6章 7話 最後の猶予
「ふぇー終わったぁ」
詞は大きく伸びをした。
「モンスターハウス現象は、1度鎮圧してしまえば追加のモンスターが一切現れないというのが救いですわね」
「ん……おかげで休憩できる」
明乃の言葉に透流が頷く。
現在、このダンジョンにモンスターはいない。
すでにモンスターハウス現象は鎮圧されているため、追加のモンスターが現れないのだ。
確かに明乃の言う通り、これはモンスターハウス唯一の利点と言えるだろう。
モンスターの追加はなく、ボス部屋は目の前。
つまりこれが最後のインターバル。
ここから先は、攻略が終わるまで休む暇などないだろう。
「で、状況はどうなってんの?」
香子が景一郎に視線を向けた。
「見た感じ、誰も死んでないみたいだけど」
そして彼女は周囲を確認する。
当然ながら、あれほどの激闘となればそれなりに負傷者が出てしまう。
現在、ヒーラー総出で怪我人の治療を行っていた。
だが、それほど悪い状況ではない。
死亡者も、致命傷を負った者もいなかったのだから。
「ああ。幸い、回復魔法で全員復帰できそうだな」
景一郎はそう答える。
ここにいる冒険者は一流だ。
もちろんそれはヒーラーも例外ではない。
致命傷を負った者がいない以上、ここでリタイアする冒険者は現れないはずだ。
すべての戦力を保ったままボスへと挑めるのだ。
「それは幸運であったな。オリジンゲートは1度起動してしまうと、全滅するまで出られないようになっておるからな。危険な状況の者だけは先に帰還――というわけにもいかなかったであろう」
「……よく知ってたな。途中でダンジョンを出られないだなんて、そんな話ナツメさんも言ってなかったけど」
「………………さっき調べて来ただけだ。退路の確認は当然であろう?」
景一郎の指摘にグリゼルダはそっぽを向いた。
退路の確保は定石であり必須。
そう思えば、彼女の言い分も正しい。
――彼女にしてはマメというか、注意深い行動にも思えるが。
それだけ彼女もオリジンゲートを警戒している――ということなのだろう。
「まあ……そうだな」
若干の引っかかりを覚えつつも景一郎は息を吐く。
「ともあれ、ヒーラーが全員を治療して、ヒーラーが消耗した分の魔力を回復させるまで待てば――ボス戦だな」
怪我人を治し、回復薬の体力も戻ったら――開戦。
軽く見て1時間くらいは猶予があるだろう。
「…………ただ」
(やっぱり、言うだけ言っておくか)
最後の猶予。
落ち着いて意見を交わせるのはこれが最後だろう。
ならば、運命を変えるために手を打つ。
景一郎はボス戦に向けて待機している【聖剣】へと歩き出した。
☆
レイドチームから少し離れた場所。
そこで景一郎は、自身が感じたことを【聖剣】に打ち明けていた。
ここに現れるモンスターの共通項。
そこから逆算される、このダンジョンのボスについて。
「――景一郎がここ半年で出会った魔物……ですか」
紅が神妙な様子でそう漏らす。
彼女は口元に手を当てて思案している。
あまりに滅茶苦茶な推理。
本来なら一笑されてもおかしくない話だ。
それでも紅は彼の話を受け止めようとしていた。
「正直、馬鹿げているのは分かっている。だけど俺には、ここに現れるモンスターの共通項といえばそれしか浮かばなかった」
景一郎はそう吐露する。
「俺自身も半信半疑だ。だけど、万が一のこともある。心の隅にとどめておくだけでも――」
自分自身でさえ絶対の自信がない。
結局のところ、それが彼女たちだけに考えを語った理由だ。
確信があるのならレイドチームに周知しておくべきだ。
しかしどうにも不確かで、本人さえ断言できないような推測だ。
そんな薄っぺらな情報を語れるわけがない。
もしも絶望の未来を知らなかったのなら、そもそも【聖剣】にさえ話さなかったことだろう。
「いえ、信じます」
「ん。同じく」
