6章 8話 阻まれた奇跡
「――そろそろですね」
再探索は紅の一声で始まった。
より万全の状態で挑むためか、景一郎が想定していた時間よりも長めとなる2時間のインターバル。
それを経て、ついにオリジンゲートの攻略が再開した。
――もっとも、残っているのはボス部屋へと続くであろう扉だけなのだが。
(ナツメさんの話では、条件を満たさないと開かないって話だったけど――)
紅たちが扉へと歩いてゆく。
そして、景一郎たちレイドチームはその後へと続いた。
紅は特に立ち止まることもなく指先を扉へと触れさせる。
直後――扉が自ら開き始めた。
「予想通り、モンスターハウスの鎮圧が条件だったのか」
その光景に、景一郎はそう漏らす。
事前に予想していた可能性。
それが当たったことにひとまずは安堵した。
とはいえ、そもそもボスに負けたのでは意味がない。
安堵はしたものの、気を緩められるはずはなかった。
「うわぁ」
隣で詞が感嘆の声を上げる。
普通ならボス部屋を覗いた人間がする反応ではないだろう。
しかし、それも仕方がないのかもしれない。
結論から言えば――そこにあったのはボス部屋ではなかったから。
「――綺麗」
透流がそう口にした。
扉の向こうにあったのは階段だった。
それも、光で作られた階段だ。
帯状の光が並び、空へと伸びている。
「攻略の途中でなければ見入ってしまいますわね」
レイドチームが光の階段を上がってゆく中、明乃は周囲の景色に目を向ける。
桜、ひまわり、紅葉、雪。
四季を象徴するような景色が眼下に広がっている。
彼女の言う通り、ここが世界最高難度のダンジョンでさえなければ思わず足を止めてしまいそうなほどの絶景だ。
さらに景一郎たちが階段をある程度のところまで登ると、下の景色が変化する。
四季混合の絶景は消え、シャボン玉が浮かぶ草原が広がった。
脈絡もなく景色が一変。
どうやらこの空間は季節どころか、物理法則さえ守る気がないらしい。
そんなことを考えているうちに、レイドチームは階段の終点へとたどり着く。
「ん……ついにボス戦」
雪子が足を止める。
直後、また景色が変化する。
光の階段を登り終えた景一郎たちを出迎えたのは黒い部屋だ。
なんの装飾もなく、光を呑むような黒い部屋。
この部屋はまさに闇と表するのがふさわしいだろう。
「――あそこですね」
紅が歩き出す。
そこにあったのは渦だった。
漆黒の壁に浮かぶ、暗い渦だ。
その光景は部屋の色もあいまって、ブラックホールを想起させる。
少々形は異なるが、あれがボス部屋に続く扉なのだろう。
少なくとも、あれ以外に他の場所へとつながりそうなところがない。
入り口からここまで一本道だったことも加味すれば、選択の余地はなかった。
そして紅の指が渦に触れると――
「…………!?」
突如としてレイドチームが壁まで吹き飛ばされた。
「――あらあら」
「これは――」
その光景に菊理と雪子が声を漏らす。
確かにレイドチームは吹き飛ばされた。
だが、全員ではない。
吹き飛ばされたのは前列にいた冒険者ばかり。
後方にいた景一郎たちには何も起こっていない。
そして――
鋼紅。
糸見菊理。
忍足雪子。
【聖剣】の3人だけはそこに立っている。
彼女より後ろにいたはずの冒険者が吹っ飛ばされたにもかかわらずだ。
何もなかったかのように彼女たちは立っていた。
――いや、何もなかったのだ。
逆に言えば――【聖剣】以外の冒険者だけが弾き出された。
そして、【聖剣】と他の冒険者を隔てるように光の膜が展開される。
まるでダンジョンが、彼女たち以外による挑戦を拒んでいるかのように。
「どうなってんだ!?」「入れねぇぞ……!」
とはいえ、ここにきて【聖剣】だけにすべてを委ねるわけにはいかない。
冒険者たちが光の膜の破壊を試みるが――すべて無駄に終わっている。
通過できないのはもちろん、攻撃しても破れない。
見た目の薄さに反し、その強度はすさまじいものだった。
「何よあれ……」
「特定の冒険者しかボス部屋に入れない……そんなギミックでしょうか」
香子の疑問に、明乃は渋い顔をしつつ自身の仮説を口にした。
「そんなのアリなわけ……!?」
香子はそう声を荒げた。
ダンジョン側が冒険者を選ぶ。
荒唐無稽な話だ。
だが今の光景を見ていると、それを肯定してしまいそうになる。
「――しかも、こちらから出ることもできないようですね」
結界が現れたため。引き返した紅が――光の膜に触れた。
だが光が消えることはない。
結界には内外で強度が違うものも多い。
閉じ込めるための結界は外部からの衝撃に弱く、身を守るための結界は内部から壊すことは容易い。
しかしこの結界は、両面のどちらから破ることもできない。
このダンジョンは挑戦者を選ぶ。
そして、中断も許さないのだ。
「仕方がありません。私たちだけで――」
問答に意味はないと判断したのだろう。
紅が身をひるがえす。
そのまま彼女たちは渦へと向かってゆき――
「待ってくれ……!」
思わず景一郎は駆けだした。
【面影】のメンバーも置き去りにして。
レイドチームのメンバーの間をかき分けながら結界に向かう。
(最悪の未来で死ぬ可能性があるのは――紅たちと――俺だ)
このままでは、どうあっても景一郎が死ぬことはない。
最悪、景一郎がアナザーとの戦いで死ぬ可能性はあったかもしれない。
だが――そうは思えない。
確かにアナザーは強いモンスターだったかもしれない。
しかし、あれが『最悪の未来』の原因だったとは思えない。
なんとなくだが、思う。
まだ最悪の未来は回避できていない。
まだ景一郎を含めて死の未来を回避できていないと。
(だから俺なら、この結界を抜けられる……!)
