようですね」
菊理も雪子の言葉に同意する。
――知能が高いモンスターは珍しくない。
そういったモンスターは仕草で相手に意図を伝えることができる。
しかし、言語で意思疎通ができるモンスターなんて聞いたことがない。
『お前たちは――この世界の何が不満なのだ』
そんな紅たちの動揺をよそに、エニグマは言葉を紡ぎ出す。
「不満……ですか?」
紅はエニグマの言いたいことが分からずに問い返す。
「これは――なるほど分からない」
「不満と言われても、私たちにはよく分からないのですが」
どうやら雪子たちも同じだったようで、微妙な表情を浮かべている。
不満。
その有無がどうであれ、それらがエニグマと関係があるようには思えない。
『不満があるから、門を叩いたのであろう』
だが、当然のようにエニグマはそう言う。
「これは会話が成り立たない予感」
雪子の言う通り、会話が成り立っていないように感じられる。
何か、前提の時点でズレたまま会話しているような感覚だ。
『ああ、そうであったな』
エニグマは一人で納得したようにそう口にした。
『失念していた。人間とはそういう生き物であったな』
エニグマはそう紅たちを見下ろす。
――彼の顔には目がある。
だが、そこには瞳はなく虚ろ。
なのに、視線が自分たちに向けられているという確信があった。
『真に欲深い者は裏で画策し、矢面に立つのは小間使い。それが人間の在り方だった』
そのエニグマの口調は、どこか呆れた様子だった。
「ん。これは超馬鹿にされた感」
「確かに、政府の指示で攻略しているという意味では遠からずかもしれませんけど……」
紅たちは自分の意思でオリジンゲートに向かったわけではない。
政府からの要請があり、それに沿って組まれた計画だ。
そこに渦巻く思惑を完全に把握しているわけではない。
そういう意味では、言葉こそ悪いが小間使いという表現も大きく間違ってはいないのかもしれない。
「貴方に――小間使いと言われる筋合いはありません」
もちろん、良い気分ではないのだが。
『まあいい。私はシステムだ。相手が誰であるのかなど関係はない』
紅の言葉を気にした様子もなくエニグマはそう口にする。
そこに情緒らしきものは見えない。
高い知能を持ってはいるが、機械と喋っているような気分になってくる。
「超意味深。これは風格があるタイプのコミュ障」
「……知能が高くてもままならないんですね」
「わりと菊理が容赦なかった」
雪子と菊理がそんな言葉を交わしていた。
「ともかく、敵が誰でも関係がないというのは私たちも同じことです」
紅は剣を構えた。
これ以上問答を続けたとして、意味があるとは思えない。
分かり合えるとも思わないし、分かり合う必要性も感じない。
「貴方を倒さなければ、私たちも――景一郎も帰れない」
結局はそれだけの事。
「貴方を討つ理由としては充分すぎる」
こんなダンジョンに永住する気もないし、大切な人をここに閉じ込めるつもりもない。
向こうがどんな事情や思想を持っていたとしても、斬ることに変わりはない。
勝って帰る、ただそれだけだ。
『なるほど――無駄になるのが惜しい理由だな』
一方で、エニグマも気にした様子がない。
彼にとってもまた、紅たちの意思など関係がないのだ。
『私はシステムとして、在るべき場所を忘れた者に粛清を下す』
エニグマの気配が変わる。
寒気が背筋を駆け抜ける。
全身が粟立つようなプレッシャーが広がってゆく。
そして――
『【魔界顕象・玉響那由他】』
エニグマがスキルを使用した。
「ッ…………!」
何かが世界を吹き抜けた。
見た目に分かる変化はない。
だが、世界の何かが変化した。
そして直後――紅はその場に崩れ落ちた。
(体が……動かない……?)