「ほかならぬ景一郎さんの言葉ですから」
そんな根拠など皆無の意見。
それを【聖剣】は信じてくれた。
無条件に。
「…………」
そんな彼女を見て、景一郎は照れ臭さを感じていた。
命のかかっているダンジョン攻略。
なのに、自分の言葉を信じてくれる。
それが嬉しくないはずもない。
「ん――ただ景一郎君の言葉を信じるなら、ボスはなんかすごい巨人ってことになる」
雪子が腕を組んで重苦しそうに頷く。
――巨人。
かつて景一郎が乗っている電車を襲った腕――その持ち主。
それこそがここのボスだと景一郎は考えていた。
景一郎とかかわりがあるモンスターの中で、もっとも強大で、未知に満ちているモンスターだったから。
なにより、あの腕はほかならぬオリジンゲートから伸びてきた。
あの巨人がオリジンゲートの住人だと考えるのは当然だった。
「なにかスキルのようなものはありましたか?」
「いや……悪い。ただデカいってだけで、それらしい現象は見てない」
菊理の問いに景一郎は申し訳なさをにじませた。
敵のスキルを知りたいと思うのは当然だ。
しかし景一郎が見たのは、巨大な腕が振り下ろす瞬間だけ。
スキルなどというテクニックを見るタイミングはなかったのだ。
「超すごい巨人――ん……便宜的に『エニグマ』と呼ぶことにしとく。そのエニグマはシンプルなフィジカルお化け……。でも、違うかも」
雪子は自分で自分の意見を却下する。
全貌が見えていないとはいえ巨人――エニグマと呼ぶことにしたらしい――はこの上ないフィジカルモンスターだ。
だがオリジンゲートのボスがそんな力押しだけなんてありえるのか。
そう思ってしまう。
実際に、スキルの中には物理耐性や物理無効も存在する。
もしエニグマが物理特化ならば、討ち倒すなど容易い。
ただ、オリジンゲートがそんな安易な攻略を許すのだろうか。
そう考えるからこそ、エニグマが何らかのスキルを所持している可能性を危惧しているのだ。
「オリジンゲートのボスというだけで、警戒するに越したことはありませんね」
結局は紅の言う通りだ。
ダンジョンでは警戒しても警戒しすぎることはない。
それが世界最高峰の難易度を誇るダンジョンであるのなら当然のことだ。
「それこそ、肉体の強さだけではなく、固有スキルを持っていてもおかしくはありませんよね」
菊理はそう口にする。
相手はオリジンゲートのボス。
確かに、汎用スキルどころかユニークスキルを持っている可能性もある。
それくらいに、ここは特別なダンジョンだから。
「すまん……。あの時は戦いらしい戦いにもなっていないから、見た目以外の情報がほとんど分かってないんだよな」
景一郎は謝罪する。
意を決して伝えたところで、景一郎が渡せる情報など見た目くらいのものだ。
作戦に活かすには、あまりにお粗末な情報だ。
「見た目が分かるだけでも、心の準備はできます」
「ん……初見で、ビルよりデカい巨人は普通に衝撃」
紅と雪子がそう言った。
確かに些細な情報だったかもしれない。
だが、言う意味がなかったということはない。
彼女たちの言葉にはそんな意味が込められていた。
「攻略が楽しみになってきましたね」
一方で、菊理はすでに戦いが楽しみになり始めているようだったけれど。
見た目だけならば【聖剣】でもっとも淑やかで清楚。
だが実際は【聖剣】でもっとも好戦的な彼女。
彼女らしいと言えば彼女らしい言葉だった。
「…………」
(とりあえず第1関門は抜けた)
モンスターハウスは無事に鎮圧した。
それに、巨人の存在を【聖剣】に伝えることができた。
少しは事態も好転しているはずなのだ。
なのに――
(でも嫌な予感が消えない)
どうしても嫌な予感が拭えない。
何かが大きく変わったという感覚がない。
絶望の未来へと通じるレールを外れられた気がまったくしない。
(何かあるとしたら――――ボス戦か)
次回あたりでボス戦が始まるかと。