だからこその確信だ。
逆転の発想。
依然として自分に死の危険が残っているのなら――
影浦景一郎にも、ボスに挑む資格はあるはずだ。
紅たちだけをボスに向かわせるわけにはいかない。
死の危険があったとしても、最悪の未来を変えられるのは――同じく最悪の未来に捕らわれている者だけ。
だから景一郎は結界に手を伸ばし――
――結界に、拒絶された。
「え………………?」
景一郎の口から漏れたのは茫然とした声だった。
半ば確信していた。
自分なら大丈夫だと。
ボスに殺されることがあっても。
まさか――
まさか――挑む権利さえないなどと思ってもいなかった。
なのに、結界に拒絶された。
彼の手は、光の膜に弾かれた。
影浦景一郎には――挑戦権が与えられなかった。
「――景一郎」
光の向こう側で紅が振り返る。
そして彼女は微笑むと――
「――行ってきますね」
そう口にした。
「な……!」
景一郎は手を伸ばす。
だが、その手は光に阻まれた。
(なんで通れないんだよッ……!)
紅たちの背中が遠のいてゆく。
それを、見送ることしかできない。
(なんで――俺も一緒に戦えないんだッ……!)
景一郎は結界を殴る。
だが、それにも意味はない。
暴力に訴えたところで、事態は変わらなかった。
「まさか……」
結界に手をついて、景一郎は俯いた。
嫌な汗が流れる。
そして、嫌な思考がめぐってゆく。
(ボス部屋に入るための条件が――『最初に触れた冒険者が所属するパーティ』であることだったなら)
嫌な想像をしてしまう。
(俺が【聖剣】じゃなくて【面影】だから入れなかったんだとしたら)
思いたくないのに、思ってしまう。
景一郎は思った。
【面影】にいたいと。
自分の夢を支えてくれた仲間と、離れたくないと。
思いたくないのに。
思ってはいけないのに。
思ってしまう。
「俺は――間違えたのか……?」
【面影】の影浦景一郎でいたい。
あの日の想いを――後悔してしまいそうになるのだ。
☆
「結局、このメンバーで挑むことになりましたね」
「ん……でも、最初からその予定だった」
「……そうですね」
紅と雪子は軽く言葉を交わす。
大したことのない暇つぶしの会話だ。
――現在、彼女たちは暗い世界にいる。
渦の入り口に潜り、出口を目指している。
「絶対、クリアしましょう」
「りょーかい」
「ですね」
幼馴染と決意を同じくした頃、渦は終点を迎えた。
出口を抜け――ボス部屋へとたどりついた。
「これはラスボス空間」
雪子がそうつぶやく。
それはまさに宇宙だった。
上下左右、すべてが暗い。
その暗闇の中に星のような瞬きが点在していた。
「ん……落ちたらマズそう」
紅たちが立っている場所を含め、この空間には複数の足場が浮かんでいる。
逆に言えば、その下には何もない。
宇宙空間のようなこの部屋に底は見えない。
――落ちたらどうなるのかは、確かめる気にもならなかった。
「――ビンゴ」
直後、大きな気配が現れる。
それは間違いなく、この部屋の主だった。
「景一郎が言っていた通りでしたね」
紅は――下から飛んできた巨人を見つめてそう言った。
オリジンゲートが出現したタワーでさえ霞むほどに巨体。
その肉体は宇宙を押し固めたかのように黒く、時折白い斑点が浮かんでいた。
――景一郎が語っていた通りの姿だ。
違う点といえば、背中に巨大な翼までついていたことくらいか。
「実際に見ると、確かに大きいですね」
菊理は巨人を見上げている。
紅たちの数百倍というサイズ感のモンスター。
だが事前に予想していたこともあって、動揺はない。
動揺なく、スムーズに戦闘へと精神が移行した。
「それでも――負けるわけにはいきません」
そしてついに【聖剣】と巨人――エニグマとの戦闘が始まった。
ついに始まる『最悪の未来』――。
はたして景一郎は悲劇の未来を回避できるのか。