紅は糸が切れた操り人形のように座り込む。
どんなに動こうとしても指1本さえ動かない。
まるで脳からの命令が体に届いていないかのようだ、
『心は刹那に、体は永遠に。お前たちの魂は分断された』
精神は一瞬の世界に。
肉体は永遠の世界に。
そうやって心身が乖離する。
脳は正常に動いているのに、肉体が世界から取り残されている。
動こうという意思が、肉体に届かない。
だから意識ははっきりしているのに、体が言うことを聞かないのだ。
『私の役割は、枠の中の管理。人間であろうと、モンスターであろうと。枠の中で生きる生物は、この力から逃れられない』
這いつくばる紅。
彼女に向けて、エニグマが拳を振り上げる。
――動けない。
エニグマを前にして、その状況はあまりに致命的だった。
『終わりだ。与えられた世界に満足できなかった欲張り者たちよ』
☆
「なんだ……?」「【聖剣】の様子がおかしくないか……?」
【聖剣】とエニグマの戦い。
そこに起きた異常を前に、冒険者たちの間に動揺が走る。
――先程から、紅たちが動かないのだ。
迫る攻撃を躱すどころかガードさえしない。
吹っ飛ばされても受け身も取れていない。
そのまま無防備に転がってゆく。
足場の突起にぶつかって止まるも、やはり彼女たちは動かない。
全身が弛緩しているのか、よく見ると口の端からは涎がこぼれている。
彼女たちの目は虚ろで、敵の存在をきちんと認識できているのかさえ分からない。
(まずい……)
景一郎は唇を噛む。
【魔界顕象】。
それはおそらく――ボス部屋を召喚する能力。
以前、グリゼルダが使用しているのを見たことがある。
とはいえ、今回はボス部屋の中で使用されている。
それにより、なんらかの付加効果が与えられているのかもしれない。
理由は分からないが、【聖剣】が窮地に陥りつつあることは確かだった。
「――作戦変更だ」
そんな中、冒険者の1人がそう言った。
「俺たちがボス戦に参加するのは諦める」
「は――?」
信じられないという心情から、景一郎は声を漏らす。
「お前――!」
そして気が付くと、景一郎はその男の首に手をかけていた。
自分でも制御しきれないほどの殺気が漏れているのが分かる。
分かっている。
これは焦燥ゆえの暴挙だ
だが、紅たちの命が危ういという現状が、彼から冷静さを奪っていた。
それを理解しているのだろう。
男は特に驚いた様子もなく、景一郎の腕に手を添えた。
「勘違いするなよ。俺たち全員で突入するのを諦めるって言ったんだよ」
「?」
男は景一郎をまっすぐに見つめる。
そして、告げた。
「ここからは――俺たち全員で協力して1人を送り込む作戦にシフトする」
新たな作戦を。
「――行けるか? 影浦」
「………………」
このまま続けていても結界を破壊できる算段はついていない。
ゆえに、レイドチーム全員で救援に向かうのは現実的と言えない。
だから、影浦景一郎だけでも送り込む。
戦力の逐次投入など下策だ。
でも、そうしなければ間に合わない。
このままでは紅たちが殺されてしまう。
そうなれば終わりだ。
(この選択が最悪の未来に通じていたとして――)
景一郎は思う。
このオリジンゲートで死ぬ可能性があるのは4人。
鋼紅。
忍足雪子。
糸見菊理。
そして――影浦景一郎。
――舞台は整いつつある。
こうやって景一郎はエニグマとの戦いに駆けつけ――死ぬのだろう。
それがきっと『最悪の未来』の正体だ。
「――当然だ」
だが、それになんの意味があるだろうか。
最悪の未来の正体が分かったとしても、それを避ける理由になるだろうか。
紅たちが殺されるのを見ているだけで良い理由となるだろうか。
――考える。
(それが、あいつらを助けに行かない理由になんてなるわけがない)
答えに、迷う余地などなかった。
最悪の未来へと続くルートを歩むことに決めた景一郎。
はたして彼はその結末を変えられるのか――