4 彼等
と、言う訳で透明人間になりたかったヒラノさんとはそれきり連絡を取らず、今度はゲオルギーさんが宿泊するホテルにいる。
「彼女とは急に連絡が取れなくなって困りました。日付は聞いていませんでしたが、彼女へのインタビューは済んでいたのですか」
ゲオルギーさんの眼は、石のように冷たい。
「インタビューはしましたが体調が悪いようで、あまりお話出来ずに帰られてしまいました」
「まだ体調が悪いのでしょうか」
ゲオルギーさんはふうと息を吐いてソファへ腰掛ける。座るように勧められ、正面に腰掛ける。
悪いことをしたとは思っていない。
そもそも未だに透明人間の研究の実態が分からない。ヒラノさんとはただ話をしただけ。どう受け取ろうとヒラノさんの勝手でゲオルギーさんの研究の邪魔をした訳ではない――と、自分に言い聞かせる。
ゲオルギーさんと会うことで碌でもない結果になることは感じていた。が、まだ興味とか好奇心というものはあった。
「地獄の声を知っていますか」
また唐突な話だ。
ロシアがまだソ連だった頃――
地球の地殻調査として開始した科学プロジェクト。12,262メートルまで掘り進め、今でも世界一の記録となっているそうだ。地殻の温度が高温でドリルで掘り進めるのが困難になったのか、予算がなくなったのか掘削は中止となった。その穴にマイクを降ろしたところ人々の苦しむ叫び声が録音出来たと"地獄の声"が1995年辺りからネット上で広まった。その地獄の声が恐ろしくてプロジェクトは中止されたんだという噂もあったらしい。
地獄が存在する確証として使われたり、未だに地球空洞説を囁く人が信じていたりしそうだが、既に廃れていった都市伝説である。
「知ってますよ。確か、ロシアの世界一深い穴から声が聞こえたという都市伝説でしょう」
何が面白かったのか、ゲオルギーさんは初めて声を抑えて笑った。
「それはデマなんですけどね。しかし私は、その、世界一深い穴のあるムルマンスクで、未発見だった鍾乳洞を見つけたのです」
「鍾乳洞。それが地獄の声とどのような関係があるのですか」
「地獄ではなかったという話ですよ。発見後、装備を整えて鍾乳洞に入りました。森の木々に隠されるようにあり、入口はほぼ地面に――日本語でどういうか分からないのですが――あぁ、鉛直下? というのですか。そのようになっていて、人が並んで3人通れるくらいで、高さは3、4メートルくらいの入口でした。鍾乳洞は入口から斜め下に続き、左右に道が繋がっていました。それから長さが何キロあるか分かりませんが道は緩やかに下っているようでした。地上に穴が空いているのでしょう、途中、天井から光が射していることがありました。かなり歩くと……誰かの話声が聞こえてきました。かなり、大勢のです。それこそ地獄の声のような……しかし、声はあのような悲しみの声ではなく、笑う声でした。そして、後ろから肩を叩かれて驚くと、どうかしたのかという声が。どうかしたのかというのもおかしいですが、そう尋ねられたんです。彼等は、そこで幸せそうに暮らしていました。そこは地獄なんかじゃない。私には天国に見えました」
部屋の中は暖かいにも関わらず、ぞくっとする寒気を感じていた。
「彼等とは……」
「最初は彼等と、世界各国にいる、世界を仕切っている人々を攻撃して金儲けをしようとか色々なことを考えていました。しかし、そんなことに意味がないと気づいたのです。彼等は素晴らしい。いや、私達も元々は彼等だったんですよ。ただ、彼等はまだ外に出られない。いや、出ようと思わないということが正しいのか……この世界が、彼等に相応しい世界になるまでひっそりと息を潜めて……あぁ、彼等にとってはそれが日常だから私にはよく分からないが」
ゲオルギーさんは僕の質問には答えずに話を進めている。先程から、何か自分を見られているような視線を感じる。
おかしい。
恐怖ではなかった。違う、怖くないといえば嘘になる。恐怖もある、他にも何か……何かとは、そうだ、「違和感」だ。何が違うのかは分からない。何となく空気が、空間が重たい気がしていた。
「ゲオルギーさん? 一体その、地下世界に住む彼等とはどんな人だったんですか」
「人と呼ぶのもどうかな。彼等は私には神に思えた。よく、ミュータント、新人類というが、彼等は言うなれば古代人類と言えると思います」
ミュータント? 新人類?
「じゃあ、超能力を持った人ということですか」
そう尋ねて、ゲオルギーさんが何の研究をしていたかを思い出した。他の場所を見ることが嫌になり、ゲオルギーさんの顔を見る。
違和感は気配だった。そんな、透明人間が存在するなんて信じられない。しかし、居る気がする。
――ここに何人居るんだ?
心の中で問いかけるが、ゲオルギーさんは表情を変えずに語る。
「彼等が言うには、今の私達は愚かにも欲望に惑わされて、地獄へ行進して行っているよう――であるそうです。自分がどんな状態だったかも知らずに。元々私達は超能力を使えて、寿命も今に比べれば永遠に等しくあったというのに。だから、発達している産業や工業は、超能力を失ってしまった為に想像力、いや、古い記憶を元に作っているに過ぎない物なんですよ――どうしたんです? 不安そうな顔をして。貴方は今、スペシャルな話を聞いているのですよ。貴方は運が良い」
運が良いと言われても全く嬉しくないどころか、運が悪いと感じていた。心の中で、友人を呪う。アイツをここに連れてくれば良かった。
しかし耐えられなくなり、思っていたことをできるだけ慎重に尋ねてしまう。
「ここにいらっしゃいますか?」
ゲオルギーさんは片眉を少し上げて、じっとこちらを見つめた。居るということだろう。
「何人……」
「20人ほど、来てもらいました」
「20人……」
ホテルの室内が広いといっても、20人もいればギュウギュウのすし詰め状態になるんじゃないか。僕は身動きを取ることも恐ろしく感じた。もし――もしも、触れてしまったら信じなければならなくなる。
「貴方は……」
「私は、真の透明人間を発見しました。もちろん、透明でない姿も見ましたが、私達と殆ど変わりない外見でした。今や透明であることに何の価値もないと気づきましたが。貴方が彼等の存在をとらえることはきっとないだろう。彼等は、特に食べ物や睡眠を必要とせず、言葉も必要とせず、文化や変化を必要としない。地上は移りゆくが関係なく、彼等は自由で幸福でそれぞれが思いのまま、暮らしています。皆さんにはこれがどれだけ幸福なことか分かるまいが、私は仲間になろうとしている途中なのです」
そう言ってゲオルギーさんはソファから立ち上がった。僕の目は、ゲオルギーさんの下半身に釘付になる。下半身は透明になり、まるで水がそこにあるように光の屈折が不自然だった。
「まだ途中なので完全に透明になることは出来ません」
ゲオルギーさんは残念そうに首をすくめた。
「彼女に研究へ協力しないように諭したことは、別に怒っていませんよ」
「なんでそれを知って……」
「彼女も知りませんが、見ていた者がいるのです。出来るだけ現代を知る仲間を集めたいと思っていたところなのですが、残念です。既に私の家族は日本にある洞窟から地下世界に降りて生活をしています。ロシアの鍾乳洞から降りるのは危険なのでね」
ゲオルギーさんは、透明な下半身のまま、自身の胸を指差した。つられて自分の胸部分を見る。そこ――胸ポケットの内側――には、ボイスレコーダーが入っている。
「貴方のことだ。録音しているのでしょう。記事にするつもりですか」
録音も見られていた、ということだろう。
「いや、記事にはしません」
「どうして? これが真実であるし、こちらの世界に興味を持たれることは私達には嬉しい」
僕は笑った。
「ウケないからですよ」
ゲオルギーさんはじっと僕を見つめた。本音を言って怒られるかと思い身構えるが、失望したような、哀れむような、そんな表情で口を開く。
「残念です」
心の底からそう思います……と呟いた。
宇宙の話は、『不自然な宇宙/著者 須藤 靖』を参考にしました。偉そうに話しながら、統計が分かっているかが分からないので説明は出来ません…